クリスマスの奇跡~泣いてる女性とサンタを信じる少年~

「お姉ちゃん、泣いてるの?」


 ひとりの少年がサンタクロースの衣装に身を包んだその女性に声をかけたのは、偶然だった。

 イルミネーションがきらめく駅前のかたすみで、涙で顔を濡らしているところをつい見かけてしまったのである。


 聖夜ということもあり、世間はクリスマスモードに包まれている。

 そこここでクリスマスソングが流れ、多くのカップルたちが手をつなぎ、きらびやかなイルミネーションの前で愛をささやき合っている中で、その女性だけがまわりから隔離されたかのように、ぽっかりと浮いていた。


「……だあれ?」


 女性が言葉を発すると、少年はホッとしたように笑った。


「よかった。幽霊じゃなかった」


 少年の言葉に、女性は「へ?」と目を丸める。


「わたし、幽霊みたいだった?」

「だってこんなにすみっこでひとりで泣いてるんだもん」


 見渡せば、確かにこの聖なる夜で暗い表情をしているのは彼女だけである。

 サンタの衣装に身を包んだその女性は、ぐすっと鼻をすすりながらハンカチで目をぬぐった。


「ごめんね。ぜんぜん知らないキミに心配かけちゃって」

「ううん、別にいいよ」


 たいして気にもしていない態度に、女性も口元から笑みがこぼれた。

 泣き止んだのを見届けた少年が、女性に尋ねる。


「なんで泣いてたの?」

「わたし、フラれちゃったの」

「フラれちゃった? “はきょく”したってこと?」

「難しい言葉を知ってるのね。そう、“はきょく”したの」

「それはそれは。ごしゅうしょうさまです」

「ふふ。面白い子ね。君、いくつ?」

「7才だよ」

「小学2年生?」

「ううん、1年生」


 不思議なことに、少年と会話を重ねていくごとに女性の顔に笑顔が戻っていく。

 少年には、女性を元気づける何かが備わっているかのようだった。


「よかった。元気になってきたね」

「うん、キミのおかげでね」

「笑うとこんなにきれいなお姉ちゃんなのに……」


 フラれちゃうんだね、と言いかけて慌てて口をつぐむ。

 女性はそんな少年の思いやりに声を出して笑った。


「ありがと。でも別に気をつかわなくていいよ」

「うん」


 素直な少年の態度に、女性は笑みを浮かべながら泣いていた理由を語った。


「わたしね、ずっと付き合ってきた彼がいたんだ。でもここ最近、話が合わなくってね。私には叶えたい大きな夢があったんだけど、彼からはもっと現実を見ろって言われて……」

