《2》謎の虚獣
すっかり夜も更けた頃、工房を兼ねたパルシカの家の外でリュウキは一人周囲を睨むように見ていた。
ちょうどキサラがごみ袋やら投げていたあたりだ。
こんな近くで<虚獣>が現れるかもしれないというのに寝てなどいられなかった。
オウルは冗談で言っていたらしいが、いざという時はあの力を使うことも辞さないつもりだ。
『そんなに警戒せずとも危害を加えるつもりはない』
不意に、どこからともなく低めの静かな声が響いた。確かにその声に敵意は感じられなかったが、リュウキは背中の剣に手を伸ばし臨戦態勢をとる。
「!」
リュウキの斜め前方の闇が動く。そこに音もなく一匹の獣が顕現した。
灰色の毛並みに紫色の瞳、そして纏う気配……<虚獣>だ。
だが、他の<虚獣>と少し違う。
瞳の色が薄い紫であることと、前足と後ろ脚にぐるりと赤紫色の紋様が刻まれていた。
(……この<虚獣>は……)
剣の柄に手をかけたままリュウキはやや目を細める。見覚えがあったからだ。
ベイルスで<虚晶核>を初めて見た時に頭に思い浮かんだ光景。それに出てきた、対峙する二体の<虚獣>。
脚の紋様の色が赤紫ということは、術式陣に包まれていた方か。
確かに、あの<虚晶核>から復活したのが目の前の<虚獣>なら状況的にも辻妻が合う。
その<虚獣>はリュウキの顔を見て気づいたように言う。
『……お前は、あの時のうつ』
「リュウキだ」
<虚獣>の言いかけた言葉をリュウキは素早く遮った。憎悪すらこもった眼差しで、目の前の<虚獣>を見返す。
だが、<虚獣>はその視線に動じることなく静かに受け止めた。
『そうか、そういえばそう呼ばれていたな。私はレトイだ』
「…………」
咄嗟に自身の名前を言ってしまったが、目の前の<虚獣>は意外にも名乗る。
他の<虚獣>にはない、しっかりとした自我があるようだ。
感情的になりかけていたリュウキは、虚を衝かれてやや落ち着きを取り戻した。
『それで、私を消すのか?』
自身の生死に関わっているはずだが、レトイの声音には焦りや不安は感じられず、薄紫色の瞳もあくまで静かな色を湛えていた。
「……いいや、会話ができるならあんたには聞きたいことがある」
リュウキは少し間を置き、柄から手を離しながらそう答えた。
「それに<
『ほう、その話を信じるのか?』
肯定も否定もせず、レトイは重ねて問いかける。
「信頼できる人から聞いた話だ。そもそも魔境や聖域に、わざわざ<虚獣>を封印して禁術まで施す理由が無い」
封印や禁術の手間を考えれば<虚獣>一匹くらい倒した方が手っ取り早い。
確かに他のよく見る<虚獣>とは少し違うようだが、それでも圧倒的な力の差を感じるわけでもない。まだ虚無の勢力が同族に対する同情か何かでやったと考えた方が妥当だ。
理由はどうであれ、リュウキは同じ<虚獣>がやったと考えていた。
「ただし、だからといってあんたを信用するわけじゃない。少しでも妙な真似したら容赦しない」
『わかっている。好きにしてくれ』
その後ずっとリュウキはレトイを見張っていたが、たまに話しかけてくるだけで特に襲い掛かってくることもなく一夜が明けた。
「何している?」
早朝キサラがそんな声をかけた。
「見張りに決まってるだろ。いくら<
一晩中その場から動かなかったリュウキはそう答える。
ちなみにレトイは夜が明けてきた辺りですでに姿を隠していた。周囲が明るくなってくると流石に目立つのだ。
「ああ、それなら心配ない。彼とは盟約を交わしている。その中に仲間を傷つけないというものも含まれている」
「……盟約だと?」
「詳しくは言えないが、互いの願いを叶えるために協力し合うといったところだ」
「…………」
あの<虚獣>そんなこと一言も言ってなかったぞ。
「その様子ではレトイは言っていなかったようだな。話し相手でもほしかったのかもしれないな」
当の<虚獣>は相変わらず姿を消したままだった。
朝食後、パルシカが出勤してからリルたちは居間に集まっていた。ヴァレルとラシエンもいる。例の<虚獣>と話すためだ。
「どうしたのリュウキ、朝から不機嫌ね」
「うるせぇ」
リルが声をかけるとリュウキは不機嫌度MAXの様子で返した。
「集まった様だな。出てきていい、レトイ」
キサラは面々を見渡しそう呼びかける。するとキサラの隣に一匹の<虚獣>が現れた。
「<虚獣>にも名前があるんだ……」
リルは軽く目を瞠る。
『始祖に近いほど自我があり名を与えられている。私はもっとも古きもの――始祖のレトイだ』
薄紫色の目をした<虚獣>は改めて名乗る。
「そうなのね。私はリル……って、えええ!? 始祖!?」
自分の名前を言ったところでリルは驚いて声を上げた。そんなリルを瞬きしてレトイは見る。
『感心したり驚いたり忙しい神人だな』
「気にしなくていい。元からこういう性格だ」
リュウキが素っ気なくそう言った。
「ちょっと! 初対面の相手に間違った先入観植えつけないでくれる!?」
「事実だろ」
「ちっが――う!!」
「まあまあ、リルさん落ち着いてー」
リュウキに食ってかかるリルをラナイが宥めた。不思議そうにレトイは首を傾げる。
『神人や魔族にもいるだろう? 驚くことなのか』
「だって、会ったことないし……そんなすごい人」
とりあえずリルはリュウキに食ってかかるのを止め、レトイに向き直った。
「オウルは知ってる?」
「ん? 知ってるよー」
「そっか……私もいつか会う機会があるかな。どんな人だった? やっぱり大賢者っぽいおじいさん?」
するとオウルは一瞬目を丸くするが、すぐに吹き出した。
「え? いやいや、始祖は今の神人よりも長寿だからね。外見は若いよ。中身はおじいさんかもね」
「……やけに詳しいな」
「実は始祖とは知り合いだから」
リュウキが訝しげにオウルを見ると、彼は笑顔でそう言った。
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