第4話 顔見知りな知り合い

 入学2日目の朝は特に代わり映えのしない朝だった。

 いつも通り6時には起床し、ジョギングのため外に出る。


「あれ?慎一しんいちくん、おはよう。早起きね」


 外に出てみると、気持ちの良い朝日と玄関前の掃除に出ていた美世子さんによって出迎えられた。小鳥が心地よくさえずる中、「もう少しで起こしに行こうと思っていた」という美世子さんの分かりにくい冗談に愛想笑いを浮かべながら、じゃあ、と言ってジョギングを開始する。

 昨日越してきたばかりでこのあたりの土地勘はないので、登校の際に目印にした桜並木にでも行こうと思っていた。ここは住宅街で下手に入り組んだ道に入ると迷ってしまいそうだった。

 桜並木までは走れば15分とかからなかった。今日も満開の桜並木を通り抜け、端で折り返そうと身をひるがえした矢先、誰かに呼び止められた。


「長谷川君、だよね。ああ、やっぱりそうだ」


 先ほど言ったように僕はここに越してきて間もない。僕の名前と顔を知っている人は数えるほどしかいない。ならば。


「ええと、湯崎さん、だよね。おはよう」

「あ、おはよう。長谷川君もジョギング?」


 も、ということは彼女もジョギングの途中だったのだろう。


「そう。湯崎さんもジョギングだった?」

「そうそう。日課だから。朝に一走りしないと、一日が始まった気がしないのよね」


 なるほど。僕は思ったこともなかったが。


「長谷川君、いつもこのコースを走ってるの?いままで見かけたことないけど」

「いや、今日が初めてなんだ。昨日引っ越してきたばかりであまりこの辺りのことをまだ知らないから」

「え、そうだったの!?引っ越してきたばかりだったのね」


 そう言えば話していなかったか。


「そうなんだ。だからこの辺は迷いそうで」

「確かにここら辺は同じような家が並んでて、景色が一緒だからね。迷わないように気を付けてね」

「ああ、ありがとう」


 確かにここ周辺は同じような景色が広がっている。彼女の言う通りこれから気を付けなければ。


「そう言えば、朝ごはんはまだよね?」

「え?う、うん」

「じゃあ、おすすめのカフェがあるんだけど、どう?」


 「どう?」とは。


「もしよかったら、だけど。うちの両親がやってるカフェなんだけど、結構おいしいんだよ。ここからそう遠くないし、どう?」


 まただ。まあ確かに朝食はまだだ。絶妙にお腹も空いてきたところだった。

 しかしこの推しようはなんだろうか。


「いやでも、僕手ぶらだけど」

「ん?大丈夫、大丈夫。お金なんて取ったりしないから」


 そんなことで本当に大丈夫なのか?


「まあ、そこまで言うなら」


 結局根負けしてしまう。


「よし。じゃあ行こう」


 そう言って走り出した彼女の背中を追う。彼女の言っていた通り、そのお店までは遠くなかった。外観はいかにもおしゃれな「喫茶店」。店先の植物たちもよく手入れされていて、まるで自分の部屋とは正反対だな、と自分の部屋の殺風景さを痛感する。


「ただいまー。朝ごはん、一人前追加ね!」


 彼女に続いてドアベルの響く店内に入る。内装も外装と同じく手入れが行き届いており、相当のこだわりで作り上げたことが容易に分かる。

 奥に厨房があるのだろう、彼女はそう叫ぶと、こっちだと手招きする。


「なに?あんた、そんなに食べたら太るわよ」

「違うわよ、母さん。知り合いを連れてきたの。早く三人分持ってきてよ!」


 ……ん?三人分?

 なぞはすぐに解決された。少し奥まった店の隅に配置された席には、先客が座っていた。店を入ってきたときは死角で見えなかったが、そこには昨日桜並木で出会った乃崎さんが本を開いたままうとうとしているところだった。

 乃崎さんが背にしている窓には庭越しに広い海が広がり、美しい朝日が差し込んで神々しさをも感じさせる。


 その朝日に照らされ気持ちよさそうにうたた寝する乃崎さんの姿は何か人形のようで、触れてしまえば壊れてしまうような儚ささえも覚えさせた。

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