18

 放課後に何か期待しているからだろうか、今日の授業は長く感じた。やっと昼休みに入るところだ。

 朝から体育や科学など教室移動が多く、まともに奈々子とも話せていない。どうせ昼休みに入ったからすぐに話しかけてくると思うのであらぬ誤解を解く準備をしなければならない。準備・・と言っても特にすることはないが、どう誤解を解くのか頭の中で整理しようと思う。といっても何をどう説明すればいいものか。彼の家に泊まったなんていったらさらに誤解を受けるだろうし、私と彼の傷については言及できない。

 

 あぁ、奈々子に言えたらなんて楽なのだろうか。克人君があの父親に牽制しているので仮に奈々子にいっても私が辱めを受けているような写真は流出しないだろう。それは分かっている・・・分かっているのに、尚更この現状を維持していたいと思ってしまうのだ。

 この、私の心に潜む傷跡が起こす小さな波が私と奈々子の関係を崩すのが怖い。奈々子を信用していない訳ではない。信用している。だからこそ失いたくないという気持ちが勝ってしまった。


 そんな思案に老けている中、やはり奈々子はこちらに歩いてきた。悪戯そうな笑みを浮かべて。彼女の顔を見るとやっぱり失いたくないという気持ちが強くなってしまう。かけがえのない親友を失うことを恐れて、過去に縛られた臆病な私が私の傷を彼女に伝えさせない。


「っで? 今朝のあれはどういうことかきっちり説明してもらいましょうかねぇ。かえでさんっ」

 彼女がその悪戯そうな顔をまた一段階上げて私に聞いてきた。結局準備なんてできなかった。それらしく返答できるのだろうかと不安な気持ちを抱えてこの質疑に応じる。


「いや、たまたまだって。駅で会ったから一緒に高校まできただけ」

「私の目撃情報からするとホームに電車から降りてくるところでも一緒なのを見かけたというのがあるのですが・・・」

 うそっ。どうやら彼女は少しばかり情報収集をした上でこの質疑に挑んだらしかった。だが、ホームも駅であることは間違いない。まだ許容範囲の発言ミスに変わりはなかった。


「ホームだって駅でしょう?電車降りるところで彼と会ったの。彼の家と私の家、同じ方向で2駅くらいしか違わないから。昨日無理やりチャットの交換なんてされてたから話しかけるのも不自然じゃないと思うんだけど」

 そういうと彼女はしてやったりと言いたげに笑った。

「本当に電車から一緒だったんだねぇ。それに有馬君の最寄駅まで知ってるなんて。やるじゃん楓」

「カマかけてたの? はぁ・・・で、でも彼の家聞いたのは別に電車が一緒になったからっていうだけだから・・・」

 奈々子は意外にも頭がいい。テストは私より最低50点は差があるが、こういう小狡い知恵は私より多く何回も出し抜かれたことがある。それでも彼女のことが嫌にならなかったのは心根がいいやつで、気があうからだ。


「で・・・有馬君とはどんな感じなの?」

「ベっ、別に私と克人君の間はそんなんじゃないからっ!」

 私は発言してすぐに大きなミスをしたと気付いた。

「へぇ、下の名前で読んでるんだ。いいなぁ。私の前にも倒れたところを颯爽と抱えてくれる王子様が現れてくれないかなぁ・・・」

 これしてもまたしてやったり顔でこちらを見た後、天井に願うように呟いた。

 克人君と私がどのような関係かなんて果たしてどう答えればいいのだろうか。友達ってほど軽い関係じゃないし、気が置けない親友って感じでもないまさか恋仲とも言えない。私たちの関係性をどう表すか、果たして日本語の中にその最適解があるのだろうか疑問に思う。


「あっ、ごめん。ちょっと部活で集まらないとダメなんだった。詳しいことは放課後喫茶店で教えてもらおうかなぁ」

 彼女は不意に用事を思い出したようで、急に席をたった。放課後に喫茶店と言われたが今日も克人君の家に行くし、彼を待たせるのも悪いと思うので断らなければならない。


「放課後は私ちょっと予定あるから、ごめん。無理」


「そうなの? 珍しいね」


 珍しいねと言われてムカつかないのは本当に珍しいからだ。交友関係が少ない訳ではないが、どこかに遊びに行く体力がなかったのだ。そんな体力があったらあの父親に反抗していただろう。


「誰と?」

 奈々子は物珍しそうな視線でそう聞くが、この流れでそれはあまりにもいいにくいものだったのでどうしても口籠ってしまう。

「えっ!?有馬君なの?」

 本当に克人君ではあるのだが、私が何も言えないでいると奈々子は勝手にそう解釈した。さらに何も言えない状況に追い込まれてしまったようだった。


「じゃあ、楽しんでね? でも、家に帰ったらちゃんと私にメールすることね」

 私が何も言えないでいると勝手に理解して勝手にメールすることを押し付けていった奈々子は「時間やばっ」とだけ残して早足でその姿を消していった。

 今日は弁当を持ってきていなかったので学食にて昼食を済ますことに決めて、私も席を立ち教室から姿を消した。


「じゃぁ、HR始めるぞ」

 長く感じた授業とは対照的にすぐに終わってしまった昼休憩の後、恰幅の良い担任から放たれた第一声がそれだった。今日は週一のHRがある日で、午後の2時間分をHRに使う。ずっとノートを取る必要もないこの時間は生徒たちにとっては休みも同然で形上は先生の話を聞いているが、談笑を始める者、こっそり読書をする者など様々だ。もちろん真面目に話を聞いている生徒もいるが。


「2学期入って1週間まだ経ってはいないが、あと1ヶ月ちょいすれば文化祭だ。毎年恒例でクラスから2人ずつ文化祭実行委員を出さないといけないのでそれを決めようと思う」

 HRでは学校行事に関することやクラスに関することについての何かを決める、というのがほとんどだったが、どうやら今回は文化祭実行委員を誰にするかというのが議題だった。文化祭は各部活動、各クラスでの活動もある。1年の頃はまだ文化祭が初めてということでクラスの中でも優秀な者が選ばれていたが2、3年になると決まって帰宅部の人が押し付けられるのだという。帰宅部の私としては不安の種となってしまった。


「文化祭実行委員は、知っての通り文化祭を運営する側の仕事をしてもらう。誰か立候補したいやつは出てきてくれ」

 手は挙がらない。このクラスには帰宅部員が2人だけで、その内の一人が私なので内心やらなければならないだろうと思っている。

 克人君に謝らないといけないな。それが最初に出てきた感情だった。どうやら選ばれると放課後に集まりがあるそうで、克人君を待たせることになってしまったのだ。


 案の定、誰も立候補が出なかったので、担任が帰宅部に強制まがいの提案をし、その結果本人の同意も得ずに文化祭実行委員は決まった。諸々の事情を少しばかり齧っている奈々子は私が選ばれると心配そうにこちらをみてきた。なぜ彼女が私よりも心配そうなのか疑問は持ったものの、私自身、放課後克人君とすぐに会えないということに残念さを抱かずにはいられなかった。

 彼の存在が私の中でどんどん大きくなっていることを自覚する。

 彼には私の弱い部分をさらけ出せると思う。なんていったってもう3回も彼の側で泣いているのだ。時にはその胸の中で。

 正直、今朝の出来事から今私の心は不安定にぐらついている。彼のもとでこのぐらついた心を落ち着かせたかった。彼に支えてもらいたかった。

 だからこそ文化祭実行委員に選ばれたということは私にとって憂鬱なことだった。

いっそのこと克人君も文化祭実行委員に選ばれてしまえばいいのになんて、極めて利己的な考えが進んでしまった。

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