海はぬるま湯

呪術

 ルイとの一件でマリアとフランには接点ができた。

 以来、二人は関わり合うようになる。

 もっとも、マリアは相手が話しかけてくるのを待っているだけだ。

 基本はフランが自ら近づいてきて、声をかける。


 彼の正体は七つの大罪へのカウンター、対抗者。

 色黒の頬に浮かぶ白い紋章が、その証だ。

 決して心を許してはならない。


 とはいえ、あからさまに避けても怪しまれる。

 マリアはごく自然に彼と接していた。


 そもそもなぜ平凡な少女に構うのだろうか。

 こちらも相手の真意は知りたいため、彼を探る。

 探り合いはお互い様だ。


 駆け引きは嫌いではない。

 むしろ好きだ。

 フランの視界に入っているだけで満足している。

 フランにはずっと自分を見てほしかったし、他人で終わるくらいなら敵対者になりたかった。


 ともかく「食事にいかないか?」という誘いに乗って、彼の行きつけの食堂に移動する。

 そこはごく普通のありふれた店だった。

 中に入って窓際の席につく。

 パンの一片とサラダのセットといった食事を取っている最中、彼はティーカップを置いて、切り出した。


「私と共にダンジョンに行ってくれないかな? 手伝ってほしいのだよ」

「な、なにを考えてるの? なんであたしがあんたに従わなきゃ、いけないのよ?」


 穏やかな口調で語られた、デートの誘いとも取れる発言。

 飲み物を飲んでいたら噴き出していたところだ。


「協力なんてしてやるものですか。むしろあんたがあたしに協力すべきじゃない?」

「ああ、そうだな。その案で行こう」


 すんなりと方針を変える。

 途端にマリアは口ごもった。

 すっかり彼のペースにのまれている。

 なんにせよ付き合ってくれるのなら、それに越したことはない。


「じゃあ、手伝ってもらうわ」

「ああ、任せて」


 おずおずと答えると、青年は爽やかな声で答えた。



 とにもかくにも二人は出発。

 ダンジョンのレベルはマリアに合わせた。

 比較的、難易度が低い場所へ挑む。

 ただし、それはフラン視点の話だ。

 マリアからすれば今回のダンジョンも手強い。

 戦闘は任せ切り、ビクビクとしながら奥へと進む。


 見かねたフランがアドバイスを繰り出す。


「呪術を使ってはいかがかな?」

「なんで知ってるのよ?」


 マリアはショックを受けたように固まる。


「髪には魔力の色が反映される。あなたの髪は黒。これは闇の属性か呪術使いの色なのだよ」


 口調こそ穏やかだが、言葉は鋭い。

 ばっちりと言い当てられて、後ろめたくなる。


 別段、隠していたわけではない。使いたくなかっただけ。

 否、呪術師と思われたくなかった時点で、隠していたようなものだ。


 彼女はおのれの力を恐れ、震える。

 視線は下がり、顔は色を失っていた。

 すかさずフランがフォローを入れる。


「黒はありふれた色だ。呪術も平凡な術なのだよ」

「でも、あたしのはまともじゃないのよ」


 マリアは狼狽しながら言い返す。

 実際に彼女の呪術は普通ではない。

 嫉妬で他者を呪い殺したのだから。


 地に叩きつけられ潰れ、飛び散った肉片。

 濃いグレーのアスファルトに、べったりとした赤い血が広がる。

 酸っぱい臭いがあたりに立ち込めた。

 手すりから手を離して、落ちていった影。

 屋上に足を踏み入れた女子生徒の、最後の姿。

 妙に暑い夏の日の出来事だった。


 昔、魔法学校に通っていたときのこと。

 嫌いな相手がいた。

 誰に対しても笑顔を振りまく女子生徒。

 誰が見ても好感を抱くであろう少女を、マリアは恨んだ。

 彼女のきれいさを否定したい。消えてほしいと無意識に願っていた。

 結果的に、マリアの望みは叶う。

 女子生徒は死んだ。

 屋上から飛び降りて。自殺だった。


 自分のせいではない。

 これは偶然だ。

 相手も人知れず悩みを抱えていて、唐突に爆発しただけ。

 惨めにも言い聞かせようとしたけれど、もしもの可能性が頭を離れない。


 心にしみつく、罪の意識。

 泥のように血のように。

 目を閉じれば闇の中にとある少女の顔が浮かぶ。

 彼女は呪詛を吐きながら地獄へ誘うように、手を伸ばす。


 死んだ女子生徒。

 血に塗れた体と青白い顔。

 呪術師であるマリアによく似ていた。


「本気で嫌えばあんただって……!」


 髪を振り乱しながら、泣き叫ぶような口調で、主張する。


 いつか必ず彼を殺す。

 それはあってはならない。

 やりたくはないことなのに、してしまう。


