終わりの始まり

依頼

 入道雲が浮かぶ濃い青空の下を、二人の男女が歩く。


「君、マリエッタちゃんと一緒にダンジョンに行ってたよね? ずるいっしょ。あたしもマリエッタちゃんと遊びたかった!」

「その件に関してはすまなかったな。あなたを誘ってやれなくて」


 笑いながら繰り出された文句をを受け止めつつ、男は冷静に言葉を返す。


「だが、分かってくれないかな? あなたをダンジョンに連れていくのは不安があるのだよ」

「あたしなら大丈夫だよ。危険なことなんて早々、起きないっしょ」

「起きたから言っているのだよ」


 軽く口にする彼女に対して、彼はあきれたようにつぶやいた。


 以降も二人は話しながら道を進む。市街地の奥へと遠ざかっていく彼女たちを、遠くから睨みつける影が一人。Aラインのスカートが風に揺れ、波打つ黒髪が激しくなびく。少女はギリギリと歯を鳴らし、ギュッと拳を握りしめると、皮膚の内側に指が食い込んだ。

 焼け付くような日差しの下、ジリジリとした焦燥を抱えて、彼女は直立する。

 二人には近づけなかった。彼女たちは美男美女。その並びがあまりにも完璧すぎて、入り込む余地がない。傍から見れば本物のカップルにも見える。実際に二人はそう演じていた。

 間男との一件以来、フランとアウローラは二人で動くようになる。そう仕向けたのは事実だが本当に恋人同士になってほしいとは、思っていなかった。自業自得ではあるものの、胸中ではもやもやが膨れ上がる。

 どうして自分がこのような感情を抱かねばならないのか。

 どうしてフランは自分以外の誰かと一緒にいるのか。

 彼の隣に立つべきは自分ではないのか。

 持って行き場のない感情が、募りに募る。


 マリエッタ・ローレライ。彼女が嫉妬を冠する女であることは、疑う余地もない。

 二人のことは嫌いではない。むしろ好感を持っているはずなのに、憎らしくて仕方がなかった。消えてほしい。存在そのものをなかったことにしたくて、たまらない。彼らがいるせいで自分の醜さが強調されるから。

 彼らが悪い。そう思わせてほしかった。

 けれども、そんなものはありえない。自身を肯定する材料も、同情できる事柄もありはしない。分かっているのに、もどかしい。間違いばかりが、その証拠がどんどん積み重なっていく現状が。


 以降もマリアは柱のように立ち尽くしたまま、彼らを見送った。二人に手は出せない。代わりに乾いた表面の内側では煮えたぎるような憎悪を燃やし、黒い炎は消える気配を見せなかった。


