第3話 祖母と祖父

 仏壇はもう何年も使われていない。蜘蛛の巣が張っていて、その奥で優しそうな祖母の遺影がこちらを覗いている。

 遺影の姿はまだ若く、一見四十代くらいに見える。しかし、その顔はかなりやつれていて。聞かなくとも死因が病気であることは察しがついた。

 仏壇は大きく、この寂れた居間の中でも一番の存在感がある。引き出したが二段あり、一段目には線香などがしまってあった。

「まず、手を合わせようか」

「線香も上げたほうがいいよ。ばあちゃんが僕たちに協力してくれるかもしれないんだ」

 私と伍は線香に火をつけて、香炉に差すと、深く手を合わせた。線香の煙が漂い、私は母の葬式を思い出す。

 母を亡くしてから、何度も線香をあげているがこの香りは葬式の時に嗅いだ香りと全く同じものだった。

「よし、ちょっと探させてもらうよ」

 伍はそう位牌に向かって言うと、仏壇の二段目の引き出しを開ける。すると、そこには一通の封筒がしまってあった。

「これなんだろう、おじいちゃんの手紙かな」

「多分ね、恐らくばあちゃんに宛てたものだろうね」

 伍は慎重に封を切り、その中から三通の手紙を取り出す。しかし、その手紙に書かれていた文字はどう見ても日本語ではなかった。

 さらにその三枚はどれも折れ曲がっていて、非常に読みづらい。折り目が入り乱れていて、まるで一度、丸めたような紙だった。

 目を通すと、文字は英語で、かなり難解な文章であることが分かった。祖父も祖母も見た限り、日本人だし、この英語の文書をわざわざ仏壇にしまってあるのはいささか不自然に思える。

「これって、手紙じゃないよね」

「論文だよ。でもこれは全てじゃない、その切れ端だ。ここに項が振ってある」

 伍が指した場所を見ると、そこには確かに項数が振ってあった。しかし三つの論文の項数は飛ばし飛ばしで一番離れているものだと、十項は飛んでいる。

「この文書自体には意味がないのかもしれない」

「それって不自然じゃない」

「なにかの暗号なのかも」

「なんで暗号を?」

「じいちゃんはブルーボックスの存在に気が付いていたけれど、それを公表したくなかった。そして恐らく、ばあちゃんに先立たれたんだ」

「それで亡くなる前に暗号を渡したの? なんのために?」

「多分、ばあちゃんが病気になった時、頭の中ではブルーボックスの構想がもう出来上がっていた。つまり、電波領域のことも気が付いていたんだ。そこでこの文書を渡し、電波領域が入る場所まで誘導した。でもそれがバレてはまずいから、暗号化したんじゃないかな」

「ちょっと飛躍しすぎじゃない。それじゃあ二十年以内に自分が完成させることを分かっていたみたいじゃない」

「確かにそうかもしれないけど、じいちゃんは相当な自負心を持っていたんだと思う。まぁどちらにせよ、この文書の不自然さは何かの手がかりになるかもしれない。じいちゃんの家に来たことは無駄ではなかったんだ」

 伍はその手紙を握りしめた。

「でもこれじゃ何も分からない。なにか他にないの? これが暗号だとして」

「うーん、ちょっとその封筒を見せて」

 封筒は中に入っていた文書に比べ、折り曲がってるわけではない。どちらかと言うと、新品に近い状態だった。

「ちょっと待って、ここに何か書いてある」

 伍はついに封筒に書かれてあった、を見つけた。私も同じように封筒を見ると、小さく「羽を合わせて」と書かれてある。

「どういう意味だろう」

「羽って、この文書と何か関係があるのかな」

「さぁね、この時点じゃ全く分からない」

 その後も二人で家中を探し回ったが、特に何も見つからなかった。しかし、その文書が重要であるということだけは不思議と分かっていた。


 伍はその文書の解読をするために再び部屋にこもってしまった。姉としては、祖父を救うことがそれほど重要なのか理解できないが、伍がいかに真剣なのかは伝わってくる。

 そして、五日が経った朝、伍は再び私の前に現れた。

「五日前、じいちゃんの家に行って、見つけた文書の話を未来の僕にもしたんだ。その後、未来の僕も再び家に行ったらしいんだけど、仏壇の二段目の引き出しには僕たちが見つけた文書は入っていなかったんだって、その代わり写真を一枚見つけたらしい」

