古城の魔女様、笑顔を求む

 あるところに、古城に住む一人の魔女がおりました。

 魔女は人々を恐怖におとしいれ、その顔を眺めるのが大好きでした。


 大きな化け物の姿で追い回したり、死の呪いをかけたと冗談を言って怖がらせたり。


 どれも魔女にとっては他愛もないイタズラ程度のものだったのですが、人々にとっては恐怖以外の何物でもありませんでした。


「ああ、愉快愉快。こんなに愉快であるなら、いくらでも怖がらせてやろう」



 魔女は、今日もまた人里に下りて行き、怖がらせる相手を探していました。


「昨日は年老いた男を怖がらせたからのう。今度は子どもでも怖がらせてみようかの」


 きょろきょろと辺りを伺うと、川のほとりに一人の女の子がおりました。

 一生懸命、手に持つ桶で川の水を汲んでいます。


「おお、これは絶好の獲物じゃ」


 魔女は舌なめずりをすると、大きなこうもりに変身しました。


「ひょひょひょ、これで怖がらせてやろう」


 バサバサと空を飛びながら女の子の上を飛び回り、その目の前に急降下すると


「ばあ!」


 と言って驚かしました。


 ところが、女の子は驚くどころかきょとんとしています。

 いつもなら、ここで腰を抜かして恐怖に顔を歪めるはずなのですが、女の子はまったく微動だにしません。


「ばあ!」


 魔女は恥ずかしながらも、もう一度叫びました。

 女の子は、きょとんとしながら答えます。


「だれ? だれかいるの?」


 魔女は女の子の目を見て気が付きました。


「そなた、目が見えぬのか……」


 目が見えないのならば、こうもりの姿で驚かそうと思っても意味がありません。

 魔女はパッともとの姿に戻り、残念がりました。


「なんじゃ。怖がりもせんのなら、ちいとも面白くないわい」


 あてのはずれた魔女は別の獲物を探そうとその場を立ち去ろうとしました。

 ところが、女の子の言葉に足が止まります。


「もしかして、古城の魔女様ですか?」


 魔女は振り返りました。


「なぜ、わらわのことを知っておる?」

「だって、みんな言ってるもの。古城の魔女様にいつも驚かされるって」

「驚かしておるのではない。怖がらせておるのだ」

「怖がらせて、どうするの?」

「どうもせん。ただ、わらわが面白がるだけじゃ」

「面白いの?」

「ああ、面白い。愉快でたまらん」

「ふうん」


 女の子は特に興味なさそうに水の入った桶を持つと、つえをついて歩き始めました。

 小さな桶とはいえ、女の子の力では大変そうです。

 魔女は思いました。


(あの水桶を奪ってやろう。どんな反応を示すのか、楽しみじゃ)


 思いつくなり、女の子の手から勢いよく水桶を奪い取りました。


「ひょひょひょ。この水桶はもらった。返してほしくば……」


 魔女が言い終わらないうちに、女の子は言いました。


「運んでくれるの? ありがとう」


 そう言って、ひょいひょいと歩いて先に行ってしまいました。

 驚いたのは魔女のほうです。


「え、あ、ちょ……」


 水桶を持ったまま茫然と立ち尽くしていまいました。


「ど、どうすればよいのじゃ、これを」


 仕方なく、魔女は水桶を持って女の子のあとについて行くことにしました。

 女の子の向かった先は、小さな古い木造家屋です。

 魔女の住む古城と違って、ところどころ板が腐っており、今にも倒れてしまいそうなボロ屋でした。


「ただいま、お母さん」


 女の子がそのボロ屋に入ると、木製のベッドに横たわるやつれた女の人が出迎えました。


「おかえり。あら、その人は?」

「古城の魔女様だよ」

「古城の魔女様?」


 女の子に言われて、母親は魔女に目を向けます。

 魔女は自己紹介をしました。


「古城の魔女じゃ」


 いつもいきなり驚かすだけだったので、こうして面と向かって自己紹介をするのは初めてでした。

 母親は上半身を起こすと、深々と頭を下げました。


「あらあら、はじめまして。わざわざこんな場所までお越しくださってありがとうございます……」

「魔女様はね、わたしの代わりに水を運んでくれたの」

「まあ、それはそれは」


 言われて魔女は水桶を持ったままだったことに気が付きました。


「ふん、ちょっとした手違いじゃ。ほれ、ここに置いておくぞ」


 そう言って、入り口近くに水桶を置いて帰ろうとすると、女の子に呼び止められました。


「魔女様」

「なんじゃ?」

「ここまで運んできてくれてありがとう」


 そう言って、女の子がニッコリと笑います。

 その笑顔を見て、魔女の心に不思議な感情が芽生えました。


(人間とは、このような顔もするのだな)


