歪んだ想い


「だが、私には関係ない。この氷と水が全てを飲み込む。ただ、それだけだ」


 乾いた町を背景に、軍服姿の女が直立している。

 風に縦ロールを揺らしながら、彼女は不敵な笑みを浮かべた。


「私は本気だ。貴様は私が殺す。何人にも渡すものか」


 堂々と告げる。

 本人の意思など、意にも介していない。

 たとえ抵抗を見せたところで、彼女は強引に全てを奪い去るつもりだ。


『誰にも、渡さない……?』


 あたりに火花が飛び散る。

 熱風と共に彼女が動く。


『それはこちらのセリフじゃ!』


 青年のとなりで火の鳥が声を張り上げる。

 彼女の心を満たすのは、なにかに駆り立てられるような、熱い想い。


 彼を渡したくなかった。

 せっかく手に入れた、自身をただの女として見てくれる存在。

 そんな存在はいままで、誰もいなかった。

 誰も自分を見てくれない。

 化け物、悪魔。

 人々は例外なく、火の鳥を指す。


 分かってしまった。

 火の鳥は人間の男に恋をしている。

 それは禁断の想いだった。


 なんて、愚か。

 どれほど見た目を繕うと、悪魔は悪魔。

 火の鳥は人には成れない。

 それは叶わぬ夢に過ぎないのに。

 また懲りずに、想ってしまう。


 それでも彼女は引き下がらなかった。

 このときめきは自分だけのもの。

 誰にも渡さない。

 固い決意を胸に、火の鳥は前を向く。


 一方、クリスの心は揺れていた。

 彼女の想いを、まさかとは言わない。

 いくら鈍くとも、精神を共有していれば、さすがに気づく。

 彼女の気持ちは痛いほどに伝わってきた。


 それを否定する気はない。

 純粋に全てを受け入れるだけだ。

 彼女の感情が真実であるのなら、尊重するまで。

 戦う意思があるのなら、こちらも覚悟を決めざるを得ない。


 きちんと向き合うと決めた。

 まずはそれからだと分かっていたから。

 そのとき。


「うふ、ふふふ、あははははは!」


 漏らしていた笑いがこらえきれず、ついには声を張り、歓喜とも嘲りともつかぬ感情を発露する。

 縦ロールが揺れる。顔を上げた。海色の瞳が天へ向く。

 清々しいほど晴れた空の下、女はただ笑っていた。


「あー、いいものが見れた。このところ、ずっと渇いていたところだ。何人を殺し、血を浴びたところで、癒えはしない。だが、そんなことはどうでもいい。殺したい。ただ、それだけだ」


 視線を前へと戻す。

 昏い色を宿した瞳。

 紅色の唇が弧を描いた。


「殺し合おうではないか。どちらに転んでもおいしいのだ。私が引き下がる理由がない」


 ナイフを構え、刃を青年へ突きつける。


「貴様を殺し永遠のものにするか、私が殺され、癒えぬ罪を押し付けるか。どちらでも、愉しい。なんて幸福な二択か」


 恍惚と、バラ色の夢でも語るように、女は口に出す。

 ここまでくると、怯えや恐怖といった感情は失せる。

 化け物でも破綻者でもない。

 彼女は歪んだ想いを抱えすぎただけの、ただの人間だ。

 ただ、それでしかない。

 それをハッキリと受け入れられた。


「これだから暗殺稼業はやめられない」


 上品な皮はとうの昔に剥がれている。

 女は自身の心の内側をさらけ出し、そして慈しむように、青年を見つめた。


「どうせなら私がいい。ほかの誰にも渡したくはない、貴様の命を」


 胸元で雫の形をした宝石が、潤いのある光を放つ。


「この感情が歪んでいることくらい、分かっている。だが、やめられないのだ」


 事実、彼女の恋心は歪んでいる。

 憎しみと愛をゴチャ混ぜにしたような感覚だ。

 けれども根底にあるのは想いのみ。

 対象を殺そうとする点に目をつぶれば、清らかな感情だ。


 それなのに、どうしてこうなったのか。

 クリスは訝しむにはいられない。


「どうか、苦痛に思ってほしい。殺してしまった。奪ってしまった。それで私も報われる」


 両手を広げてアピールする。

 そんな彼女に対して、青年の態度は冷めていた。


「悪いけどそういうの、考えないタイプなんだ」


 今さら気にかける道理もない。


「人の命を差し出して、金にしている身だよ。今さらなんだよ、本当に」


 その点においては、暗殺者となんら代わりはない。

 いままで、過去――勇者として活動をしていたときも、敵対者とは戦った。その結果、命を奪ったことも何度もある。

 なんとも思わなかったとは言わない。

 自身が薄情だとは自覚はある。それでも彼は罪だと感じてしまった。

 ゆえに勇者は燃え尽き、灰と化す。

 それだけが事実だった。

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