「かちかんの違いってやつだね」

「お、いいこと言うね。そう、その通り。価値観の違い。で、彼は今日、わたしのもとを去って行きましたとさ」


 チャンチャンと締めくくる女性に、少年は尋ねた。


「お姉ちゃんの叶えたい夢って、なんなの?」


 そう尋ねられて、彼女は「うーん」とうなる。


「なんて言えばいいのかなあ。言ってもわからないと思うなあ。聞きたい?」

「わからないなら別にいいや。聞きたくない」

「うん、待ちなさい! ちょっと待ちなさい!」


 必死な顔を見せる女性の姿が面白くて、少年は笑った。


「結局言いたいんでしょ?」

「うん、言いたい」

「しょうがないなあ。聞いてあげる」

「ありがとう。わたしの夢はね、世界中の子供たちを幸せにすること!」

「……?」


 きょとん、とする少年に、女性はさらに必死な顔を見せた。


「よ、要するにあれよ! 子供たちに夢と希望を与える仕事をしたいわけよ!」

「絵本作家になりたいの?」

「うーん、ちょっと違うかな」

「おもちゃの会社を作りたいとか?」

「それも違うかな」

「よくわかんないや」

「そうね、やっぱりよくわからなかったね。ごめん」


 しばし、ふたりの間に軽い沈黙が訪れる。

 駅前広場は、華やかな音楽が奏でられていた。

 道行く人々は誰も幸せそうだ。


 ふと、少年の目に大きなプレゼントを抱えた中年の男性の姿が映り込んだ。


 娘へのプレゼントだろうか。

 ピンクのリボンがついた包み紙を大事そうに抱え、ホクホクした顔で足早に帰っていくその姿に、少年の顔が曇る。


「どうしたの?」


 少年の顔が曇っていることに気が付いた女性が尋ねると、少年は聞いた。


「お姉ちゃんてさあ、サンタさんて信じる?」

「サ、サンタさん?」


 突然の問いかけに女性は目を丸くする。


「そう、サンタさん。クリスマスの夜に子供たちの家をまわってプレゼントを置いていく人」

「サンタさんなら、ここにいるじゃない。可愛いのが」


 サンタの衣装を着た女性はくるりとまわって愛嬌をふりまいた。

 しかし少年は首をふる。


「そういうんじゃなくて、本物のサンタさん」

「いきなりなあに?」


 少年の顔がみるみる曇っていくのを見て、女性は目を細めた。


「キミも、なにかあったの?」

「うん……」

「よかったら、聞かせて。お姉ちゃん、力になれるかも」


 女性の言葉に、少年は少し迷いながらも、口を開いた。


「じつはね、今日、クラスのみんなにバカにされたんだ。今日はサンタさんが来る日だねって言ったら、サンタなんているわけないじゃないか、バーカって。僕、今までずっとサンタさんがいるって信じてたから……」

「サンタさんを……?」

「おかしいかな? おかしいよね? 去年も、その前も、その前の前も、クリスマスの朝には欲しかったプレゼントが枕元に置いてあって。お父さんもお母さんもサンタさんからの贈り物だよって言ってくれたからサンタさんっているものだとばっかり思ってて……」

「素敵なご両親じゃない」

「でも、嘘だってわかったんだ。クラスのみんなが言うんだよ。プレゼントは全部、親が買ってるんだって。寝ている間に置いておくんだって」

「それを信じてるの?」

「信じたくないけど……。みんながそう言うんだもん」

「みんなが言うから信じないかあ。なんか悲しいね」

「悲しい?」

「だって、そうじゃない。自分は絶対いるって信じてるのに、まわりがいないって言うから信じないだなんて。いることは証明できても、いないことを証明することなんて誰にも絶対できないんだよ? だったら、いるって信じてた方がいいじゃない」

「いないことは証明できない……」


 女性の言葉に、曇りがちだった少年の顔にみるみる笑顔が戻ってきた。


「うん! うん! そうだよね! いないなんて、誰だって証明できないんだもんね! だったらサンタさんはいるって信じてた方がいいよね! 僕は信じるよ。だって、去年は書いた手紙を受け取ってくれたんだもん」

