嫉妬
店に入ると、デザートの甘い香りとコーヒーの香ばしい匂いが、客を出迎える。
オシャレな店だ。暖かな色の照明がオシャレな雰囲気を演出している。
しかし、マリアの気分は盛り上がらない。
彼女は通路を突き進み、奥までやってくる。
選んだのは窓際の席だ。スカートの裾を抑えながら、腰を下ろす。
彼女はテーブルに頬杖をつき、陰りのある表情で外を眺めた。
そこへウエイトレスが現れる。
フランはアイスコーヒー、マリアはレモネードを注文した。
「あなたは随分ときれいだな。所詮もていねい。きちんと勉強をして接客業に挑んでいると見た。努力家なのだろう?」
「大したことではありません。ごく当たり前の仕事をしているだけですから、フラン様」
やんわりとナンパを回避して、顔をそむける。
なお、彼女の頬はぽっと紅く染まっていた。
明らかに照れている。
「では私は失礼します」
彼女は一礼すると丸い盆を抱えて、背を向ける。
「引き続き、頼むのだよ。あなたの接客は皆を喜ばせ、よい気分にさせるのだから」
遠ざかっていく彼女の背中に、呼び掛ける。
楽しそうなフランとは対照的に、マリアは不機嫌そうに、ムスッとしていた。
見知らぬ誰かが褒められている状況に、彼女は内心、苛立っている。
どうせなら自分だけを見てほしいと、彼女は思う。他の女なんて放って置けばいいのに。
とはいえ、特別扱いをしないのが、フランだ。
誰でも褒めるし、たとえ相手が悪人でも、よいところを探してしまう。
要はマリアは彼にとって、特別な存在ではない。
間違っているのはこちらのほうだ。
なにせ自身の心は嫉妬によって黒く染まっているのだから。
自覚はあるのにモヤモヤする。もどかしさが募る。
だからつい、口を開いてしまった。勢いに任せて。
「ねえ、どうしてなの?」
きつく尖った目を相手に向ける。
「なんで自分以外の誰かを、認められるの? 褒められるの? あんたは嫉妬したことがないわけ? 羨ましいとか、感じないの?」
早口で言葉を滑らせる。
「誰だって他人と比較したがるの。そこになんの意味がないと知っててもね。分かってたって、どうしようもないのが人間なの。これはもう、仕方のないことなのよ。それなのに、なんであんたは」
言葉の結びが小さく、薄れていく。
彼女は小さな唇を閉じて、うつむいた。
視線がレモネードに向く。
グラスの中に入った氷がカランと音を鳴らして、溶けた。
室内がぬるい温度に保たれる中、フランは口を開く。
「私にもあるのだよ、似たような感情は」
穏やかな口調で繰り出された言葉を聞いて、マリアが顔を上げる。
彼が肯定したことに驚いたと同時に嬉しさを感じ、小さな笑みを浮かべた。
まっさらな青年の像が崩れ去って、綻びが見えた。
勝ったと、謎の宣言を繰り出す。
もっとも、それはぬか喜びだった。
「しかし、私は妬みよりも憧れが勝るな。なりたいものになるために努力を重ねる。それが私のやり方なのだよ」
すらすらとフランは語る。
ああ、それが彼の答えなのかと、彼女は落胆した。
急に相手が恨めしくなる。
悩みも不安もなさそうで。
彼と同じ感性を持っていれば、楽だったろうに、と。
「簡単に言ってくれるじゃない」
不機嫌そうに吐き捨てる。
「つまり、足踏みを続けるあたしが悪いってわけ?」
「悪いとは言えないな。ただ、私の考えでは『あり』ではないのかな?」
フランの言葉を聞いて、マリアは目をそらす。
結局、彼も自分を否定するのか。
裏切られたような気分に陥り、淡い瞳に影が差す。
「そうか。あなたは、そんな人物だったんだな」
少し間を空けた後、彼は切り出す。
「当然だわ。あたしは嫉妬。それを冠する女なんだから」
気まずそうに視線を落とす。
グラスが水滴に覆われて、汗をかいていた。
「あんたは、どう思ってるわけ? あたしを」
牙を剥くように質す。
彼は気にもせずに、次のように答えた。
「嫉妬しているということは、相手を評価しているとも、取れるな。例に出すと、彼女だ。名はなんといったかな? マニッシュなあの子」
「ヒルダ・マギー」
「ああ、それだな」
