6話 散歩
二日が経った朝食後。
「ねっむ……」
あくびを噛みしめ、外の干し竿に洗濯したキルンの布おむつや子ども達の洋服を干していく。人狼のアルクが手伝いを申し出てくれたので一緒に外に出た。
「大丈夫っすか?」
「うん……今日も夜泣きがね……アルクも起きちゃったでしょ、大丈夫? 眠くない?」
「いえ、俺はエルを抱っこしてただけなんで、大した事は……エルは大人しいっすし」
そう言いながら彼の獣耳がぴょこぴょこと動く。頬を染めながら照れる姿が可愛らしい。
「そう言えば、アルクって何歳なの?」
「年齢ですか? あーでも、ニンゲンと人狼では成長の過程が違うので、あまり参考にならないかも……」
「そうなんだ?」
「はい。なんで俺はまだ八歳ですけ……」
「八歳!?」
予想もしていなかった答えに新鮮な驚きを抱く。
獣毛に覆われてはいるが、顔つきにしても身長にしても、どこからどう見ても高校生くらいにしか見えない。
「ロンドさんに聞いたところ、ニンゲンの年齢で言うと十六歳くらいなんだそうす。俺達人狼はすぐに狩りを覚えないと生きていけない種族だったので、子ども期間が短いんすよ」
「なるほどね……」
つい不躾な視線を送ってしまった事に気が付き、それを誤魔化すように空になった洗濯籠を持ち上げた。
洗濯物の皺を手のひらで伸ばしていたアルクが、くっついてしまった自身の毛を取り除こうと躍起になりながら教えてくれる。
「他の子達もそうっすよ。見た目と、ニンゲンで言うところの年齢は違うんす」
アルクの話では、私には五歳くらいに見えるウルヒムが丁度生まれて一年くらいらしい。すでにそこから驚きを隠せなかったが、三つ子は生後七か月ほど、キルンに至っては先月生まれたばかりらしい。つまりゴブリン達は三、四歳で成人してしまうのだ。一カ月前に両親や仲間を失ったにしては全員切り替えが出来ているなぁとは思っていたが、あの子達にとっての一カ月と私にとっての位一カ月ではそもそも流れるスピードが違うらしい。
「じゃぁ寿命も短いの……!?」
「ゴブリンは確かに少し短めすけど、そこまで極端じゃないっす。その分大人時代が長いんで……お、落ち込まないで下さい」
「よかった。ウルヒム達十五歳くらいで死んじゃうのかと……」
「あの……考えたら寂しくなっちゃいました?」
「うん」
あんなに天真爛漫な子ども達が、今の自分の年齢程も生きられないかもしれないと考えたら胸が押しつぶされそうになった。勘違いでなによりだ。
ハチャメチャだった一日目に比べ、昨日は幾分か落ち着いていた様に感じる。それでも、体力が有り余るウルヒムに、繊細過ぎるエル、考えなしに行動するオルレリと、上手く自己を表現できないカント、そしてまだ小さいキルン……生活を安定させるには、まだ時間はかかりそうだ。もっとしっかり面倒を見たいと、そう思う。
「それにしても、三年後には大人同士で会話が出来るって事だよね、それはそれで楽しそうかも」
「――つまり、三年後もここにいてくれるって事すか?」
「あ……」
私は自身の右手で口元を抑えるがもう遅い、何の根拠も無い事を口走ってしまった。……子どもの前で。
アルクは金色の飴玉の様な瞳で、真っ直ぐに私を見つめている。尻尾や耳は垂れ下がり、紡ぐ言葉に自信が無い様だった。
「俺は、サクラさんにずっといてもらえたらなって思います。まだ会って三日だけど、俺達の面倒をこんなに真剣にやろうとしてくれたのはサクラさんが初めてで……」
「そんな事……」
「本当っす! 俺達、なんかいつも寂しい気持ちが拭えてなくて……リーダーは気にかけてくれるけど、やっぱり忙しいんで……『不滅の灯』の人達はなかなか受け入れてくれないし……でもサクラさんは初日から俺らと普通に接してくれて、俺とイオーラが帰ってきたらチビ達も嬉しそうで……! だから、この人だったらチビ達の事も任せられるって、なんだかホッとしたんっすよ」
真面目に話したり慌てたり柔らかく微笑んだりと、表情や雰囲気をコロコロ変えながら胸の内を素直に吐露する純粋な少年を目の前に、やたら眩しくて直視出来ないような気分にさせられる。
「……私は、そんな大層なやつじゃないよ……元の世界でもしがない保育士で、子ども達のお世話をしていただけだし」
「俺らの世界では、そういう施設って孤児院くらいしか聞いた事ないっすよ。専門の人が見てくれるだけでありがたいっす」
そういえば、私のいた世界に保育所や幼稚園が造られたのだって1800年代。この世界の文化レベルはかなり古いみたいだし、保育施設が無くても不思議じゃない……。
ヨーロッパでは“子ども”という概念が生まれたのでさえやっと中世になってから。それまでは教育を子どもに受けさせるという発想も無く、子ども達は七歳頃には大人と同等に働かなくてはならなかったのだ。この世界も同じかどうかは分からないが、“子どもを守る”という考え方はまだ完全には定着しきっていないのかもしれない。
