怒情

29

「克人。成瀬さんって子と付き合ってるの?」


 陽が昇るのと沈むのを繰り返し、1週間が経つ。陽が昇る回数から一つ引いた数、俺と成瀬さんは一緒に登校し、陽が沈む回数から一つ引いた数、俺と成瀬さんは一緒に下校した。引いたその一回は日曜日分だ。

 その間、俺と成瀬さんの間は何か進展があったのか、それとも停滞していたのか、はたまた後退したのか分からない。

 ただ、あの夢が消えさることは無かった。また消えぬ心の傷。久々にあの夢を見なかった夜。一体俺は何を感じていたのか。自分の中に答えを求め続けてしまう。


 悪い意味で進展と言えば、毎日一緒に登校しているものだから。噂というものが流れてしまった。その結果が今のこれだ。


「いや……」

 特に深く考えることもなく、俺は2文字で否定した。

 この数日間ごくたまに質問されることがあった。普段は教室にいるかどうか分からないような存在なのになぜこのような話になると、急に存在が認知されていくのかどうにも不思議に思う。


「いやぁ、怪しいな」

 だが、剛の追求はそれで終わらなかった。目の前の親友は顔をにやつかせてくる。

「剛。そのへんにしてくれ……」

 疲れたような呆れたような声が出る。答えはどう弄っても変わらない。

「はいはい。にしても、成瀬さんか……。男嫌いなイメージあったんだけどな」

 先ほどから悪戯なその顔が変わらない親友の口を止めさせたが、その代償として意外な成瀬さんのイメージを知ることとなった。実の父親に虐待を受けていた。男性というものに悪いイメージを抱いても致し方ないだろう。

 そして、他クラスの剛にもその存在が知られていたとは、意外だった。

「俺はてっきり郡と付き合ってると思ってたんだけどなぁ」

 親友の追求を止めた代償に、意外な自分へのイメージも知ることとなる。

 記憶に蘇るのは、いつしかの屋上での出来事。幼なじみ以上の存在とはどういうものを彼女が求めているのか、やはり俺には分からない。

「俺はどちらとも付き合ってなんかないぞ?」

「分かったって。でも郡、明らかにお前に好意寄せてるじゃん。」

 好意……か。よく耳にはするが、俺の頭の中にその解説は残念ながら載ってはいない。

 存在を否定している訳じゃない。引用元が「経験」である頭の中の辞書にその言葉が載っていないだけだ。ただ、よく分からないのだ。

 言葉にするにはその経験が浅すぎて。


「どちらとも付き合ってない、か……」

 剛がこの短い会話によって出た答えを呟く。

 悪戯な笑みを解き、この短い会話の中で初めて視線を俺から外した剛の遠くを見るような表情は中々俺の頭から離れなかった。


「成瀬さん、これ」


 陽が落ちかけてきた頃、俺は成瀬さんと委員会の仕事をこなしていた。予算やらを調整しなければならない俺たちはたくさんの資料を今パソコンに向かって打っている。その資料の一つを右隣の成瀬さんに渡たす。一つの資料にもたくさんのデータがある。俺はそのたくさんの中のデータの1項目を、成瀬さんはまた違う1項目を打ち込んでいたため、このような体制となっていた。


「ん、ありがと」

 お互い、この短い動作に顔を合わせることもなく、左から右へと資料やらを回す。ただ、機械的な動作でつまらなくも感じたが特に語ることもなく成瀬さんと息合わせて作業できることが何だか、心地がいい。


 時間が流れる。

 時間は等しい間隔で進んでいるはずなのに、いつもより時間が早く走っていくように感じる。

 「もう時間なので、今日はこれで終了です」と委員長から声がかけられた時には達成感といえばいいのだろうか、そんな類の感情を自分に見いだせた。


「疲れたねー」

「そうだね」

 ここ数日と同じ流れで俺と成瀬さんは帰路に立つ。そうしてまた一緒に帰る回数を一つ増やしていく、はずだった。

 ポケットの中で存在感を失っていた携帯が振動と共にその存在を思い出させる。

「……成瀬さん。今日は先に帰っておいてくれないかな?」

 メールの差出人は剛からだった。教室で待つとだけ書いている。無愛想なメッセージだが、その無愛想さが直接話たいという彼の気持ちを表しているように感じる。

「そっか……。じゃあ、今日の晩ご飯は私が作っておくね」

 成瀬さんは、一瞬寂しそうな顔を見せたが顔を切り替えて、笑顔で俺を見送ってくれる。俺は見送られながら教室へ歩みを進めた。


「……克人」

 彼以外誰もいない教室には傾いた陽からちょうど光が届いている。

「郡と、付き合ってないって言ったよな」

 口調は強いが、どこか不安や緊張を帯びた声で剛は俺に語りかける。

「あぁ」


「……克人、俺は郡が好きだ。郡と克人が良い関係だと思ってきたからずっと抑えてきたけどやっぱり自分には正直でいたい。かっこ悪いことはわかってる。それを踏まえた上でお願いだ」

「……」

 頭がついていっていない訳ではない。俺が鈍いのかどうかは知らないが、ただ意外だった。


「郡に告白するの手伝ってはくれないか」

 放課後の教室は空調が効いていない。夏に取り残された僅かな暑さが俺と剛の間に蔓延して、こめかみから顎まで一線の汗が流れる。

 是非手伝わせてくれだの、自分で頑張れだの思う前に、俺は、「好き」とは何か。自分の辞書にその解説を載せることができるのだろうか。ただ、そう思った。

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