鏡
マリアがギルドで活動する中クリスとエミリーは、暇を持て余していた。鮮やかな青い空の下帽子をかぶった二人は、暖色の街をぶらぶらと歩く。手にはドリンク。蓋の上からストローが突き破っている。
「標的を切り替えたほうがよさそうね」
「誰にするんだよ?」
「危険度が高いやつ」
「やばくないやつのほうが珍しいんじゃないか?」
嫉妬がおとなしいくらいで大罪の危険度は横並びだ。
「あたしは強欲を潰したい」
「あいつ、どこに逃げたんだろ」
「知らないわよ」
現状、彼らが位置を把握している大罪は、嫉妬のみ。他はマークできていなかった。
途方に暮れる中急に上品な香りが、鼻孔をかすめる。見ると店があった。側面をディスプレイや花で装飾してあり、透明な窓を通して内部の様子を伺える。売り物は鏡だけだろうか。ドレッサーやタンスといったものはないらしい。ただしどれも優美なデザインをしていて、高級感が漂っている。
「わー、おしゃれ」
さっそくエミリーが中に入る。
「おいおい。散財には気をつけてくれよ」
「見にいくだけよ。鏡なんて使わないもの」
「なんだい、それはつれないねぇ」
軽々しいやり取りをしていると、カウンターのほうから声がした。
そちらを向く。立っていたのはエレガントな女性だった。上質なスーツを着こなし、シンプルな装飾品で身を飾っている。
「あんた、見惚れたね?」
視線がかち合う。くっきりとした形をした目だった。
「へ?」
クリスは気の抜けた声を出す。
「恥ずかしがらなくてもいい。素直に言ってごらん」
「いや別に。興味はないです」
「かわいくないねぇ」
素直に言って拒むも、相手は話を聞かない。おのれに見惚れぬ男はいないと決めつけているような態度。実際に彼女は美貌の持ち主だ。鼻が高くメイクをばっちりと決めた、派手な顔。見た目だけなら若々しい印象を持つ。
「私を気に入ってくれたのなら、買ってくれるよね?」
相手が自分を気に入ったという前提で口にし、鏡を指す。クラシックな模様が刻まれた枠の内側、なめらかな金属が映す世界は、どれもクリアだった。
「いいえ。私たちはそのようなつもりで来たわけではありません」
「冷やかしかい、つまらないね」
冷静に伝えると女性は唇を尖らせた。
さすがに失礼だったかと反省しつつ、クリスはエミリーへ目線を向ける。
「なにか買っていってもいいんじゃないか?」
「駄目よ」
エミリーは頑なだ。買わないと決めた以上、彼女の意思は変わらない。
「せっかく来てくれたんだ。もしかしてと思ったんだけどね」
店内に曇った空気が広がる中、女性はがっかりといった様子でつぶやき、彼方を向く。
「え、なにかあるんですか?」
エミリーが食い入るように迫ると、相手は真顔で店の奥を指す。そこには堅い扉が閉じていた。
「開かずの間の奥に鏡を飾ってるのよ。
へーとクリスは聞き流すが、エミリーは違うようだ。
「つまり、あたしたちなら使いこなせるかもってことよね」
チラリと彼のほうを向く。
「ねえ、見に行かない?」
「僕はいいよ」
クリスは冷めていた。
「だけど」
選ばれし者がいるとしたら才能に恵まれなかった娘よりも、彼のほうだと思うのに。
もどかしさを抱えている内に、クリスは外に出ていく。
「ちょっと待ってよ」
エミリーも急いで駆け出す。店主に背を向け、出口へ。
カップルにも見える二人を見届けて、女性は一人、苦笑を漏らす。
「やれやれ。当たりだと思ったんだけどね」
眉をハの字に曲げて。
けれどもクリアに澄んだ瞳は、確かな光を放っていた。
***
クリスとエミリーが去ってから数時間後。
マリアは二人と同じ店を訪れる。
別段、好きでやって来たわけではない。商店街を通りがかったとき、スーツ姿の店主が声をかけてきたのだ。
「いいものがあるわよ、見に来て。後悔しても遅いよ。今しか手に入らないんだからね。夜にうなされても知らないわよ」
おすすめとも脅しとも取れる客引き。
心の底から震え上がるような悪寒に襲われ、少女は店に入ったのだ。
「数ある店の中から
「たまたま来ただけよ」
熱い視線を送る女性を無視して、商品に目を向ける少女。
吸い寄せられたのはシンプルな鏡。金属の面が不透明でなにも映していないのが気になった。
「それは真実を映す鏡ね」
「覗くとどうなるの?」
もったいぶったような間の後、口元を片方だけつり上げて、女性は答えた。
「あんたの正体が映るのよ」
なんと予定調和。リアクションに困る。
だが、気を遣うだけ無駄と判断し、シラけた反応を取る。
「ただの魔道具なんでしょう?」
「そうさ」
ただのと切り捨てたが、女性は気にしない。
「あたしだったら絶世の美女が映るだろうけど、あんたはどうかしらね?」
煽るような口調。彼女はよほどおのれの容姿に自信があるようだ。少女にはそれがない。外見は普通でもその正体は殺しに特化した、呪術使いだ。鏡を覗いたところで化け物が映るだけだろう。正体は見ないほうがいい。分かっているのに心がうずく。確かめたくなる。
マリアは恐る恐る、鏡の前に立った。
直後に銀色の面が白く輝く。その色は失われ前方にクリアな景色が広がった。海だ。寄せては返す波に呼応して、穏やかなさざ波が鼓膜を揺らす。別世界に来たか、もしくは現実と鏡の世界が一つになったかかのようだった。
そして海の中に細いシルエットが浮かび、人の姿を形作る。
ほどなくして現れたのは人魚だった。鱗に覆われヒレのついた足。まるで魚。肌は白く、柔らかさを感じ取れた。ウェーブのかかった青い髪は水で濡れ、体にも水滴が浮かんでいる。その姿は人間離れしており、神秘的だった。
なんて美しい。これが自分だなんて信じられない。
言葉をなくして立ち尽くす少女。
女性は気楽に声をかける。
「買ってもいいわよ」
どうやら相手には人魚の姿は見えていないようだった。
「別にいいわ」
あっさりと断る。
なにしろ買う理由がない。覗き込んだ時点ですでに鏡の役割を果たしているのだから。
マリアは踵を返すと流れるように、出口へ向かった。
女性は無言で彼女を見届ける。未来を案じるような目をしていた。
マリアは気にしない。悲劇が起こるわけでもあるまいしと。
色を映さぬ瞳で前を向き、暖色の街を歩き続ける。
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