「ねぇアルク、この孤児院の皆って『不滅の灯』ではどういう扱いを受けてるの? 教えてくれる?」
「……正直、あんまりいい扱いじゃないっす。俺やイオーラはまだ特定の話し相手がいますけど、チビ達は知り合いすらほとんどいません。最初はリーダーの指示で交代に面倒見てくれてたんっすけど、文句が出たのか今はロンドさんくらいしか来てくれないっすし……ゴブリン達は追い出せと反対してきたメンバーもいて……リーダーが諫めてくれてんで、今は大人しくしていてくれるみたいすけど」
「どうしてアルクやイオーラとウルヒム達では扱いが違うのかな……?」
「サクラさんは別の世界から来られたからピンとこないかもしれないすけど、昔からニンゲンにとってゴブリンは駆除対象みたいっす。俺らにはその感覚こそわかんねーっすけどね」
ため息交じりにそう言うと、困ったような表情を見せたアルク。彼だって少なからず差別を受けているのだろうが、それ以上に弟妹達を不憫に感じているらしい。
この世界の知識に疎い私は、なんとか脳を回転させて話を整理する。
「ゴブリンのご先祖様がニンゲンに悪さをしていたからって、対立してたからって、今のあの子達とは関係無い……」
「そっすね」
「頭では分かっていても、なかなか自分から溝を埋めていく勇気は出せないよね」
「――っすね」
「と、なると……」
私は先の見えない保育に、やっと指針を見いだせた様な気がした。
「ありがとう、アルク……ちょっと思いついた事があるからやってみるよ」
「?」
首と一緒に尻尾も横に倒しながら、アルクは不思議そうな眼差しを向けていた。
「児童憲章? なんだこりゃ」
子ども達を遊ばせつつ、礼拝堂の目立つところに大きく貼りだした紙を見て、ドンは訝しげな表情を見せる。
「児童って言うのは子どもの事よ。私のいた国で大きな戦争が終わった後に、子ども達の権利を守るために作られた文言。法律とかじゃないけどね。大変な時にも、大人は子ども達を大切にしないといけないよという宣言みたいなものかな」
「これはじゃぁ子ども達が読むものじゃなく、大人が読むものって事か」
「そ。この国の人たちには馴染みの無い部分とかは直してあるけどね。小さな紙にも書いたから、ドンはこれをコピーして他の人にも配って」
「ふーん、ま、いいけどな」
手書きの小さな紙を手渡すと、ドンは興味深そうに眺めて読み上げた。
「『児童憲章 われらは、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。
1.すべての児童は、心身ともに、健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
2.すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
3.すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害から守られる。
4.すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、わるい環境からまもられる。
5.すべての児童は、虐待、酷使、放任その他不当な取扱からまもられる。
あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される』……随分長いな」
「これでも原文からいつくか削ったんだけどね」
まともな学校も無いみたいだし、とりあえずは馴染みのありそうな部分を残した形だ。
長い文章だが、短大でも就職してからも毎日音読させられていた事が役に立った。
「これを頭に叩き込んでもらった上で、この子達をレジスタンスの他の人達と交流させたいと思ってるの。アルクに聞いたけど、孤児院の手伝いに来てもらった人以外はほとんどノータッチなんでしょ?」
私の発言に、ドンは虚を突かれたかの様に口をぽかんと開けた。そして、信じがたい事でもあるのだろうか、私の顔と手の中の紙を見比べた。
「マジで言ってんのか……?」
「そ。子どもは地域で育てるもの。この子達にとっての地域って言うのはつまり、この村。元々の村人は済んでいなくても、『不滅の灯』が仮住まいしてるなら同じ事でしょ。まずは顔と名前を憶えて貰って、声をかけて貰うようにする。あの子達が外で悪戯しないように私がちゃんと教えるから」
「……ニンゲンの子どもならそれでいいだろう。だがあいつらは別種族だぞ」
「アルクとイオーラは大人の手伝いをしてるじゃないの」
