第5話 モーニングなコーヒー
「志桜里、起きて。もう少しで朝ごはんだよ」
今しがた「儚さ」を覚えたばかりだというのに、少し肩を揺らして乃崎さんを起こしにかかる。しかし、乃崎さんも完全には寝ていなかったようで呼びかけに顔を上げることで返答した。だが、顔を上げたときに目が合ったのは僕だった。彼女は少しびっくりした様子だったものの、なぜ僕がここにいるのかを聞くことなく本を閉じた。
「おはよう、乃崎さん。お邪魔していいかな」
しかし返ってきたのは会釈だけ。まあ、なんと言ってもまだ会って二日目だ。こんなに馴れ馴れしい湯崎さんが珍しいのだ。
「はーい、お待たせ。特製モーニングAセットね」
顔を見せたのは、おそらく湯崎さんのお母さん。
まあ、それは驚くだろうね。知らない男が娘たちと座っているんだから。
「あ、あら!お友達って、男の子だったの!?え、あ、どうしましょう。こんな時に限ってお化粧ちゃんとしてないわ」
ああ、そこに驚いたのね。僕が男だからと言って化粧を気にする理由は男の僕にはわからないが、そこまで騒ぎ立てるほどのことなのか?
「お、お父さん!綾ちゃんが男の子を連れてきたわ!」
「な、なにぃ!!男だと!!」
奥の方で何やらガッシャンと大きな音と共に大きな声が聞こえてくる。おそらく、お父さんだろうな。怒っているんだろう。再三言うようだが、何せ、娘たちと一緒に知らない男が座っているのだから。
湯崎さんのお父さんは顔を見せるや否や、床に膝から倒れこんだ。
「やっと、やっと綾香が彼氏を連れてきたぞ!!おお、この時を何年待ちわびたことか!これまで色恋沙汰の一つもなかった綾香が、彼氏を……」
……。なんだ、そりゃ。
「ちょっと、そこ、余計なこと言わない!!それに、長谷川君はそう言うんじゃないから!勘違いしないでよ、もう!」
「え?違うのか?なんで?」
いや、「なんで?」って。
「どうもすみません、突然お邪魔してしまって。僕は長谷川慎一です。よろしくお願いします」
「あ、どうもご丁寧に。綾香の母です。こっちは父。よろしくね」
ご丁寧なご挨拶の後、数秒の沈黙を経てマイペースにも隣の乃崎さんが箸を持ち始める。
なにやら湯崎さんのご両親は不満そうに渋々といった様子で厨房へ戻り、僕はきれいなカップに注がれたコーヒーを一口、口に運ぶ。
「お、おいしい」
「そうでしょ!コーヒーはこの店の自慢だからね。おとーさーん、コーヒー、おいしいってさー」
厨房に聞こえるように大きな声で呼びかけているんだろうが、角の影からこちらの様子をうかがうお父さんが僕からは丸見えだった。湯崎さんからは角度の問題で見えないだろうが、うれしそうな顔をしている。なによりだ。
しかし、このプレートに無造作に乗せられた数種類のパンがどれもおいしい。このコーヒーと絶妙にマッチングする味に仕上げてあるということは、すべて手作りだろうか。そのほかにスープやサラダがついていたが、どれもレベルが高い。
外観もおしゃれで料理もコーヒーもおいしい。これはお昼時などはさぞかし混雑するだろう。
「ああ、もうこんな時間か。帰って支度しないと」
「あ、そっか。ここからの帰り道、わかる?」
「大丈夫、たぶん迷わないから。ごちそうさまでした」
「じゃあ、また学校でね」
まだ食べ終えていない二人を背に、厨房にいると思われる湯崎さんのご両親に挨拶をかける。
「突然お邪魔してすみませんでした。ごちそうになって本当によかったんですか?」
「ぜんぜん大丈夫よ!それより、娘たちとこれからも仲良くしてやってね」
「え、ええ。わかりました。それじゃ、ごちそうさまでした、おいしかったです」
またおいで、と夫婦に送り出され、一瞬停止しどちらから来たかを思い出し、迷うことなく桜並木を目指して歩き出す。
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