31
日を連ねるほどに気温が下がるのを感じ、今日も半日を消費していた。ここ最近は連日で委員会の仕事をこなしている。気付けばもう文化祭まで1週間と少しとなっていた。今日もまた成瀬さんを隣にパソコン相手に数字を打ち込んでいる。
「今日もご苦労様でした」
文化祭実行委員会の委員長の声で教室一杯に机を並べている群衆は次々に帰宅モードへと移行する。その流れに乗せられ、俺と成瀬さんも同じく鞄に荷物を入れ始めたところで意外な人物に声をかけられた。
「やぁ、成瀬さんと有馬君」
そう言って声をかけてきたのは加賀美先輩だった。隣にはぴったりとくっついて市原先輩もいる。この文化祭の準備に携わっている数日間彼とは話す機会こそあったものの、内容も、話す動機もすべて委員会としての活動に関してのみで、委員会活動後に彼が話しかけてくるなんて初めてだった。一方彼の彼女だという市原先輩は女子同士の会話として成瀬さんに話しかけているのをたまに見かけてことがあった。
「何か、俺たちがやることがありました?」
とにもかくにも彼らが自分にも活動後に話しかけてくるのは初めてだったため、俺は委員会活動の延長線上のコミュニケーションとして対応した。
「いやいや、委員会の話じゃないよ」
「何の話でしょうか?」
加賀美先輩が否定したことに次は成瀬さんが疑問をぶつけた。
「うーん、ちょっとここでは話にくいことなんだよねぇ。この後空いてる?」
加賀美先輩にぴったりくっついていた市原先輩が口を開いた。
話にくいこと、という疑問が委員会の話じゃなかったという疑問に上書きされていく。一体何の用なのだろうか。プライベートな面でも彼らとの接触はないし、思い当たる節はなかった。とはいえ断るわけには行かないし、この後の予定はあいているため応じる方向で話を進めようと決めた。
「空いてますけど」
成瀬さんを見ると、私もと頷く。
「じゃあ、良かった。ちょっと喫茶店でも寄って行かない?」
単純に先輩後輩の仲を深めたいからだろうか。意外な提案に顔を合わせて「どうする?」と視線を交差させたが、成瀬さんがうなずいたのを確認して、「是非」と俺が返事をした。
*
加賀美先輩が先行してドアを開けると、「カランカラン」と低い鐘の音がした後、「いらっしゃいませ」と店員から挨拶をうけた。
店内は、薄暗い照明に木目調が強調されている濃い茶色の壁。そして壁よりまた一層黒に近いL字型のカウンターテーブルが奥の壁へとくっつくように佇んでいる。他にはカウンターテーブルと同じ色の丸い机が4つほど並んでいて、それぞれの机は4つの椅子で囲まれていた。先輩が「4名で」と答えるとそのまま誘われるように四人席に案内された。普段からブラックコーヒーを好んで飲んでいる俺は、店に充満するコーヒー豆の土臭さと大人を感じさせる落ち着いた匂いが嫌いではない。この喫茶店はどうやらかなりコーヒーに力を入れているようで、自家製のブレンドコーヒーを販売しているのが見える。
「克人君、この匂い好きなの?」
「え?」
急に成瀬さんが尋ねてきた。急な質問だったため、返答に答えるというよりなんて質問されたっけという疑問が先に浮かんでしまう。
「えっと、その……なんか嬉しそうな顔してたから」
自分でも気付かなかった己の変化に驚いてしまう。今嬉しそうな顔というものをしていたことにも、そんな顔をする自分にも。
「コーヒー好きなのかな……」
嫌いではないという認識が、自分はコーヒーが好きなのかという疑問に変わる。これも一種の「好き」という気持ちかと思い席に座った。
成瀬さんは、訝しげな顔をして俯き「私もブラック試してみようかな……」と呟いていた。
店員にメニューを渡されて確認すると、左上に一番大きく「こもれびブレンド」と書いてある。どうやらこの店の名前はこもれびというそうだ。4人とも「こもれびブレンド」を選択して、店員に告げた。
「二人はこの店初めて?」
市原先輩が注文し終わったと同時に質問してきた。
「学校帰りに寄り道っていうのがそもそも少なくて……」
俺は正直にそう答えた。学校帰りに寄り道したのは記憶を遡るとこの高校生活中は10回にも満たない。それも全て郡か剛とだけだ。成瀬さんと寄り道したのも初めてだった。
