第6話 祖父と祖母

「実を言うと僕たちはこの手紙について父さんに聞きに来たんだ」

 伍はそう言って私に目配せをする。

「そうね、本来の目的はそのことだったね」

 二人が熱い視線を向けると、父も顎に手を突き、考え始めた。

「どこで見つけたのか知らんが、それは俺の親父、つまり由芽たちのじいちゃんがばあちゃんが死ぬ一か月前に渡した手紙だよ。手紙と言っても、読むものではなく、ばあちゃんの退屈しのぎになるように折り紙用として、送ったものだ」

「やっぱり、これで鶴を折ったんだ」

「そうだな、でもじいちゃんはそれ以降、現れなかったんだよ。研究が忙しいらしく、病院に来ることはなかった。結局、その後も死に目にも合えず、親戚からは非難が殺到したな」

「確か、無料国際シムの研究でしょ」

 伍がそう言うと、父は驚いた顔をする。

「そんなことまで知っていたのか、なんでまたそんないきなり調べ始めたんだ?」

「まぁちょっとね、そんなことよりも、もっとじいちゃんについて聞かせてよ」

 伍はうまく濁して、祖父の話をするように促した。伍は父の話を聞いている間、実に楽しそうだった。それを見た父も勢いに乗せられ、次第に饒舌になっていった。


 あれは確か、ばあちゃんの葬式の帰りだった。

 俺は帰りに親父の車に乗せられたんだ。それまで、あまり親父と話したことがなかったが、助手席に座り、運転する親父の横顔を見ると、なんだか涙が出て来た。

 俺は母さんの葬式で涙を流さなかった。でもそこで初めて、自分の中にあった思いが溢れ出たんだ。

 その姿を見た親父は黙って、見て見ぬふりをした。親父はそれまで研究室に籠っていて、俺と良太にも冷たい態度をとっていた。それまで親父からして貰ったことは何もなかったし、良太に関しては小学生ながら、自分の父親のことを毛嫌いしていた。

 そして、三十分くらい車を走らせると、飯能市に入ったことに気が付いた。飯能市は母さんが入院していた病院がある町だった。そこまで行っても父は行き先を教えてくれない。

 俺は次第に不安になってきた。親父は真っ直ぐ前を向いていたし、俺はこのままどこかで心中でもすんじゃないかと思った。

 当時、中学生だったがあれ程の恐怖を感じたことは今までなかったよ。

「親父、これ何処に向かっているんだ?」

 泣き止んだ俺はそこで初めて、行き先を聞いた。遅かったと思うが、完全に聞くタイミングを逃していたんだ。

 すると親父は、そこで始めて笑った。その笑みもなんとも言えない不気味な笑みで、俺は背筋に冷たい汗が流れた。

「お前にどうしても見せたい場所がある」

 親父はただそれだけしか言ってくれなかった。葬式の後で、もう日が沈みかけていた。それなのにどんどん山に向かっていくんだ。

 流石に俺も怖くなって叫んだよ。

「降ろしてくれよ! いったい何考えてるんだ」

「もう大丈夫だ、着いたぞ」

 俺が怒鳴ると車は止まって、着いたと言う。明らかに山の中で、薄暗く不気味な雰囲気が漂っていた。

「よしここから少し歩くぞ」

 親父は車を降りると、俺の手を引っ張って、山道を登り始める。登っている最中にこの山が病室から見えた山であることに気が付いた。

 地面はあまり、舗装されていないし、それほど歩きやすい道のりではなかったけれど、親父に手を引かれるがままに登った。

 不思議なことにその山を登り始めると、先程までの恐怖はどこかに消え去っていた。俺の前を進む親父の姿も、本当に親らしく思えたんだ。なぜそんな気持ちになったのか全く分からない。でも確かにその時は安心できた。

 車を降りた場所から山頂までの距離がそれほどあったわけではない。そもそも低い山だったので、山登りをした気分にはなれなかった。しかし山頂に着いた瞬間、俺は固まってしまった。