 いつも恐怖に歪む顔ばかりを見ていた魔女にとって、それはなんだかとても新鮮で心地よい表情でした。


     ※


 それからというもの、魔女は何人もの人間を怖がらせましたが、いままで感じていた愉快さというものがあまり感じられなくなりました。


 人間を怖がらせるたびに、何か寂しいような、悲しいような、後ろめたい気持ちがわき起こります。

 人間を怖がらせることに生きがいを感じていた魔女にとって、それはとても重大なことでした。

 このままでは、生きていても何一つ楽しくありません。


(むう。これはきっと、あのむすめのせいだな)


 魔女はそう思い、女の子の住んでいるボロ屋に赴きました。

 女の子を怖がらせれば、きっといつもの愉快な感情が戻ると思ったのです。


 見た目を変えても怖がってはもらえないので、声色を変えて怖がらせることにしました。

 魔女は声も自由自在に変化させることができるのです。


 どんな声で怖がらせてやろうかとボロ屋の入り口から覗いてみるとなぜか女の子は泣いていました。

 見ると、女の子の目の前には今にも死にそうな顔をした母親が横たわっています。


「なんじゃ、病気か?」


 魔女は思わず中に入ると、するすると近寄って声をかけました。

 女の子がびっくりして魔女に顔を向けます。


「魔女様!? どうしてここに……」

「う、うむ。ちと様子を見にな」


 魔女はしどろもどろになりながらウソをつきました。

 まさか、怖がらせに来たとも言えません。


「ところで、どうしたのじゃ? かなり顔色が悪いようじゃが」


 魔女の言葉に、女の子はかすれた声で答えました。


「お母さん、朝から全然返事がないの。それで身体を触ってみたらすっごく熱くて……」


 確かに母親の顔は真っ赤に染まり、意識がありません。

 どうやら女の子は病気で寝込む母親をずっと一人で看病していたようです。


「父親はおらぬのか?」

「うん。お父さんはずっと前に死んじゃった」

「そうか」

「どうしよう……。お母さんもこのまま死んじゃうのかな?」

「ふむ」


 魔女は母親に目をやり、症状を確かめました。

 危険な状態であることに変わりはありませんが、古城にある薬草を煎じて飲めば、回復する病気でした。


 魔女は思います。


 このまま「死ぬ」と答えれば、きっと女の子はものすごく怖い思いをすることでしょう。

 それは自分がこれまで見てきた愉快な顔です。

 見たいと望んでいた顔でもあります。


 ですが、目の前で泣きじゃくるその姿を見ていると、そんな言葉はとても投げかけられませんでした。

 

 魔女はしわがれた声を変化させ、しっとりと落ち着いた声で女の子に言いました。


「大丈夫じゃ。心配するでない。わらわの古城に薬草がある。それを煎じて飲めば、すぐによくなるわい」


 魔女の言葉に、女の子の目から涙が止まりました。


「ほんと?」

「ああ、ほんとじゃとも。魔女は冗談は言うがウソはつかん」


 さきほどのウソは別だがの。と、心の中で付け加えます。

 とたんに、女の子の顔から笑みがこぼれました。


「ほんと!? ほんとに助かるの!?」


 その笑顔を見て、魔女は思いました。


(ああ、わらわは本当はこの顔が見たかったのかもしれん)


