《7》送還

 一方、床の上に倒れたオウルは、唇を噛んで黒茶色の外套を纏った男を見ていた。


(しまった、さっきの粉は……!)


 迂闊だった。相手が誰かわかった時点で警戒すべきだったのだ。

 恐らく先程の粉は強力な麻痺を引き起こさせるもの。それも身体的だけではなく、精神面にも及ぶ成分が含まれている。おかげで体を動かす事はおろか、集中して聖気を練り上げることすらできない。

 しかも、のだ。外套男もそれをわかっているらしく、エクリッドたちの行動を止める素振りすら見せない。


 と、その視線の先で男がある方向に手を突き出した。間を置かず手首の周りに赤い魔紋のリングが展開する。


(――まずい)


 そのと男が向いている方向。

 彼が何をしようとしているのか瞬時に理解したオウルは、ある存在に意識を向かわせた。


『狙われてる!』

『っ!!』


 それは、床に倒れた主を気にしていたティスファー。オウルのいつになく緊迫した声が頭の中に響き、彼女は咄嗟にその場から素早く動いた。

 直後、尾ひれの先で赤い術式紋のリングが出現し、すぐに弾けるようにして消える。


「……ありゃ?」


 そのリングを仕掛けた張本人――外套男は首を傾げる。しかし、オウルとティスファーを交互に見るとすぐに納得したように頷いた。


「あーそっか。あいつの<天青眼>と同じように、召喚獣との会話――伝心術もこの粉は効かないんだったな……んーまあ……」


 気だるげな口調とは対照的に、手元には新たな赤いリングが高速で、尚且つ幾重にも組み上げられていく。


「警告する時間を与えなければいいだけか」


 男はティスファーに向かって魔紋のリングを連続で次々と放つ。


(くっ……!!)


 俊敏に動き回りそれらを躱すティスファーだが、内心戦慄せずにはいられなかった。


 術の狙い方は常人のそれよりは上ではあるものの、ぎりぎり対処できる。

 ただ、術の構築速度が恐ろしく速いのだ。彼女の主も十分速い(前に術式を無効化する聖術を六割組み上げていたが、同じ状況で他の人がやった場合彼の半分程度だろう)が、男はそれを上回っている。これが一瞬も気を抜けない状況にさせていた。

 しかもこちらは縦横無尽に避けられるわけではない。ならず者を拘束している『水檻』からあまり離れると術が解けてしまうからだ。


 数秒の間に、蒼色の魚を追いかけるように赤い術式紋のリングがいくつも現れては消えていく。


 ティスファーの集中力と外套男の魔力、どちらが切れるのが早いかと思われたが、不意に男の方が小さく零した。


「……あまり時間ないな」


 彼は掲げていた右手とは逆――外套の中の左手を無造作に振り上げた。

 その手には、薄く黄色がかった透明な小瓶。模様の彫られたそれの栓は抜いてあるらしく、結晶を細かく砕いたような淡紅色の粉が光を反射しながら舞い上がる。


「『飛雷』」


 直後、空中を漂っていた小さな粒が輝き出し、即座に一つの魔方陣へと姿を変える。そして陣からティスファー目掛けて眩い雷光が幾筋も迸った。


『――!?』


 狙いは甘いのか、どれも直撃せずにその周りを駆け抜けていく。しかし、突然の轟音と閃光に彼女の動きが一瞬止まる。

 男にはそれだけで十分だった。


「……捉えた」


 蒼色の体を取り囲むように赤い術式紋のリングが浮かび上がる。


『!! しまっ――』

「『魔紋式:強制送還アウル=ディラーデ』」


 黒茶色の外套男がそう言葉を紡ぐと、ティスファーの姿が掻き消えてしまった。

 同時に、ならず者たちを拘束する水も消え去り、彼らは床の上に各々放り出される。窒息しそうになっていた男たちは大きくせき込んだ。

 そんな彼らを全く気にかけることなく、外套男は布の影で息を吐く。


(あぶな……連続詠唱の効果切れるところだった……。にしても、やっぱ時間短すぎるなぁ。高級魔石と風の霊石残ってたはずだから、今度調合する時いろいろ試してみるか……)


 心の中でぶつくさと零していると、彼の後ろで一人取り残されていたならず者が突然声を上げた。


「……おい!」

「……」

「おい、てめえ!」

「……」

「そこの顔隠してる奴!!」

「……あ、俺?」


 そこで漸く自分に向かって言っているらしいと気づいて外套男は少し振り返る。


「何。まだやることあるから手短に……」

「なんでさっさと出てこねぇ!? 仲間が酷い目にあっただろうが!! 下手すりゃこっち全員やられちまうところだったんだぞ!?」


 男の言葉を遮ってならず者は一気に捲し立てる。一部始終を呆然と眺めていた彼は、仲間たちが解放された姿を見て安心すると今度は腹が立ってきたらしい。


「煩いな……しかも全然短くないし……」


 外套を纏った男は気だるげな様子で喋る。


「他者の召喚獣を無理矢理送り還すには面倒な準備がいるんだよ。しかも相手があいつだから念には念を入れる必要があったし……。そもそも、俺はあんたたちの仲間じゃないんだから当てにされてもねぇ……」

「んだとぉ!? もういっぺん言ってみろ!!」


 いきり立つ男に長身のローブ男は相変わらずダルそうにしながらも、その眼が僅かに細められた。


「……しつこい。それ以上騒ぐならあんたも捕縛陣の中に放り込むよ?」

「……っ」


 血のように紅い瞳に射抜かれて男は思わず息を呑む。これ以上はまずいと思い彼は口を噤んだ。

 残ったならず者を黙らせたところで、外套男の視線がラナイたちの方に動く。


「……そこ」


 不意に黒茶色の外套が揺れた、ような気がした。


「――妙な気起こさないでくれる。面倒だから」

「っ!?」


 隙を窺っていた数人の神殿兵は、男の声が急に真後ろから聞こえてきて体を硬直させる。

 一瞬で背後を取られ、彼らは男から距離を取るように後ずさった。


「捕縛陣を再構築するから大人しくしてて。抵抗すればそこの神人の二の舞になるよ?」


 そう言いながら、外套男は徐にオウルの方へと赤い魔紋のリングを纏った手を向けた。


「あと、そいつは別の陣に閉じ込めるから」


 同時に、倒れているオウルの床を中心に赤い光が紋様を描くように駆け抜ける。


「そ、そんな……きゃ!?」

「っ!!」

「ぐっ!」


 完成した捕縛陣に軽く弾かれ、彼の傍で膝をついていたラナイが声を上げた。近くにいたミレイ、エクリッドもそれぞれ後退させられる。

 オウルの捕縛陣は、最初ラナイたちを閉じ込めていたそれよりも複雑なものだった。彼の方を優先するあたり、自由を奪ったとはいえやはり用心しているらしい。


「大した怪我はしてないよ、腹蹴り飛ばしただけだし……。そいつに動かれるといろいろ面倒だから、ちょっと行動不能にさせてもらったけど」


 黒茶色の外套を纏った謎の男は、やはり怠そうにしながらそう口にしたのだった。

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