「獣人やエルフは大きな町に行けば見かける事もたまにはある。しかし、ゴブリンは違う。ゴブリンは元々ニンゲンを襲う種族だ。忌み嫌われて当然の存在だと思われている」
「……」
ドンの言い方こそ差別的で厳しいものであったが、その声色や表情からは全く逆の感情が読み取れた。恐らく彼は純粋に心配しているのだ。外に出て行った時にあの子達の受けるかもしれない不利益を。だからこそ、私の提案から得られる利益とを天秤にかけている。つまりは私を試している。
私は軽く息を吸い、彼の正面に立って言った。
「……違わないよ、ドン。少なくても私にとっては。肌の色が違くったって、鋭い爪や牙があったって、成長するスピードが速くたって、あの子達は守るべき子どもだよ。私は、ここにいつまで居るかは分からない。だからこそ、私が孤児院でお世話をし続けるだけじゃなくて、まずはこの村から意識改革をしていきたいと思う。過ごしやすい環境になれば、きっと私が急にどこかへ行っても大丈夫になるから」
「……」
私から目を逸らしてしばらく押し黙っていたドンだったが、後頭部をガリガリと軽く掻いてから、「分かった」と小さな声で言った。
「そこまで言うなら、チビ達を村に出す事を許可する。他の奴らにも俺から伝える。――つっても鶴の一声とはいかないと思うが、その辺はサクラが責任持ってやるんだよな?」
「うん、頑張ってみる」
「よし……なら任せる。こいつらを頼んだぞ」
私は大きく頷いた。
私に出来る事と言ったら、あの子達の生活を整え、健全に成長出来るような土壌を作る事。それが出来るまでは、ドンとの契約がどういう形で終了したとしても……帰りたくない。
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その日のお昼寝終了後、私は全員を集めて並ぶように伝える。あらかじめ、教会で元々使っていたと思わしきミサ用の帽子を配り被ってもらった。つばは無いため日差し避けにはならない。離れて行ってもすぐ分かるように目印の様なものだ。
「さて皆、今日はお外へ行きます」
「お外!?」
ウルヒムが目を輝かせる。そしてまだ何も言っていないのに扉に向かってダッシュを始めた。しかし水入りのコップを片手に待機していたロンドがすかさず扉に水のバリアを張る。
「サクラさんの予想通りでしたぁ~」
「ウルヒム、まだよ。最後までお話を聞けたらお出かけするからね」
「ちぇっ」
「ウル兄早く座って!!」
オルレリがウルヒムを急かす。「へいへい」と口をとがらせながら戻ってくる彼を三つ子は体をうずうずとさせながら見ていた。
「じゃぁまず先頭がロンドね。ロンドはエルと手を繋いで、その次にイオーラとオルレリが」
「私も!?」
イオーラが不服そうに声を上げた。絶対に行かないと主張し始めるが、オルレリに
「イオ姉も一緒がいいよぉ~」とごねられて、しぶしぶ了承してくれる。
「イオーラ、悪いけど手伝って?」
「……オルレリと手繋いでればいいんでしょ?出来るわよそれくらい簡単だわ」
銀色の髪をかき上げながらそう口にする。顔は可愛いのに一言多い。
「じゃぁその後ろにアルク。アルクは力持ちだからキルンを抱っこしてて欲しいな。往復だと長くなっちゃうから、もし疲れたら交代しましょ」
「了解っす」
「じゃぁ最後に私とウルヒムとカントで手を繋ごうね」
「うん」
先ほどはドンに村の中へ出ると伝えたが、さすがに当日のうちに行くのは少し気が引けた。まだ児童憲章を読んでない人もいるだろうし。
今日は大人しく野原へ散歩することにしよう。
「じゃぁ皆にお約束。わかったらお返事してね。一つ、勝手にどこかへ行きません」
「はーい!」
ウルヒムと三つ子が嬉しそうに手を挙げながら声を揃える。
「二つ、帰ると言われても泣いたり怒ったりしません」
「はーい!」
「三つ、歩くときはお隣さんと手を繋ぎます」
「はーい!」
「分かった人ー?」
「はーい!」
「じゃぁ出かけよう!並んでねー」
各々先ほどのペアの所まで走って行き、笑顔で手を繋ぐ。
特にウルヒムとオルレリは扉が開いたら駆け出しそうなくらいテンションが上がっている。イオーラには、オルレリと手が離れないようにと念を押しに行ったが、「言われなくても分かってる!」と顔を背けられてしまった。
仕方がないので私はウルヒムとカントを連れて後列へ移動し、
「ウルヒムがどっか行っちゃうとカントが寂しくて泣いちゃうと思うから、ちゃんと傍にいてあげてね」
と耳打ちした。ウルヒムはキリっとした表情になり、「オッケー!」と元気に答える。うん、可愛い。
「じゃぁ、ロンドについて行くよ。前の人を追い抜かない様に歩きましょうねー」
扉を開き、私たちは初めての野外での活動へと繰り出した。
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