 魔女は言います。


「しばし、待たれよ。すぐに煎じた薬草を持ってくるでな」

「うん! うん!」


 コクコクとうなずく女の子に魔女は笑みを浮かべると、この世界でもっとも速い鳥の姿に変化して古城へと戻って行きました。



 そうして、1時間もしないうちに魔女は再び姿を見せました。

 手には、緑色の液体が注ぎ込まれた瓶を持っています。


「待たせたの」

「魔女様!」

「さ、これを母に飲ませよ」

「うん」


 魔女から瓶を手渡された女の子は、慎重に瓶の中からスプーンを使って母親の口の中に液体を含ませました。


「特殊な呪法を使ったからの。すぐに効くはずじゃ」


 魔女の言葉通り、母親が液体を口にふくんだとたん、顔からスッと赤みが消え、荒れていた呼吸もだいぶ穏やかになっていきました。


「お母さん?」


 女の子の言葉に、母親はパチリと目を覚まします。

 むくりと起き上がり、何がなにやらわからない顔をしていました。


「あれ? わたしは……」

「お母さん!」


 女の子が身体に抱きつくと、母親はよくわからないまま「あれあれ」と娘の身体を抱き寄せました。


「どうしたの? なんで泣いてるの?」

「お母さん、本当によかった。朝から全然返事がないし……身体中熱くなってるし……。このまま死んじゃうのかと思った」


 女の子の泣き顔に、放心状態だった母親は気が付きました。


「もしかして、わたし病気で意識を失っていたの?」

「うん」


 母親は「まあ……!」と声を上げながら娘の身体をぎゅっと抱きしめました。


「ごめんねぇ、心配かけたねぇ」

「怖かった。本当に怖かったよお」

「ごめんね。ごめんね」


 二人の親子の抱き合う姿に、魔女は気恥ずかしくなって「コホン」とひとつ咳払いをしました。


 すると、それに気づいた母親はすぐに魔女に身体を向けました。


「こ、これは魔女様。いらっしゃっていたのですか?」

「うむ、まあな。元気になってなによりじゃ」


 魔女の言葉に続いて、女の子は言いました。


「魔女様がね、お母さんのためにおくすりを持ってきてくれたの」

「おくすり?」

「ほら、これだよ」


 そう言って差し出された瓶を見て、母親は頭を下げました。


「まさかわたくしのために……。ありがとうございます。本当にありがとうございます」

「よいよい」


 魔女は、心がなんだかポカポカしてきて不思議に思いました。

 それは今まで生きてきた中で、感じたことのない感情でした。


 愉快でもない、楽しいというのでもない。

 言うなれば、温かい気持ちでした。


「あの、何かお礼をしたいのですが、わたくしたちに出来ることはないでしょうか?」


 母親はこのまま魔女を帰すには忍びないと思い、そう尋ねました。


「お礼?」


 魔女は首をひねりました。

 悠久の時を生きてきた魔女にとって、お礼をされることなどいままでありませんでした。

 怖がられることはあっても、ありがたく思われたことなどなかったのです。


「お礼と言われても、わらわに欲しいものなど特に……」


 そのとき、魔女はピンときました。


「いや。そうさな。最近、人間を怖がらせても愉快に思えんようになってきた。どうすれば愉快になれるか、人間のおまえたちに教えてほしい」

「愉快に?」


 母親はきょとんとしながら、娘に顔を向けます。

 とたんに女の子はパアッと顔を輝かせながら答えました。


「そんなの簡単だよ!」

「なに、簡単とな?」

「みんなを笑わせてあげればいいんだよ!」

「わ、笑わせる?」


 思いもかけない言葉に、魔女は目をパチクリさせました。


「うん。だって、人間を怖がらせたって全然面白くないもん。みんなを笑わせた方が、絶対愉快になれるよ!」

「い、いや、笑わせると言ってもだな、わらわにはどうすればよいか……」


 しどろもどろになる魔女に、母親は言いました。


「ふふふ、魔女様、お気づきになりませんか? あなた様はすでにそれをやっておられますよ。この子の笑顔が何よりの証拠です」


 言われて魔女は気が付きました。

 母親の胸に抱かれる女の子がまぶしいほどの笑顔を自分に向けていることに。

 それを見て、魔女はなんだかとても楽しい気分になりました。

 それは人間を怖がらせた時とは比べ物にならないくらい愉快な気持ちでした。


「笑顔、笑顔か……。うむ、いいのう、笑顔! こんなに愉快な気分が味わえるなら、毎日人間を笑顔にさせたいものじゃ。ありがとう、わらわに必要なものがなにかわかった気がする。これからは、人間を笑わせることを第一に考えよう」

「わあ! 魔女様、ありがとう」

「こ、これ。なぜおぬしが礼を言うんじゃ。逆であろう」

「だって、嬉しいんだもん!」


 にこやかに笑う女の子の笑顔に、魔女も笑いが込み上げてきました。


「ふふ、ふふふ、ふぇっふぇっふぇっふぇ」


 こんなにも心から笑ったのは、初めてでした。

 笑いながら魔女は思います。


(まさか人間を笑顔にするだけで、こんなにも清々しい気分になれるとはのぉ。こりゃ新たな生きがいを見つけたわい)



 その後、古城に住む魔女は、たくさんの魔法で多くの人間たちを笑顔にさせたということです。


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