「なんだここは……」

 思わず、言葉を漏らしてしまった。山頂の展望台から見える景色に俺は感動したんだ。

「あんまり高くはないだろ」

 親父はそう言って、俺の肩を握る。

「でもこんな場所があったなんて知らなかった」

 俺の目には夕日に染まる美しい町が映っている。生まれてこの方こんな絶景を見たことはなかった。

「そうだろ、ここは俺と母さんの思い出の場所なんだ、天覧山と言って、標高は二百メートルもないけど、この展望台は別格だよ」

 親父はそう言って、じっと黄昏時の町を見ていた。親父は俺になぜ、両親の思い出の場所を見せてくれたのだろうか。伝えたかったことは分からなかったけれど、確かにそれは絶景だった。

 今でも鮮明に覚えている。


 父は話し終えた。

 グラスのお茶は暑さで氷が完全に溶けていた。喋り終わった父はそのお茶を一気に飲み干し、溜め息をつく。

「私たちも近くに住んでいるのにそんな場所があるなんて全然知らなかった」

 私も思わず、感嘆の声を漏らしてしまった。

「その天覧山って、飯能市のどのへんにあるの?」

 感情的にその話を聞いた私とは裏腹に伍は何かを真剣に考えながら聞いていたようだ。

「そうだな、ここか六駅ほど向こうに行けば、すぐの所だ」

 伍は何かをひらめいたように、いきなり祖父の論文を封筒から取り出した。そして紙を広げ、鶴の羽があった場所を見る。

「どうかしたのか?」

 父は心配そうに尋ねるが、伍はさらに質問を重ねた。

「天覧山の標高知っている?」

「あんまり覚えてないが、二百はいってないはずだ……」

「じゃあ姉ちゃんちょっと調べてみて」

 伍は完全に何かを掴んでいる。それが一体何のか私には見当もつかなかったが、言われるがままに天覧山の標高を調べてみた。

「197メートル……もしかして」

「ぴったりだ」

 私たちは顔を見合わせる。つまり、祖父の残した暗号の正体は座標でも等高線でもなく、標高を示していたのだ。

 そして、天覧山は二人の思い出の地、恐らくその山の標高は二人の頭の中に刻まれていたのだろう。

 いままで揃わなかったパズルが一気に揃った。この論文に書かれていた暗号が現実とついに合致したのだ。

「父さんありがとう!」

「どうしたんだよ」

「まぁちょっと、用事思い出したんだ」

「用事ってもう夕方だぞ」

「それでいいんだ」

 そう言って、私たちは部屋を飛び出した。父は私たちに余計なことは聞かなかった。ただ優しい目で送り出してくれたのだ。

 伍は走りながらリュックに入っているブルーボックスを布越しに確認した。もう夕暮れが近い、しかし、天覧山の展望台の絶景が出現するのは黄昏時である。つまり、これは最高のタイミングだった。

「これで助けることが出来る」

 伍は楽しそうに駅へ向かって走り出した。


 電車に揺られて、六駅先の駅を降りると、もう辺りは薄暗くなっていた。しかし、目の間には確かに天覧山が佇んでいる。

 当時中学生だった父が登った山であり、はるか昔に祖父と祖母が登った山である。

 登り始め、頂上に近づくにつれ、胸の高まりは抑えられなくなっていた。祖父と話すのは初めてのはずなのに、なぜか期待し、興奮していた。

「ここなんだ」

 先に展望台に着いた伍は夕焼けに染まる町を眺めて、呟く。私も遅れて到着すると、絶景が目に飛び込んできた。

 他に人はいないし、この展望台から見える景色全てを二人で独占している気分になる。

 伍はゆっくりとリュックからブルーボックスを取り出し、ダイヤルを打ち始めた。伍の手が緊張で震えているのが分かる。

 私も知らずのうちに祈っていた。最初はあまり乗り気ではなかったが、気が付くと完全にこの超常現象に心を奪われていたのだ。

 伍はダイヤルを打ち終える。沈黙が空間を支配した。

 その瞬間、ベルの音が鳴り響いた。そして相手の声が聞こえる。

 繋がった……

「もしもし」受話器からは泣き声を必死に抑えた男の声が聞こえた。その声を聞いた瞬間、それが祖父であることが分かった。

 理屈ではない、直感的に電話の先に祖父を感じたのだ。

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