恋の始まり 事態の停滞
ギルド前の戦い マリエッタ視点
少女こと、マリエッタ・ローレライは、外に出た。
閉じこもってばかりではいられない。今度こそダンジョンに挑むのだ。
狙いは低難易度。情報を集めにギルドの広場にやってきて、掲示板とにらめっこをする。
「おい」
突然後ろから声がかかる。
振り返ると二人の男女が視界に飛び込んだ。
片や狂犬じみた風貌の男。
彼の傍らに構えるは男装の女。赤いサングラス越しに見える目には力があり、まるで燃えているかのようだった。
彼らの正体を知っている。
数ヶ月前に街ですれ違ってからというもの目を付けられ、行く先々で罵倒を受けていた。
今回も嫌がらせをしてくる。戦慄の予感が体を駆け抜け、顔が引きつった。
マリエッタが身構えようとした、そのとき。
タイミングがいいのか悪いのか、見知らぬ男女が広場を訪れた。
「見ねぇ顔だな。新入りか。そいつぁちょうどいい」
標的が変わる。
「新人なんだろ? 力を見せてみろ。この女と戦ってな」
彼が少女を指した。
戦えと言われ、一瞬、体をびくつかせる。
未来が見えていたからだ。倒されるのは自分で、恥をかくのも自分だと。
けれども言うことを聞かなければ痛い目に遭う。
やるしかない。
切羽詰まった気持ちになり、汗をかきながら、槍を構える。
覚悟を決めて向かっていった。
猛スピードで距離を詰めて、突きを繰り出す。
渾身の一撃。
しかし、届かなかった。
青年は斧を盾のように使って、攻撃を防ぐ。
槍の穂は火花を散らすだけで威力を発揮しなかった。
なんてあっけない。
攻めは失敗。次は相手の番だ。
やられる。恐怖で体が強張った。痛みに耐えるために心の準備を整える。
ところが攻撃は一向に来なかった。
次の瞬間、目の前に巨大な斧がそびえ立つ。彼女からして見れば、厚い壁のようだった。
「力が見たいなら自分で戦ったらどうなんだ?」
壁の向こうから声が聞こえる。
青年のやる気のなさを垣間見て、少女は悟った。
自分は相手にされていなかったと。
もしくは視界にすら入っていなかった。
それくらい価値のない存在。
彼女は自身の弱さを痛感した。
落ち込んでいる間に壁の向こうで戦いが始まる。
大丈夫だろうかと様子を伺っていると、高く鋭い声が近づいてきた。
「ほんと可哀想な女よね」
男装の女だ。赤いサングラス越しに少女を見据えて、上質な衣服と装飾品を見せつけながら、寄ってくる。
「あんた、なにやらかしてんのよ? あんたなんかが誰かに勝てるわけないじゃない。戦うにしては真似事しかできない癖に。あたしと違ってね」
女は歌うような口調であざ笑うと、少女の武器へ視線を落とす。
「なにその棒? あたしの真似? でも、比べるまでもないわよね。こっちの剣のほうが高級だし、頑丈よ。あんたのって一発でへし折れそうよね。小枝みたいにさぁ」
口に手を当てて、こらえきれないとばかりに、嗤いをこぼす。
「バカじゃないの。あんたよりも弱いやつなんて、この世にいないのにね。それとも、生き残りたいとでも思ったわけ? そう、自分だけが助かればいいと思ってたんでしょ。だから敵意のない相手に向かっていけるのよ」
短めの髪をかきあげ、目を細めながら、視線のみで相手を見下ろす。
「本当、最低ね」
唇はつり上がっていながら言葉には棘があり、声は氷を含んだように冷めていた。
「違う……違うわ」
たまらず少女は言い返す。なかば反射的に、弾けるように。
「あたしは悪くないわ。ただ言うことを聞いただけ。攻撃したって防がれちゃったし、傷つけたわけでもない。まだなにもしてないのよ。だいたい、あたしなんかよりもひどいことをしている人なんて、たくさんいるじゃない。どうしてそんなこと言われなきゃ、いけないのよ」
なんて理不尽。
思いのままを吐き出す。
対する女は冷笑で応えた。
「ほら、あたしの言った通りじゃない。自分は悪くないって言い訳をしちゃって。その時点で悪いヤツなのよ。そう、あんたなんてそんなもの。お分かり?」
キレのある声が胸に刺さる。
心が波打ち、動揺は全体に広がった。
瞳が揺れ、今にも泣き出しそうな表情で、飛び上がるように顔を上げる。
張り詰めていたものが切れそうになる。もう限界だ。
暗闇にただ一人で取り残されたような気分で、うつむく。
刹那、その闇にほのかな灯火が差し込んだ。
「そこまでだ」
穏やかな声が聞こえた。
顔を持ち上げ、目を開く。彼を見た。
瞬間、ドキンと鼓動が跳ね上がる。
燃えるような赤の髪に、宝石の瞳。
色黒の肌にフォーマルな服を着た青年。
彼は魔王軍と戦い、その功績によって、貴族の称号を与えられた男だ。
頬に浮かぶ白い紋章は見えている。彼は対抗者で自分は大罪。敵対関係だ。
それでも彼女の心はときめいてしまう。彼が英雄で憧れの相手だから。
そう、彼女はフラン・マースリンをひと目見るために、サガプールに着たのだ。
「人のせいにすべきではないのだよ」
自分のために放った言葉ではない。
分かっている。
分かってはいるのに。
救われてしまう。
心が軽くなり、気分が盛り上がった。
されどもふと冷静になると、おのれが蚊帳の外だと気付く。
広場に集まった者たちが見ているのは、フランのみ。誰も彼も惨めな少女の存在など、忘れている。
スポットライトから弾き出されたかのような扱いに、いたたまれなくなった。
とはいえ今の扱いが妥当ではある。彼女はまだなにも為していないのだから。
冒険者でありながら満足に魔物も狩れない。
少女は弱かった。普段も嫌がらせを受けるがまま、反撃すらできない。
なんて情けないのだろうか。彼はおろか自分自身すら直視ができなくなる。
いたたまれなくなり、ついには広場から逃げ出した。
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