《6》紅色の瞳
不意にオウルは何かに気づいたような表情を浮かべ、虚空に視線を向ける。直後、その空間が波打つように揺らめき、一匹の輝く魚が姿を現した。
蒼い胴体に銀色の目、透けるようなヒレを煌めかせている。
『主、申し訳ありません。一人残ってしまいました』
聖獣ティスファーの言葉に、オウルは一人の男が水檻から外れているのを認めた。
仲間たちの有様と、オウルがいとも簡単に捕縛陣を破ったのを見て腰を抜かしている。
「仕方ないよ。中途半端な術式封じ対策だったしね」
オウルは隠し持っていた投具――これに予め術式封じを無効化させる聖術を施しておくことで、捕縛陣の中でもいつものように聖気の光刃を形成することができた――をくるりと回転させながら言った。
行動を起こしたのは、リュウキたちの反応から巫女二人の様子がおかしいことに気づき、やや強引に同伴を許可してもらってから。
応接間を出て円形の広間に到着するまで五分もかかっていない。
その時間の大半は見張りの目を欺きながらの召喚術に費やし、次に取り掛かろうかというところで匂いに違和感を覚えたのだ。
この無効化聖術の完成度は六割ほど。つまりオウルの聖力もそれくらいしか使えない状態だった。そこでティスファーの聖力で補い『水檻』を使用していたが、少々威力が足りなかったらしい。
ただ、それなら直接無力化するだけだ。
オウルは残っているならず者の男との距離を一気に詰める。
「ひっ……」
男の喉から引き攣った声が上がる。遠くにいたはずの空色の神人が消えたと思ったら、突然近くに現れたからだ。
しかし、すぐに黒茶色の長衣が彼の視界を覆いその姿が見えなくなる。
「――っ!?」
それはオウルでも同じことだった。座り込んでいるならず者の男の前に、黒茶色の外套を纏った者が割り込んできた。それこそオウルがならず者との距離を詰めたのと同じように、その者は現れたのだ。
今の今まで気配を察知させなかった何者かの登場にオウルが驚いたのは確かだが、それはほんの僅かの間。彼はすぐさま冷静に動いていた。投具の先端に光刃を付与しながら目にも止まらぬ速さで構える。
そんなオウルを前にしても外套を纏った者は臆するような様子もない。不意にその口が僅かに動いた。
「……はぁ、面倒」
呟くように零したその声音は低い。男のようだ。いや、それより―――
(……!? この声は)
頭から被った布の影から男の眼が見えた。それが紅い瞳であったことも相まって、仕掛けようとしていたオウルの動きが止まってしまう。
その隙に外套男は懐から素早く小瓶を取り出すと、オウルに向かって中の物を振り撒いた。
「っ!!」
小瓶の中には粉末状の物が詰まっていたらしく、オウルはその粉をぶわりと浴びた。
思わず目を閉じそうになるも、咄嗟に腕でかばいながら片目だけにとどめる。だが、次の瞬間には無防備となった腹部に鋭い衝撃が突き抜けた。
「オウルさん!!」
吹き飛ばされ床を転がっていくオウルに驚き、ラナイが彼の方に駆けていく。大怪我をしたようには見えなかったが、なぜかオウルはすぐに体を起こさない。
(……まさかここで会うとはなぁ。本当に面倒)
ラナイに介抱されるオウルの方を見やって外套男は心の中でぼやいた。
「大丈夫ですか!?」
「……っ」
ラナイの呼びかけにオウルは言葉を発する事も出来ずにその場に倒れ込んでいた。どうやら体に力が入らないようだった。
相手と接触した時に何か術でもかけられたのだろうか。そう思いラナイは聖癒術をいくつか発動してみるが、どれも手ごたえがない。
「これはいったい……!?」
ラナイの顔に戸惑いの色が濃くなっていく。
「私の方でもやってみましょう」
彼女の後を追いかけてきていたミレイが近くに膝をついた。そして首に下げている長方形の銀細工を掲げて解呪を唱える。しかし。
「……効きませんね」
銀細工に
