怨霊の話
『アリス』が向こう側に呼ばれていない時どこにいるのかと言えば、己の『領域』の中である。正確には、己の支配する『怪談の国』と、『あの男』の『廃校舎』が微妙に重なり合った空間。怨霊である『アリス』と悪霊である『あの男』は、共に場を創ることに長けていた。
とは言え、怨霊として生きとし生ける者を憎悪していた『アリス』を解放してくれた青年を守るようになって、何年か経った。今では怨霊と言うよりも守護霊としての属性が強くなっている。だがしかし、やはり怨霊は怨霊である。
実際、『アリス』の最も得意な『御技(みわざ)』は、己の死の瞬間を相手に追体験させることだ。硫酸で顔を焼かれた、窓の外に突き落とされた、水底に沈められた――悪意ある何者かによって、時を繰り返す術式に囚われていたアリスは、共に囚われた者たちによって幾度も殺された。そんな、何十、何百回もの死のストックが、アリスの武器だった。
しかし、今アリスが守っている青年は、他者を殊更に痛めつけることを良しとしない。対立した結果止むを得ず戦うことはあっても、無闇に傷つけることはしない。その在り方こそ『アリス』が彼を守ろうと決めた埋由であり、同時にやりにくさを感じる所でもあった。
怨霊としての『アリス』は、敵対者に決して容赦はしない。圧倒的な恐怖と畏怖で以て敵対者の存在を塗り潰す。それはある意味怨霊の本能と言えるものであり、だからこそ、相当の努力と忍耐でもって押さえ付けなければならないものであった。
「アリス、アーリスー! ねえ、こっち向いてよ、ここ通るの久し振りじゃない?」
対して、この『少年』は、と『アリス』は気だるげに声の主に視線を向けた。アリスと目が合ったことで嬉しそうにしている『少年』は現役の怨霊だ。『廃校舎』の家庭科室に縛り付けられている地縛霊。彼の死因は、家庭科室を根城にしていた怨霊たちに囚われたことによる餓死だが、今ではその怨霊たちを喰い尽くして、家庭科室の主と化している。
「こんにちは、カイ君」
「こんにちは、アリス! ねえ、お茶でも飲んでいかない? お菓了もあるよ!」
「ごめんなさいね、お茶会をする時間はないの。気持ちだけ受け取っておくわ」
「じゃあまた今度、その時はおいしいケーキを用意しておくね!」
「えぇ、それじゃあさようなら」
少年の言うおいしいお菓子は、一口で死に至る呪いの菓子だ。毒は入っていないが、一口でも口に入れれば――絶え間ない飢餓感に苛まれ、己を見失って無惨な死を迎えさせられる。それは、『少年』こと『カイ』の死の再現だ。
『アリス』は一度、窓越しに受け取ったお菓子を己の『ケンゾク』に下賜してみたのだが、彼から受け取った菓子は金輪際口にしないと決意する程度には酷い結末を迎えていた。そう、酷い結末だった。
「それでも、あの子を守るためには、それだけじゃあダメなのよ」
怨霊とは、そう言う存在だ。恨み、憎み、いつだって自分以外の全てを破滅させようとしている。けれど、『アリス』が守護霊として在ろうとする限り、それだけでは駄目なのだ。『アリス』はぽつりと呟き、『怪談の国』へと溶けていった。
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