25
―もうしばらく戻って来なくていい
私を囲む多数の影の中の一つから声が放たれる。
克人君の声より低く、冷たい声が聞こえる。私の記憶の中から取り出した言葉。
―何であの子だけっ
次はまた別の影から甲高い女性の声が聞こえる。私の記憶の中からセリフと声が取り出されて生成された言葉。
2つの影が離れていく。
―あいつ虐待受けてたんだって……
―しかも、親父に何回もレイプされたらしいよ
―えぇーっ
―でもさ、親父も親父だけど、『何回も』って親父にヤらされて喜んでんじゃね?
違う。
―まぁあのルックスだし、慣れたようなもんだろ痴女が
―虐待とか受けてたら、普通誰かに相談するでしょ?
―それな。もうこりゃドMの変態だろ。俺だったらすぐに助け呼ぶよ
違う違う違う
―あんな大人しそうな顔しといて本性ビッチか
―俺の童貞あいつもらってくれないかなぁ
―やめとけやめとけ親父とヤるど変態だ。お前がもたねぇよ
―ねぇ、ありえなくない?
―ね、もうあの子と関わるのやめよ
―私の彼氏も取られちゃいそー
―うわっその可能性もあるのか。今のうちに注意しとこ
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うっ
周りの影が私を嗤い、離れていく。
―楓、そうなの?
一番親しい声が聞こえる。私が無理をしてでも学校に行こうとした理由。彼女はこんなこと言わない。これは妄想だ私の悪い夢。でも、それでもその声に心を抉られる。
違うの、これは怖くて……
声が出ない。
また一つ影は離れていこうとする。
待って、ねぇ、待って!
気づけば周りの影はほぼ姿を消していた。ただ一つ隣の影を除いて。
離れないで。お願いだからもう、私の周りから消えないで
お願いだからっ克人君……
「……はぁ、はぁ、はぁ」
夢……か。
私を嗤う声が消えた。視界には白い天井が見える。視覚も、聴覚も戻ってきた。
体が震える。背中にはベッタリとくっつく制服の感触があった。ベッドのシーツも濡れていた。それらは初めて見た悪夢。その証拠だった。
両親、友達、親友が離れていく。これは妄想なのだろうか。妄想であってくれるのだろうか。
「うっ……うぅっ」
私は克人君に救われたはずなのに。何でまだ苦しめられなければならないのだろうか。いや、本当に救われるのはこれからなのか。克人君が味わっているように。
泣いて、怯えて、恐怖して理解する。本当の悪夢はここからなのか、と。
辛い過去。でもあの時は辛いことにすがっていた。逃げる勇気も助けを求める勇気もなかった私は家での辛さと引き換えに居場所を得ていた。辛いことに我慢すれば家にいられる、友達と会えると。
この夢に毎日うなされるなんて耐える自信がない。私に彼を救うなんてできるはずがない。自分でさえ救えてないのに。
克人君に会いたい。気持ち悪いとか思われるかもしれないけど、今この怯えを収めてくれるのは克人君と克人君との居場所しかない。今はそれにすがるしかなかった。
その衝動で、足が進む。ドアを開けてリビングへのドアを開く。
「おはよう、克人く……」
おはようという時間帯でもないが、寝起きの挨拶として選んだそのフレーズは虚しくも無人のリビングに響いた。
「あれっ? 洗面所かな……」
無音で、静かで、寂しい部屋の雰囲気に不安する。
洗面所にもいない。トイレを使っている様子もない。風呂場にも、キッチンにもどこにも克人君の姿は見えない。
「えっ?」
書き置きも、メールも何もない。何で克人君の姿だけいなくなっているの?
彼がただ少しだけ出かけただけかもしれない。でも、それでもあの夢をみた私にはそう考えるには至らなかった。
彼も私のことを捨てたの、か……
ここにも私の居場所はないのかな
克人君ならって思ったのに。
「克人君っ……」
急に視界が曲がったまま私は居場所を出た。
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