今度はミレイとは別系統の解呪を数種類覚えているソアレスが試すが、やはりオウルの状態を回復させることはできなかった。
「これでもない……一体何だろう?」
「後考えられるとしたら、私たちでは解呪不可能な高難易度で複雑なものですね――大神官様、どうですか?」
ミレイは後ろに立つエクリッドの方を振り向きながら問いかける。彼は眉をひそめてオウルを眺めていた。
「……わしの解呪を使うくらいのものは、多少なりとも何か感じるんじゃが……まあ、ただの勘じゃからあまりあてにはできんがの」
言いながらエクリッドは軽く手を振るう。
すると淡い水色の光と共に紺碧の石で装飾された白い杖が現れ、彼はそれを慣れた動作で掴む。そして倒れているオウルの側の床を杖の先で軽く叩いた。
杖が打ち付けられる音が響くと同時、オウルを囲むように水色の細い光が複雑に枝分かれしていき、やがて床の上に一つの紋様を描いて――
「むう、やはりか」
エクリッドは唸るような声を上げる。
水色の光は紋様を完成させることなく、いくつもの淡い光の欠片となって虚空に消えてしまった。
大神官の力をもってしても解決できない事態に各々困惑の表情を浮かべる中、エクリッドは傍に立っているシェーニに声をかけた。
「わしの力も効かんとはどういうことなんじゃろうな。まあ普通に考えたらわしの力よりも強力な術が掛けられている、ということなんじゃが……なんか違うような気がしての。……シェーニ?」
隣を見たエクリッドは、相手がじっと何かを思案している様子であることに気づいた。
「――ああ、すみません。ちょっと考え事を」
「この青年に掛けられた術がわかりそうなのか?」
驚いた様子でエクリッドがたずねるが、シェーニは首を横に振った。
「いえ、残念ながらそっちは見当もつかないんですが。ただ……」
「ただ?」
「貴方を含めて、やけにあっさりとこの聖騎士の側に近寄らせてくれたなと」
「?」
言葉の意味を分かりかねてエクリッドは首を捻った。
シェーニが視線をある人物に動かす。エクリッドがその先を辿ると、遠くに立っている黒茶色の外套男に行きついた。
「私たちは治癒や解呪の心得があります。つまり術を解除されてしまうかもしれないんですよ。なのに彼は妨害するようなことを一切しませんでした。こちらの様子を見てはいるようですが……」
「ふむ、確かにな」
外套男の不可解な行動にエクリッドも腕を組んで考え込む。
「言われてみれば、わしがこの青年の元に駆け付けた時でさえ何もしてこなかったの」
思い出したように言うエクリッドに、シェーニが呆れたような視線を向けた。
「あの時は焦ったんですよ、まったく。貴方が向かえば狙われる可能性が出てくると止めたのに聞かないんですから」
「まあ狙われてもお主が何とかしてくれると思ってな」
「……私はもうあなたの補佐役じゃないんですがね?」
「しかし、わしが走り出したらしっかり側について来たじゃろ」
「……あれはもう職業病……いえ、条件反射みたいなものです」
シェーニは何やら遠い目をして返した。
「まあ、こんなこと話していても仕方ないですね…………ない、可能性……解除……」
肩をすくめて話していたシェーニは、不意に眉をひそめ小声で呟くように零していく。
「……ああ、なるほど。でも、だとすると、これは……」
間を置かずシェーニの顔に会得したような色が広がるものの、なぜかその表情はすぐに曇っていく。
「何じゃ、何かわかったのか?」
「ええ、まあ……ただ、現状打つ手がないということがわかっただけです」
エクリッドは期待を込めた眼差しを向けるが、シェーニは曖昧に頷くとため息をついた。
「どういうことじゃ? なぜどうにもならん」
「順を追って説明します。まずは、あの男の行動の理由ですが――」
眉を寄せて問いかけるエクリッドに、シェーニは難しい表情で話し始めた。
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