 危うい心を押し殺すように、少女は青年を見据えた。


「私は大丈夫だ。あなたに、それはさせない」


 はっきりとした口調で言い切る。

 マリアは言葉を失った。

 根拠のない自信。信じられぬ宣言。

 それでも、彼女の心は軽くなる。


 彼を信じたい。

 近づきたい。

 突き動かされるような想いが、胸の底に湧く。


「制御できないわけではないんだろう?」

「あ、うん……」


 魔法学園を終業し、呪術師の資格を手に入れている。

 マリアが肯定すると、フランは次のような提案を繰り出した。


「では試しに魔物を封じてはどうかな?」


 言っているそばから、魔物が湧く。

 少女の真後ろ。

 全身を鱗で覆った小型の魚が、襲いかかる。


「ちなみに私は手を出さないのだよ」

「え、嘘?」


 動揺を隠し切れない。

 おどおどと視線を泳がす。


 敵は待たない。

 大きな口を開けて尖った牙を覗かせる。

 猛獣に似た唸り声を上げ、噛みつかんとする。


 それに続くように他の個体もポップ。

 個は群れ、群れは波と化し、津波のように迫りくる。

 逃げられない。

 助けを求めるように、フランを見た。

 彼は動かない。

 本当に様子見で済ませる気だ。


 こうなれば覚悟を決めるしかない。

 意を決して槍を掲げる。


「魔の力に従い、命令を下す。しびれ、その動きを停めよ」


 懇親の叫び。

 呪術を発動。


 一体の魚が停止すると、周りへも伝播する。

 穂先から放たれたパワーは、一つのフロアを包む。

 全員、動かなくなった。


 ひとまずは死を回避してひと安心。

 ほっと一息ついたところで、弾けるような拍手が響く。


「見事だ。さすがだな。私は信じていたのだよ」


 興奮したように喋りながら、彼は前に出る。


 マリアが困惑している中、フランは剣を振るう。

 長い刃が空気に触れたかと思えば、魚の群れを一刀両断。

 一瞬で薙ぎ払い、敵は消失した。


 呪術を使ってようやく停めた相手を、いともたやすく。

 あまりにも強く、格が違った。

 おのれの力に覚えていた事実すら、恥ずかしく思えてくる。


「さあ、先へと進もうか」

「う、うん」


 青年が何事もなかったように次のフロアを指で示すと、少女もおずおずとうなずいた。


 二人は奥へ進む。

 最奥にたどり着くまで時間はかからなかった。

 流れ作業のようにダンジョンボスも撃破し、出口となる扉を開く。


「こんなものか。さすがにこのあたりの素材は採り尽くしたな」


 フランはがっかりしたようにつぶやいたが、マリアからすれば宝の山である。

 換金をすればどれほどの値段がつくのやら。


「宝は山分けだが、どうかな? 特別に欲しいものはないか?」

「そうね。こんなのとか、きれい」


 彼女が目をつけたのは、水の魔力が詰まった結晶。水滴のような形をしたそれは、宝石のように煌めいている。


「では、あなたに渡そう」


 軽々しく口にする。

 本当にいいのだろうかと思うが、受け取れるのなら、もらっておくべきだ。

 ありがたく頂戴する。


 とにもかくにも日は沈み、いつの間にか夕方だ。

 尖った町を爽やかなオレンジ色が包む。


「サポートをありがとう」


 去り際、暖かくもまぶしい日に照らされながら、青年は晴れやかな顔で告げる。


「は? なに言ってるの? あんたのためにやったわけじゃないのよ」

「そうかな。なら、そういうことにしておくのだよ」


 フランはあっさりと告げ、さらに続きを述べる。


「だけど、これだけは言っておこうかな。呪術は悪いものではない。普通の術だ」

「あんたに指摘されなくったって、分かってるわ。でも、印象悪いじゃない」


 そっぽを向く。


「そうかな」


 彼は気楽そうな態度で、首を傾ける。


「呪術使いが悪というのは、偏見だな。それがサポートに特化したものなら、なおさらだ。呪術が役に立つなら、あなたの性格のよさの証明にも、なるのだよ。ほら、他人に尽くせるような」

「だから、そんなんじゃないって、言ってるでしょうが!」


 身を乗り出し、大きな口を開けて、噛み付くように返す。


 他人のために尽くす? ありえない。

 頑なに拒むように口の中でつぶやいた。


 もやもやするのに不思議と、悪い気はしない。

 彼に認められて、嬉しく思う。

 心に小さな火が灯った。


 しかれども温かな気持ちは表に出さない。

 気づかれたらなにかが終わる。

 今はまだ心を閉ざしたままでいたかった。

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