「私も……」
「二人とも優等生だねぇ」
感心するような、驚いたような声を市原先輩があげる。
「ごめん、いきなり本題に入ってもいいかな」
これ以上話がそれないようにするためか加賀美先輩が口を挟んだ。どうやら俺と成瀬さんが呼ばれたのはただ交友を深めるためではなかったようだ。
「今日呼んだ件なんだけど……まず確認させてもらってもいいかな?」
加賀美先輩はどこか遠慮した様子で尋ねてくる。
「何をでしょうか?」
その返答には俺ではなく成瀬さんが答えた。
「んー二人は付き合ってるの?」
「えっ?」
遠慮そうな加賀美先輩の横から急に市原先輩から質問されたこと、そしてその内容に成瀬さんが動揺して声をあげる。俺も声こそは出なかったが何故急にと内心かなり驚いていた。
「いや、そのね。文化祭実行委員の委員長いるでしょ?」
何故委員長の名前が出てくるのかはわからなかったが、当然俺と成瀬さんは何回も委員会で見かけている。確か、顔立ちの良さそうな高身長の優等生っぽい人だった気がする。深くは知らないが、委員会をしっかり束ねており、帰宅部なのかは知らないが自ら手を挙げてこの委員会に立候補したようだった。
俺と成瀬さんが「はい」と答えると市原先輩は話を続けた。
「その、三宅っていうんだけどね。そいつと純って親友みたいな感じなのよ。それでね……その……」
市原先輩はお互いに恋人同士であることを俺たちの前では隠そうとはしていない。純とは加賀美先輩の下の名前であり、当然のように下の名前で呼び合っていた。
「三宅が、なんていえばいいかわからないけど成瀬さんのことが気になっているとか何とか言ってたんだよ」
「私たちの前では「可愛くて気になるんだけど」とか言ってたけどね」
急な打ち明けに衝撃に近しいものを感じる。この場にいる誰かが誰かに告白した訳ではないが、誰かの成瀬さんに対する好意を明かされると驚かずにはいられなかった。確かに成瀬さんの容姿は良い方だろう。だが、打ち明けが急すぎて当の本人も固まっている。
「……そんな話を何故、自分たちに?」
成瀬さんが固まったままなので俺が言葉を返すことにした。それに聞きたいことでもあった。こんなことを成瀬さんに加賀美先輩と市原先輩が話して良いものかと。
「だから、二人が付き合ってたら三宅も諦めるしかないでしょ?前は付き合ってないって言ってたけど本当のところはどうなのかって聞きたくなったのよ。純ほどではないけど私も三宅と友達だし。傷ついて欲しくなくてね。それにまだ本気というよりはちょっと気になってるくらいらしかったから、もし二人が付き合ってたら私たちの方から話ておこうと思って」
理解はできたが、話が急すぎたのと意外すぎたため納得が追いつかない。
やっぱり自分には周りに渦巻く感情が本当に理解できない、感じ取れないのだと思ってしまう。
「で……どうなのかな?」
加賀美先輩が成瀬さんに聞く。成瀬さんはその視線と声にようやく固まっていたのが溶けた。
「えっと、私たちは……付き合っては……」
答えは「ない」だ。自分が成瀬さんに向けている気持ちが分かっていない今、彼女の恋愛感情も、彼女に向けられる恋愛感情も俺が口出しする資格はない。
それなのに、何かが渦巻く。得体の知れないものが心の中で。
「付き合っては……ない、です」
言葉詰まる彼女の隣から俺はそう答えた。そう言うと先輩たちは「そう……」と言う。僅かな沈黙を経るとコーヒーが4人分やってきた。市原先輩は砂糖とミルクを、加賀美先輩はミルクだけをコーヒーに混ぜる。
俺はいつも通りブラックのまま飲んでいると、隣では成瀬さんが俯きながらブラックのままコーヒーを口にしていたが、二口目で限界だったらしくミルクと砂糖を入れて飲み直していた。
そのコーヒーは素人の俺でも美味しく感じるコーヒーだった。炒れる豆でこんなにも味が変わるのかと驚く。これまで拘ったことのなかったコーヒーの豆だが少し興味が湧いてきた。
そして、そのブレンドコーヒーは深く、そしてとても苦かった。コーヒーを飲み終えた今も俺は口を食いしばっているのを感じている。
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