第4話 兄と弟
私も夏休みに入り、伍も引きこもりから脱したことで、いつも個人で食べていた夕食を皆で食べるようになった。
叔父もそれに気を使い、最近は早めに帰ってくる。叔父は父と八才くらい離れていて、まだ三十二歳だが、いま婚約者いるとは思えない。流石に結婚するには私たちが邪魔になるだろうから、私が大学生になったら、伍と家を出ることを決めていた。
叔父は反対するかもしれない、それでも叔父のお荷物になるのだけは嫌だった。
勿論、学費の面で厳しいなら、高校卒業後すぐに就職するということも視野に入れている。
そんな一家が久しぶりに揃った日に伍はそれとなく、叔父に質問した。
「良太さんさ、じいちゃんとばあちゃんの馴れ初めとか聞いたことある?」
「あぁないな。俺がまだ小さい頃に母さんは亡くなったし、あまり顔を覚えていない。親父も俺にはなかなか過去を話してくれなかったからな」
「そうか……」
「親父と仲良かったのは兄貴……」
叔父はそう言いかけて、口を噤んた。焦りを表情に浮かべ、下を向いて誤魔化す。叔父も父から虐待を受けていた私たちには、かなり気を使ってくれるし、父の話は決して切り出さないようにしていた。
そのため、たまたま口を滑らせてしまった叔父はかなり気まずそうにしている。
「ばあちゃんの病気は何だったの?」
それを見て私は透かさず話を逸らした。この話題も決して明るいものではなかったが、すり替えるためのインパクトとしては大きいだろう。
「母さんか、俺が聞いた話によると、ずっと体が弱かったらしい。親父とは十歳くらい離れていて、亡くなった時はまだ三十代だったらしいんだ。俺を妊娠した時、医者には出産を止められたんだけど、その反対を押し切って生んでくれたんだって。その後、まだ俺が五歳の時に白血病を患い、一年と持たずに亡くなった。でも最期まで笑顔で明るい人だったらしい。三十代だと言うのに天真爛漫で、よく病院を抜け出していたなんて話も聞く」
「でも会ったことはあるんでしょ」
伍がその話に乗じてさらに質問を重ねる。
「それは勿論、でも五歳の時だからあんまり覚えてないよ」
他愛無い会話だったが、自分の祖母の意外な一面を知ることが出来た。私はその姿を想像することしか出来ないが、叔父の話を聞いていると、祖母が病院を抜け出して、主治医に怒られている姿が目に浮かぶようだった。
祖母の話を聞かせてくれた叔父はさっさと自分の食べた食器を片付け始めた。祖母の話は気軽にできても祖父の話はあまりしたくなさそうだ。これは推測だが、祖父とは仲が良くなかったのかもしれない。
夕食を食べ終わり、片付けが済んだ私は二階の自分の部屋へ足を運んだ。階段を昇る途中、部屋に明かりが点いていることに気が付く。一階に降りてくる時に消したはずなのに煌々と明かりが扉の隙間から漏れているので、不思議に思った。私は慎重に扉を開け、中を確認する。
すると私のベットの上に伍が座っていたのだ。
「なんでここに居るのよ」
「姉ちゃん、良太さんの話聞いてどうだと思う?」
伍は唐突に口を開いた。
「どうって、なによ。別に他愛無い話でしょ」
「まぁそうなんだけど。ばあちゃんがよく病院を抜け出していたって言ってたでしょ。つまり、電波領域の示す場所が病院の外にあることは確実なんだ。でも当時ばあちゃんは白血病、そこまで遠出は出来ない。それを考ると多分、市内だと思う」
「でも市内と言っても広すぎる。それにこんな田舎に思い出の場所なんてあるの?」
「それを探すために父さんに会いに行く」
私はその言葉を聞いて唖然とした。私はまだ暴力を奮った父を許していないし、まだ会うのは怖い。本当なら、もう二度と会いたくないと思っていた。そもそもいま父がどこに住んでいるのかも全く見当が付かない。
「ちょっと、正気なの! なんであんな奴に会いに行くのよ」
「良太さんはそこまでじいちゃんのことを知らない。それに言いかけたでしょ。兄貴のほうが詳しいって」
「伍は怖くないの?」
私は顔を覗き込んだ。
「確かに怖いかもしれない。でも僕たちが一生避け続けていては何も解決しない。別にこの電波領域に限った提案じゃないよ。いつか仲直りしないといけないと思うんだ」
