約束

 待ち合わせ場所は中央に建つ塔の前。

 フランは相手よりも先にやってきて、銅像のように立っていた。


 そこへマリンルックに身を包んだ少女が姿を現す。

 彼女は眉を寄せながら彼を見据える。

 その瞳は勿忘草わすれなぐさ

 冷たさをはらんだ色をしていた。


 乾いた風が潮の匂いを連れてくる。

 ウェーブのかかった髪がなびいて、海に似た青を眼前に広げる。

 毛先は白くグラデーションをしており、全体が透けてベールのような印象を持った。


 彼女の変貌した容姿に瞠目するも、驚きはせず。

 フランはため息まじりに口を開いた。


「あなたは『大罪』だな」


 グレーがかった入道雲が太陽を覆い隠す。

 不穏なほどに薄暗い。

 地面に伸びた濃い影。

 漆黒に染まったエリアの中で、両者は向き合う。

 鋭い風が二人の間を横切っていった。


「そうよ」


 開き直ったようなふてぶてしさ。

 もっとも、強気な態度は虚勢に過ぎない。

 色ガラスに似た瞳は震えていた。


 本音を言えば逃げたかった。

 しかし、運命は彼女の足首を掴んで、離さない。


 覚悟は決まっていた。

 歪んだまま停滞した関係を、終わらせよう。

 感謝を冠する者と決着をつける。

 それゆえに彼の前に、姿を晒した。 


 刃を突き立てるのなら、今しかない。

 体を固くしながら力強い目で、相手を見上げる。


 負けば死。

 潔く、罪を引き受ける。

 目の前で散ることがおのれの犯した欲への、対価だ。





「安心してほしいのだよ。こちらに危害を加える気はないからな」


 先手を打ってなだめると、風がピタッと止んだ。

 彼の発言は想定外で、拍子抜け。

 体から力が抜けて、動きが止まる。

 警戒心は解かない。

 相手には裏があるはずだ。


 探りを入れ、言い当てる前に、フランは白状する。


「あなたからは呪術師の気配がしたからな。予想はしていたのだよ、あなたが大罪――嫉妬を冠する者だとは。ゆえにあなたに目をつけ、近づいたのだよ」


 話を聞いて内心でため息をつく。

 予想はしていたけれど、裏切られたような気分だ。

 記憶の中の情景――額縁に収めた絵画がガラスのように砕け散る。

 彼に抱いた恋心も、共に過ごした日々のときめきも。


 足元に咲いたしぼんだ花、曇った空、薄暗い背景。

 淡くモノクロームに溶けていく。

 心にはほろ苦い味が広がった。

 上っていた熱は冷める。

 ドライになった気分だ。


「すまなかったな」


 眉を垂らして謝る。

 心からの気持ちを伝えた上で、告げた。


「あなたを殺したくはない」


 たちまち、少女の心は震撼した。


「私があなたに接触を求めたのは、悪か否かを確かめるため。戦うにしても人と成りを確かめてからに、したかったのだよ」


 話を聞いても、うまく呑み込めない。

 混乱と衝撃で頭がシャッフルされている。


 ただ一つ、なにを言っているの? と問いただしたい内容があった。

 悪か否かなんてアウトに決まっている。

 自分は悪。

 倒されて終わる存在なのだから。


「あなたは普通の女性だ」


 淡く溶けるような言葉と声。

 少女は目を見開き。

 色ガラスの瞳を震わす。


「黒く染まりきってはおらず、人の領域に留まっている。負の感情を持ちながら、支配されない。そんな強さを持っているあなたには、人として好感が持てるな」


 最後の一言を聞いて、マリアは深く息を吸い込む。

 動揺と戸惑いが波のように心をかき乱し、汗をかきながらも、胸を突かれる思いを抱く。

 受け入れたい気持ちと、受け入れてはならないと叫ぶ現実が、ぶつかり合う。

 感情を収めた器が壊れ、こぼれそうだ。

 もう、耐えられない。

 甘いムードを打ち払うように、彼女は声を張り上げる。


「嘘! 嘘! 嘘!」


 叩きつけるように否定の言葉を重ねる。


「呪術を肯定したことも、あたしの心を認めてくれたことも、海で心配してくれたことも」


 脳内をフランの顔がフラッシュバックする。

 思い返すほどに彼の温かさが、身にしみた。

 ほのかな甘酸っぱさの中に、明確な痛みを感じる。

 泣き濡らしたかのような空の青に、暗雲がかかった。

 しっとりとした風が吹き、潮の香りが鼻にしみる。

 心の中はしょっぱい味で満ちていた。


「なにもかも、偽物だったじゃない!」


 怒りにも似た慟哭。

 青年は静かに受け止める。

 言い訳も反論もしない。

 畳み掛けるように、彼女は叫ぶ。


「知ってたわよ! あんたがあたしを探っているだけってことくらい! でも、あたしはあんたに近づきたかった! こうでもしないと、見てくれないって、分かっていたから」


 フランは英雄だ。

 普通の人間では彼の視界に入らないが、大罪ならば、見てくれる。

 敵対者として。


「利用したのよ。あたしの立場を」


 息が抜ける。

 しゅんとおとなしくなったように、彼女は肩から力を抜く。

 口を閉ざして、魂が抜けたように立ち尽くした。


 風が凪いだ後、青年は答えを吐く。


「そうだな」


 目を伏せて。


「私は偽りしかない人間だ」


 影のかかった顔。

 罪を背負ったような表情。

 マリアは目を見張り、息を呑む。


 彼女のビジョンでは彼が仮面をつけているように見えた。

 実際にはなにもつけていない。

 ただ、感じただけ。

 けれども、輪郭だけがうっすらと見える。

 詳細を掴み取ろうと、手を伸ばした。

 けれども幻は霧と消える。

 本物の姿は見えなかった。


 しばしの無言。

 重たい沈黙。

 責めることすらはばかられて、なにも言えない。

 両者の間をぬるい風が吹き抜ける。

 ややあってフランは口を開いた。


「改めて言おう。私はあなたを傷つけない」


 なにごともなかったかのような、穏やかな口調。


「代わりに一つ、約束をしてほしいのだよ」

「約束?」


 例えば?

 その答えが見つからない。


「あなたはあなたのままでいてほしい」


 真っすぐな言葉。

 淀みはない。

 冷静すぎて冷淡にすら聞こえる。


 太陽の陰った空間。

 かすかなためらい。

 相手が対抗者である以上、安心なんて、できるわけがなかった。

 鼓動が胸騒ぎのように速まる。

 頬を汗が伝った。


 それでも彼が相手ならば、と。

 顔を上げ、彼を見据えて、唇を開く。


「分かったわ」


 重たい返事だった。


「そうか、よかった。ならばまず、カフェへ行ってみないかな?」


 安堵と共に笑って、流れるようにお茶に誘う。

 平然とした態度。

 相手が誰であろうと構わないといった、言い草。

 だが、それが彼なのだ。

 乾いた息を吐きつつ、受け入れる。


「ええ。あんたがそれでいいならね」


 かくして二人は、とある喫茶店に足を踏み入れた。

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