仕切り直して、続きを述べる。
「実は彼女、あなたを高く評価しているのだよ」
「ええ? いきなりなにを言い出すの? そんなこと、あるわけないじゃない」
冗談かと思うほど、信じられない発言。
マリアはうろたえ、声を震わせながら、否定する。
「本当だ。ヒルダはあなたにライバル心を抱いているのだよ。同じ女の冒険者同士、負けられないと」
「あたしごときに? バカじゃないの?」
真顔になり、辛辣な意見を述べる。
「そう、彼女はあなたを評価しているのだよ。自身にとっての脅威だと」
対してフランは薄く笑った。
あくまで嫉妬という感情をポジティブにとらえる青年。
マリアはますます機嫌を悪くした。
険しい表情になった彼女を見て、彼は苦笑いを浮かべる。
「困ったな。睨まないでほしいのだよ。これを否定されたら、私が抱く感情すら、間接的に否定されないからな」
さりげなく真理を突く。
「我々の持つ感情は、同じだ。前向きに解釈すると、呪いに昇華するか。それだけの違いではないかな?」
柔らかな口調で問いかけ、勇気づけようとする。
彼の言葉は少女の胸に届いた。
いままでも、フランによって救われて、嬉しさを得た経験もある。
だが、今回は違う。
彼女の意思は変わらない。
心を覆った雲は晴れなかった。
なぜ自分がこのような曇った思いを抱かなければならないのだろうか。
理不尽な苛立ちをぶつけたくなる。
「やっぱり、あたしには無理だわ」
首を傾けて、笑む。壊れた機械のような笑い方だった。
「あんたみたいな生き方はできない。あたしはどうあがいても、妬いてしまう」
足りないものが多すぎて、自分で自分を肯定できない。
今のマリアにとってフランはまぶしすぎた。
誰かを褒め、認める彼は、理想のど真ん中をついている。
それゆえに直視ができない。
心の底では彼女も願っている。
他者をリスペクトできる存在になりたい。
それならば心がきれいなままでいられたのに、と。
「比べたがりだな。あなたはあなた。良いも悪いもない。ただ、それだけの話なのだよ」
「でも、あたしが未熟ってところに変わりはないじゃない」
彼がなんと口にしても、彼女の心は濁ったままだ。
あきらめたような顔をする少女の手前、青年は涼しげな顔の奥に、寂しげな感情を秘め隠す。
彼も理解していた。彼女は変わらないと。
それでも言いたかった。
たとえその感情が相手に欠片も伝わらなかったとしても。
ただ一つ。
自分は確かに彼女の味方であると。
フランは口を開かなかった。
本当の言葉は複雑な感情ごと呑み込んで、胸にしまい込む。
「では、私はこれで」
空白の時間を抜けて、フランはおもむろに席を立つ。
「それから、一つだけ。その髪色は隠したほうがいい」
冷静に告げる彼。少女はきょとんとした顔で見上げる。
歩き出し、店を出ていったフランを目で追いかけ、見届けた。
マリアはグラスを掴み、ぬるくなったレモネードを喉に流し込む。
会計は彼が払っていたらしい。彼女はまっすぐに外に出た。
頭上には厚い雲が広がり、空が混沌としている。
気持ちはうまく飲み込めない。
心の中がぐちゃぐちゃになっていた。
彼女は下を向きながら歩く。
今回で終わるはずだったのに……。
これからどうなるのだろうか。
いちおうは敵同士。最後には戦う羽目になる。
嫉妬を冠している状態では、フランの想いにも応えられない。
分かっている。大罪を辞めなければならないと。
しかし、決断は下せない。
たとえ運命で敗北が決まっているとしても、彼にはたった一人の少女を、見ていてほしかった。
永遠に心をつなぎとめていたい。
結んだ糸をほどきたくはない。
自身が嫉妬でなければ、彼とは接触できなかったのだから。
ただの少女に戻れば、彼は去る。
記憶から消してしまうかもしれない。
それは嫌だ。
戦いも怖いが、忘れられるほうが恐ろしい。
マリアはゆっくりと顔を上げた。
決意を秘めた目をして、前方を睨みつける。
少女は嫉妬としての自分を選んだ。
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