「なんで、そんなことするの? このままでいいじゃない」
「ダメだ。それじゃダメなんだ。良太さんには良くしてもらっている。でも僕らの父さんは一人しかいないんだ」
「そんなことをしても何も変わらない! 良太さんにこの先もずっと頼るなんて考えていないし、そんなこと言ったら面倒を見てくれた良太さんに申し訳が立たないよ」
「姉ちゃん、これは僕らの問題なんだ。怖くても、会いたくなくても、父さんという不変の存在は一つしかない。この恐怖を乗り越えなければ、この先ずっと逃げることになる。自分が不幸だと思って逃げ続けることは簡単だけれど、それはただの甘えだ。時には克服するために進まなければないない時だってある。でもきっかけがないと流石に難しいよね。でも僕たちにはある。この機会を逃したら、もう一生会えなくなってしまう気がする。僕らの手で不幸の連鎖を止めようよ」
伍はじっと私の瞳孔を見つめながら喋った。一瞬たりとも逸らさなかった目は、怖いほど透き通っている。
「過去が変われば、私たちがその未来に移動するって言ってたよね」
「うん、多分じいちゃんが死ななかった世界に辿り着くはずだ」
「その世界にはお母さんやお父さんも居るのかな」
「きっと居る。じいちゃんの死が不幸の分岐なら、その連鎖は留まってくれているはずだ。まだ見ぬ、並行世界では僕たちが一家団欒で楽しく暮らしているよ」
伍は立ち上がると、部屋を出ていった。私は一人きりになった瞬間、頭の中で走馬灯のように記憶が駆け巡った。
その記憶はどれも母が死ぬ前に見た父の優しい笑顔ばかりだった。
翌日、私は久しぶりに自ら伍の部屋を訪ねることにした。伍の部屋に入るのは伍が引きこもって以来初めてである。
その三か月の間は私も気を使い、部屋に近づくことさえしなかった。
姉弟だと言うに、三か月ぶりに弟の部屋に入るだけでこんなにも緊張する。ドアノブを捕まえた手は汗ばんでいた。この滲む汗が夏の暑さに限ったものではないことを自覚する。
ノックをすると伍の声がする。ゆっくりとドアを開けると、伍はもう起きていて、ちょうどカーテンを開けている最中だった。
「どうしたの? 姉ちゃんから僕の部屋に入ってくるのは珍しいね」
伍はカーテンを掴んだ肩越しにそう言って振り返る。
「お父さんに会いに行こう」
私がそう言うと、少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの顔に戻り、静かに頷いた。
私はそのこと伝え終わると、自分の部屋に戻り、支度をし始める。いったい父がどこに住んでいるのかも分からない。
それを叔父に聞いたところで本当に教えてくれるのかも分からない。それでも、父に対する不安や恐怖は昨日の伍の話で少し薄れていた。
これは私が一晩考えて、決断したことでもあるし、誰に指図されることでもないと思う。叔父に引き取られてから、何度も父の顔を忘れようとしたが結局、頭から完全に離れてことは一度たりともなかったのだ。
「良太さん、父さんの居場所を教えてほしいんだ」
リビングに居た叔父に向かって伍が言うと、叔父は祖父の時とは全く別の反応を見せた。眉間にしわを寄せ、持ってい新聞を静かに置いた。体を正面に向け、もう一度聞き返す。
「兄貴の場所を知りたいのか」
「これは私たちが決めたことだから。このままじゃいけないと思ったの」
私は叔父に向かって勢いよく、言い放った。
「ちょっと、待ってくれ」
叔父はそう言って、ソファに座り込み、頭を抱えて考える。約一分ほどの時間が経過し、叔父は膝に手をついて、溜め息をつく。
「分かったよ……全く子供は想像以上に早い成長をすんだな」
叔父はそう呟くと、祖父の時と同様に細かい地図を書いてくれた。恐らく叔父の頭の中も昨晩の私と同じだったのだろう。
人生に正解なんてないが、正道はあるのかもしれない。それを伍は教えてくれたのだ。
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