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 時計を見ればその短針はまっすぐ、いやほんの少しだけ右に傾いているかもしれないが上を指している。この時間、教室は電灯がついているが陽の光が入るこの教室ではもしかしたら点けなくても明るいかもしれない。そっちの方が環境的にもいいんじゃないかなあなどと意味ありげで行動に移さなければ全く意味のないことにふけていた。

 だが、そんなことにふける時間は長くはない。昼休憩の時間である今目の前の昼ごはんを食べるのが最優先だ。


 克人君の家に居座るようになってから、昼ごはんは弁当だったり、弁当でなかったりしている。ここ数年はそんなことがなかったから昼ご飯でも一喜一憂している自分がいた。もちろんそんなことというのは後者であって、嬉しいのはお弁当であった時。

 克人君は料理上手という訳ではないが下手でもない。正直私と同じくらいのレベルだ。でも彼が作った弁当にしろ私が作った弁当にしろ、同じものを食べているという事実が私を安心させてくれた。


 なのに、今はどうしても浮き足立ってしまう。それだけで安心できない自分が騒ぐ。

 一体何に私は怯え、不安になっているんだろうか。


「かーえでっ、何か悩み事でもあるの?」

 視界の左側を突き破るように出て私にその存在を認識させた一人の少女がそう告げる。

 奈々子は無言でさも当然のように両手で大事そうに持っていた弁当箱を私の机に置き、近くの椅子を私の正面に持ってくると、流れるような動作でそこに座った。


「そんな悩み事あるように見える?」

 悩み事というものなのかどうかは分からないが、他人の目からそう見えたことに驚いた。

「そりゃそんなずっと落ち込んだ顔してたら誰でもそう見えるってぇ」

 騒がしい教室。ただ一人で黙々と昼ごはんをとっていた自分はこの教室の中ではかなり小さい存在のはずなのにそんな変化に気付く友に心の中で感嘆の音を上げる。


 落ち込んでいる……か。自覚はないんだけどなぁ。

「で、何にそんな悩んでるの?」

「悩んでる……って訳でもないと思うんだけどな……」


「有馬君でしょ」


「へっ?」

「だって楓、有馬君と出会う前の状態みたいだもん。有馬君に会って笑顔が増えて、今は何かそれが少ないから、まぁそんな感じ?」


彼の所為。この胸中の濁りの原因が。


「っで、どうしたの?」

 奈々子はずいっと体をこちらに寄せそう聞く。


 そんなことを聞かれてもどう答えればいいかが見つからない。悲しくて、怒って、辛い。それが全てだ。


 一言でも何か言ってもらいたい。

 彼に一言だけ言葉をかけてもらって安心したい。

 でも、それは、その欲が彼に寄り添うと決めた私をものすごく責めるんだ。


「うん……よくわかんないや。自分でも」

「そっか……」

 彼女はそれ以上深掘りしない。人の悩みをほったらかしにしている訳ではない。悩みを聞きいてあげたいとかその前に他人の感情を慮ってくれる。だから、私は彼女に甘えてしまうんだ。何も聞かないで接してくれる彼女に過去も、傷も曝け出したことはなかった。


「で、ところでさ、3年の先輩とデートに行ってたていう目撃談を手に入れたんだけど、どう説明するおつもりで?」

 とはいえ、彼女も墓穴を掘ることだってある。それもおそらくこの悩みに関わっていた。だからあまり聞かれたいことではなかった。

「なんていうかそういう流れになっちゃって。良い先輩だし最近いろいろ気遣ってくれたりして……」


「ふーん……でもちゃんと正直な自分は持っといた方がいいと思うよ?」

 終始ニヤついたりしていた彼女は表情のスイッチをオフにし、どこか真面目さを含んだその顔で私に告げた。

「え?」

「まぁ私が言えることじゃないんだけどね。あとさ、頼りないかも知んないけど、悩み事あるなら言って欲しいな。なんていうか楓全部オブラートに包むっていうかさ、本音を全然見せてくれない感じがするから。もうちょっと正直なってもいいんじゃない?」


「ごめ、なんか説教臭い話になっちゃった。でも本当に悩み事あったら言ってよね?」

「うん……」


 時計の短針がその針を右に30度傾かせているのが視認できるまで、話題を変えて他愛のない話が続く。奈々子は重くなった雰囲気を変えるために舌をフルに稼働して回しに回し、午後の授業の予鈴がなる頃にはもう私の口角は上がっていた。


 私もじゃないか……。正直でないのは。


 奈々子にこの悩みを打ち明けたい。でも怖いんだ。だから彼女の優しさに甘えてしまう。

 

 でもそれでもやっぱり辛いよ……

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