「それっておかしくない。二十年の間に誰か入って差し替えたってこと?」

「それはあり得ないらしい、未来の僕が言うには誰かが入った痕跡はないんだって」

「じゃあどうして……」

「未来の分岐による事象の変化だと思うって言ってた」

「だって、未来って私たちの未来でしょ」

「どうやらそうじゃないらしい。僕たちの世界はこの世界だけで、その他に無数の世界が並行して混在している。そのため、未来の僕がいる世界と僕のいる世界は違うらしんだ」

「じゃあ祖父を助けても意味がないじゃないの?」

「確かにこの世界に及ぼす影響はないかもしれない。でもそれを起こした本人はその並行世界を移動するんだ。僕たちに関わる影響が大きければ、それを実行した僕たちはこの世界に居られなくなる。そして、僕たちは祖父の生きている世界に転送される」

「でもそれって私たちのエゴじゃない」

「多世界を視認しているうちはね。この世の真理なんて存在しない。今まで沢山の哲学者が自分以外、つまり他の真理について研究してきたけれど、たびたびそれは否定されている。つまり、僕たちが真理であり、僕たちの世界が真理だと思うしかない。僕たちが世界を移動したことにより、相対的に世界が変わったことになる」

「でも今の世界も残るんでしょ」

「それは分からない、コペンハーゲン解釈では他の世界は収束するとも言われている。つまり、僕たちと関係を絶った世界は収束するのかもしれないね」

 私は伍の言っていることを半分程度しか理解できなかったが、納得したような顔をして、話を進めた。

「ところでその写真て何だったの?」

「そうそうそのことで呼んだんだ。その写真にはばあちゃんが病室で鶴を折っている姿を映ってたらしい」

「やっぱり病気だったのね」

「そして、その鶴を折っていた紙は色紙ではなく、英語で埋められた書類だったんだって」

「え、じゃあまさかあの文書で鶴を折っていたの?」

 伍は静かに頷いた。それを聞いて私の頭の中にあった折れ曲がった手紙の不自然さが繋がった。

「そこで気が付いたんだ。あの封筒に書いてあったメッセージ」

「羽を合わせて……もしかて折り鶴の羽のこと!」

「大当たり」

 伍はそう言うと、自分の部屋に戻り、少しすると大きめの折り鶴を抱えて帰ってきた。その羽にはびっしりと英文が刻まれている。

「そしてこの鶴を項順に並べると……」

 私は伍が並べた折り鶴の羽をよく観察した。すると、英文に紛れて、羽の先に数字が刻まれていることに気が付く。

 1、9、3

 確かに順番通りに見るとこの数字の配列が浮かび上がてきた。

「これが暗号? でも全く意味が分からない」

「僕もいろいろ考えてみたんだ。座標とか等高線とか、でもそんなことじゃないと思う。なんたって電波領域を繋げるものは人の思い出なんだ。それを座標で示しても意味がない。恐らくこの数字は二人の思い出に共通している神聖な数字なんだと思う」

「マンションの番号とか、でもこんな十九階建てのマンションなんて、飯能市にはないわ」

「うん僕もその線は調べた。病院の部屋番号かとも思って、調べてみたんだけど、こんな番号がある病院は存在しなかったし、そもそも入院している病院が電波領域を示す場所なら、わざわざ暗号化して送る必要もないでしょ」

「確かに……」

 暗号が解け、もう少しで正解に近づきそうになったところでまた手詰まりになってしまった。

 祖父と祖母の思い出の数字として考えられることは考え尽くしたつもりだが、この1,9,3に繋がる手がかりは何も発見することができなかった。

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