「仕事にはいつ手をつけるつもり?」


 迫る影。素知らぬ顔で声をかける。

 生憎と今は機嫌が悪いのだ。この際、相手が誰であろうと関係ない。


「うるっさいわね! よりにもよってこのタイミングで現れたこと、後悔させてやるわよ!」


 言うが早いか槍で突きにかかる。

 相手はとっさに下がって、攻撃を避けた。

 ひらり。艶のない黒い衣が揺れる。


「いきなりなに?」


 ぽかんと呼びかけるも少女は止まらない。

 槍を棒のように振り回しながら、距離を詰める。


「ああ、本当に腹が立つ。なんなのよあいつ、いい子ぶってんじゃないわよ!」


 自分勝手に憤りをぶつける少女。


「あんなやつがいるからいけないのよ。いなくなっちゃえばいいんだわ。そうよ、そうすればあたしだって平和でいられる」

「先ほどから目的が読めないのだけど。私をサンドバックだと勘違いしているのか?」

「知らないわよ。いいから全部、燃えつきろ!」


 彼女が槍を掲げると黒い炎が吹き出され、相手を襲う。

 女は走って攻撃から逃げ、民家の陰に避難した。


「本当……なんなの?」


 ぼうぜんと言葉を吐く。


「挑むのなら別の者にしたらどうだ? こう見えても私には戦闘力がない。洒落にならないためやめてほしいのだけど」


 口調は淡々としているが、顔には汗が浮かんでいる。

 一方でマリアは話を聞かない。走って突きに来る。なお、激昂しているせいかコントロールが悪い。穂は真横を通り抜け髪を何本か、かすめ取っただけ。

 それでも死を間近に感じるには十分だった。悲鳴を押し殺す代わりに白塗りにした肌が、蒼白へ転じる。

 身がすくみ動けなくなったとき、虚空より大きな声が響いた。


「面白いことをやっておるではないか!」


 両者ともに反応して彼方を向く――暇はなく。声の主は猛スピードで地上に降り立つと、二人の間に介入した。

 その何者かの容姿も見ずにマリアは槍を向ける。


「黒き炎よ我が思いに応えて、燃え上がれ。妬き、焦がし、この地を暗黒へと転じよ」


 詠唱を唱えると穂の先から黒い炎が噴き出し、周りを焼き尽くさんとする。

 男も即座に対応。キレのある動きで腕を伸ばし、手をかざす。

 手のひらから魔力を放つと、気持ちのよい音が発生。炎が目の前から消えた。空間ごと刈り取られたか、見えない箱に術を閉じ込めたか。原理は理解できないが、強大な力を目の当たりにしたような気がして、ぞくっとした。

 遅れて相手の容姿が視界に飛び込む。


「あんたは……」


 唇を震わす。

 目の前に立っていたのは、王の風格を持つ男。浅黒い肌に砂漠の国の宮廷服。ゴージャスな装飾品を全身にまとっている。髪は朱色のオールバック。瞳は虹が混じった水色で、ウォーターオパールに似た異質な雰囲気を醸し出していた。

 彼はレオ。傲慢を冠する男であり、マリアを嫉妬の座に勧誘した張本人だった。

 隣に立つは前髪をまっすぐに、横髪を四角く切りそろえた女。極東の物珍しい衣装を着ている。その生地の黒さが彼女の持つ暗さを強めていた。


「血気盛んなのは結構である。だがな、この女への手出しは許さぬぞ」


 力強い主張が周りにプレッシャーを与える。

 かと思うと急に空気が変わった。


「まあ俺様なら問題はないがな! 処罰はせぬから安心せよ」


 きっぱりと言い切ると豪快に笑い始めた。

 緊張感も重圧もない。いままで満ちていた殺気や不穏な気配はどこへやら。完全にレオにこの場を支配されている。


「さて、俺様の役割は終わりである」


 次に彼を隣に立つ女へ視線を向ける。


「サクよ、貴様も要件を済ますのだ」


 簡単に言い残すと、背に翼を生やし、飛び立った。

 目で追う暇もなく、彼は一瞬で姿を消す。羽すら残らなかった。

 場にはぬるい空気が漂うのみ。


 マリアも冷静になったところでサクと呼ばれた女は、口を開く。


「あなたに依頼がある」

「なんであたしになのよ?」


 嫌そうな顔をする。


「有能な奴ならいくらでもいるじゃない」

「ああ、だろうな」


 認めた上で女は告げる。


「あなたに託す仕事は難しくはない。他のメンバーを行かせるまでもないと判断しただけ。要は誰でもよかった」


 なめた態度。


「不安であれば護衛を付けてもいいのだけど」


 それはわざとか。怒らせるためにその言葉をチョイスしたのか。カチンときて額に青い筋を浮かべる。

 とはいえもはや断る気にもなれない。


「ふん。分かってるわよ。やればいいんでしょ?」


 やけになって言葉を吐く。


「で、なにをすればいいの?」

「グラジオラスの下部組織。盗賊団を潰してほしい。その、邪魔なので」


 虫の魔物を退治せよと伝えるように、遠慮がちに。


「本当に雑用みたい」


 ぼそっと零す。

 多少は惨めではあるけれど、もはやどうでもよい。

 弱者でも可能なことであればやり遂げるまで。そのために自分はいるのだから。

 気持ちを切り替えて前を向く。ウェーブの髪が揺れる。夏にしてはやけに冷めた乾いた風が吹き抜けていった。

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