「手紙を?」

「うん。いつもプレゼントありがとうって。枕元に置いといたらプレゼントの代わりに手紙がなくなってたんだ。きっとサンタさんが持ってってくれたんだと思う」


 女性はその言葉に、パアッと顔を輝かせた。

 それは安堵と感謝と嬉しさと、すべての良い感情が入り混じった輝かしい笑顔だった。


「お、お姉ちゃん……?」

「そっか。ようやくわかった。なんでキミがわたしに声をかけてきたのか。なんで、人の目から見えないわたしがキミだけに見えたのか」

「……?」


 どういうこと? と問いかけようとした矢先。

 空から光が差しこみ、その中からソリを引いたトナカイが現れた。

 トナカイはものすごい勢いで夜空を駆け巡ると、サンタの衣装を着た女性の前に颯爽と降り立った。


 唖然、としているのは少年のほうだ。


 周りの群衆は誰も気づいていない。

 しかし、彼の目にははっきりとトナカイが引くソリに座る女性の姿が映っている。


「お、お姉ちゃん……。もしかして……」

「ありがとう。キミがわたしの存在を信じてくれたおかげで、ちからが戻ったわ」

「サ、サンタさん? まさかお姉ちゃんが?」

「だから言ったじゃない。可愛いのがここにいるって」


 女性もといサンタがふところから一枚の紙きれを取り出すと、少年の顔が笑顔で輝いた。


「それ、僕が去年書いた手紙!」

「キミの気持ち、確かに受け取ったわ」


 ウィンクをするサンタに、少年はこれ以上ない幸福感に包まれていた。

 しかし、少年にはひとつ腑に落ちない点があった。


「で、でも、どうしてこんなところに? フラれたんじゃなかったの?」

「えっと、それは……」


 言いつつ、目の前のトナカイのおしりをパシッと叩く。


「こいつがわたしを置いて天界に去っていったのよ」

「ト、トナカイが……?」


 きょとん、としている少年の前で、トナカイは申し訳なさそうに顔を向けて人の言葉を発した。


「だって、ああでもしないとキミはプレゼント配りをやめないじゃないか」

「トナカイがしゃべった!」

「そう、こいつ、人の言葉をしゃべれるの」

「こいつ呼ばわりはひどいな。自分の恋人に」

「自分の恋人をフッたのはどこのどいつですか」

「僕だって、断腸の思いだったんだから。キミのプレゼント配りをやめさせたくて……」


 話の見えない少年は、「どういうこと?」とトナカイに尋ねる。

 トナカイは言った。


「サンタのプレゼント配りはね、大量のエネルギーを使うんだよ。それこそ、命を削るほどに。で、そのエネルギーの供給源というのが子どもたちのサンタを信じる心なのさ。サンタを信じる心が大きければ大きいほど、エネルギーは無尽蔵に溢れ出て来るけど、今の世の中みたいにサンタを信じる心が少ないと、エネルギーの供給量も少なくなって、最悪の場合、死んでしまうんだよ」

「し、死んじゃうの!?」


 大きく目を見開く少年に、サンタは「それは大げさだよ」と笑った。


「確かに、エネルギーの供給が少ないと疲れがずっと残って寿命が縮むけど、すぐに死ぬわけじゃないわ。それに、プレゼント配りがわたしの使命なんだから、やめるわけにもいかないし。第一、わたしは子どもたちの笑顔が見たいの。わたしの命で子どもたちが一人でも笑顔になってくれればそれはそれで本望よ」

「キミが死んじゃったら、僕はどうなるのさ!」

「新しい彼女(サンタ)を引いてあげればいいじゃない」

「僕はキミじゃなきゃ嫌だって何度も言ってるだろう!?」

「ああ、はいはい。とにかく、この子のおかげでちからが戻ったわ。今日の遅れた分、取り返さなきゃ」

「トホホ。強制的に呼び寄せられたから、何かあったと思ったけど。やっぱりちからが戻ってしまったのね……。くれぐれも無茶はしないでおくれよ、マイハニー」

「それは無理ね。全力でプレゼントを配りまくるわよ。それから、サンタと呼びなさい」


 トナカイとのやりとりを見ながら少年は自分がポカンと口を開けているのに気が付いた。

 サンタはそんな少年の顔にクスリと笑って言った。


「安心して。今日はクラスのみんなにプレゼントを置いてまわってあげるから。サンタがいるって信じてくれたキミへのお返しにね。『本物のサンタ参上! あの子をバカにしたら許さない!』っていう脅し文句もつけてあげるね」

「そ、それ、サンタさんのすることじゃ……」

「いいのいいの。少しぐらいガツンと言ってやらないと」

「彼女、怒らすと怖いんだ」


 トナカイが耳元でそっとささやくと、少年は「ぷ」と吹き出した。


「なにか言った、トナカイ?」

「いいえ、なんにも」


 ぶんぶんと首を振る恋人を訝しく思いつつ、少年に顔を向ける。


「今日は本当にありがとう。最後に君の家をまわるけど、何か欲しいもの、ある?」

「う、ううん! 今日は本物のサンタさんと話ができただけで、じゅうぶん。最高のクリスマスプレゼントだったよ」

「そう言うと思った」


 少年の笑顔にサンタはニコッと笑うと、トナカイに引っ張られながら聖夜の空に消えて行った。


 それからしばらくして、夜空から雪が舞い降りた。

 不思議と温かいその雪の結晶に、少年はそれがサンタからの贈り物に思えたのだった。



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