24

「か、克人君っていじわるだよ」


 高校の最寄駅についた俺と成瀬さんは並んで改札を通る。成瀬さんの頬はまだ赤らんでいた。そんなに酷いこと言ったかどうか疑問を抱いてしまう。

「なんで?」

 面と向かって悪口を言われるのも釈然としないので質問することにした。

 そもそも成瀬さんが俺に悪口を言うのが初めてだったので気になった。

「だ、だってぇ……あんなこと平然と言うんだも……」

 体の前で両手の人差し指を回しながら俯いて呟いた彼女の声は、最後の方は何を言っているのか分からなかった。


「あんなこと?」

「あぁっもうっ……い、言われる方の気持ちも考え……」

 俺の発言に食いついたと思えばどんどんとその声は小さくなっていき、やっぱり最後の方は本当に何て言ったのか分からなかった。

 怒ったり、恥ずかしがったり彼女の表情がテレビのチャンネルを変えるくらいの切り替えの速さで変わっていく。なんだか息が苦しくなる。痛いとか辛いとかじゃなくて、胸部を締められているような感覚だった。正体もわからないその感覚に少し戸惑いを覚える。


「じゃぁ、ごめん……」

 息が苦しいのが一体どこから起因しているのかがわからなかったが、とりあえずこれ以上成瀬さんを不機嫌にするのは得策ではない。彼女が怒っている理由も、俺が息苦しくなっている理由もよくわからないまま素直に謝った。いや、理由がわからないのに謝っている時点で素直、ではないか……。

「あ、謝んないでっ」

 一体なんなんだろうか。怒っている訳ではないが、流石に呆れてしまう。


 彼女の表情は怒ったり、恥ずかしがったりはっきりしていたが、俺の心では「あんなこと」とはなんのことか、なんで成瀬さんに悪口を言われたのか、息が苦しくなるこの感覚がなんなのかとマルチタスクで疑問に取り掛かっていた。

 そんなブラック企業もお手上げな作業を続けていると1分もせずに電車が駅に停まる。それを機にこんがらがっていた俺の思考は一旦取りやめとなった。


 幸いなことに成瀬さんも機嫌が直り電車の中から家に着くまでは他愛のない話を交わすことができた。


「ただいま、ふぅ……」

 もう成瀬さんも家に来て3日目か。もう俺の家に入るのにはかなり慣れた様子だった。だが、まだ3日目だ。彼女の表面的な傷でさえまだ治っているはずがない。家に着いた安心感からか玄関の壁に手を着いた。


「成瀬さん。休む?」

「ごめんね……ちょっと今、結構限界なんだよね」

 休むかと提案したのは彼女の体のため。彼女は家に入るまでなんともなさそうに振る舞っていたが電車を降りる頃には彼女の額に汗が滲んでいた。


「あっ……ごめん、克人君ちょっともう……」

 左隣にいる声がか細くなっていく。だが、それは先ほどみたいな恥ずかしさが原因ではない。俺はよろめいて倒れそうになった彼女の体を支えた。

 そのまま左手を彼女の背中から彼女の左腕まで手を回し、続け様に屈んで右手を彼女の膝裏に回してから立ち上がる。

「ちょっ……恥ずかしいよっ」

 彼女が俺の腕のシャツをか弱く握りながらそう呟く。流石に俺もこの状態が俗に言うお姫様抱っこだと言うことは知っていた。抱っこの名称に俗も何もあるかは不明だが。

 彼女の羞恥心を無視してこの運び方を選んだのは彼女をベッドに寝かせるにしてもこの状態が一番運びやすかったからだ。おんぶだとおろすときに不安があるし、抱っこは運ばれる側にも力が必要で無駄な心配はしたくはない。

 それに実を言えば成瀬さんを保健室に連れて行ったとき、もう既に彼女をこうやって運んだ経験がある。もちろん成瀬さんは知らないが。俺はただ一番安全で彼女に負担をかけさせなくベッドまで運ぼうとしてこれを選んだ。


「別に誰も見てねぇし、それにこれが一番運ぶの楽だからちょっと我慢して」

 成瀬さんが今にも倒れそうだったというのに恥ずかしいとか何とか言っていたので口調を強めてそう言った。

「だっ、だから克人君はいじわるなんだよ……」

 こんどこそ本当に何でこんなことを言われるのか理解できなかったが、自分が彼女を心配していることに自覚するとつい笑ってしまう。

 そのまま早足で俺の部屋にあるベッドの前まで進み、彼女をベッドに降ろした。


「あ、ありがと……」

 そう感謝だけ伝えると成瀬さんは糸が切れたように目を閉じた。ほんの数秒まで辛そうな顔をしていたのにもう、その顔は穏やかなものになっていた。

 微かに聞こえる彼女の寝息と、穏やかな表情を見るとまた息が苦しくなる。奇妙で、不思議で、少し不気味なこの感覚。だが不思議と嫌いにはなれなかった。

 何度もこの正体を考えてもやはり俺にはわからなかった。




 彼女が寝て数十分が経つ。俺は今日学校から出たレポート課題を一つ終わらせた。

「もうすぐ7時か」

 時計の短針は既に真っ直ぐ下を向いていたところから上がり始めていた。

 誰かに話しかけた訳でもないその呟きは淋しく部屋に響く。まだ成瀬さんは寝ている。


 時間も時間だったので、今日の夕飯はどうしようかと冷蔵庫の中を確認した。が、元々炊事する方じゃない俺がほぼ一人暮らしの状態で使っていた冷蔵庫だ。何も入っていない。成瀬さんが家に来てからと言うものの、基本レトルトかカップ麺だった。流石に飽きるだろうと思い財布を持ってドアのぶに手をかけた。

 自転車で10分も漕いで行けばスーパーがある。真夏のように夜まで暑い訳ではなかったので、薄手の上着だけ羽織って俺は玄関を出た。

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