14

 早朝、私は目を覚ます。窓からみえる陽はまだ地平線から出切ってはいない。

 陽が出切らない時間帯に起きたのは久々だと思う。目覚まし時計もかけず、誰かに起こされたわけではないのに不思議と今日は体が勝手に起きた。

 傷は残っているけど、昨日の夜は誰かに怯えながら寝たり、身体的疲労によって意識が切れたりした訳ではなかった。

 だから・・・だろう、いつもとは違う身体の軽さを感じる。ベッドから這い出ることが苦ではない、というより彼の顔を早く見たかった。


 彼が作ってくれたこの居場所が本物であるかどうか彼の顔をみて確認したかった。まさか昨日の出来事が夢ではないだろうかと。

 そう思って私は体をドアの方へ動かした。


 彼の家は1LDKのアパートで彼の部屋以外はトイレや風呂場以外仕切られている場所はない。だから、今自分がいるこの部屋のドアを開ければ目の前にあるソファに彼は眠っているのだろう。

 ドアノブに手をかける。

 扉の向こうからは足音は聞こえない。まだ寝ているのだと思う。

 まさか、高校生になって初めて見る男子の寝顔が恋仲でもない有馬君の寝顔になるとは・・・ね。


―ガチャッ

 あまり音のならないようにドアノブを捻ってドアを開ける。

 彼はやはり、まだソファの上で寝ていた。ソファの前に回ると彼の顔が見えた。


「あ、有馬君・・・!」

 私はほぼ彼がそこにいるとほぼ確信しているのに妙な緊張感を持ってドアを開けたが、その緊張感は予想とは違う形で高なった。

 私は目を見開く。

 彼はソファの上でうなされていた。「うぅ」と苦しそうに呻き、「ハァハァ」と呼吸が荒い。額には汗が滴れており、Tシャツの脇の部分は汗でびっしょりと濡れている。夏休みが終わったこの季節、気温は高いことにはまだ高いが、彼の汗はそれだけで汗をかいたとは言えない量だった。

 私は咄嗟に洗面所に行き、私はタオルを2枚とった。昨日お風呂を借りた時、彼にタオルの場所を教えてもらっていたのだ。


 1枚は彼の汗を拭うために。もう一枚は彼の熱をとるために洗面台で冷水を含ませ絞った。洗面台から駆け足で彼の元に戻った私は冷えたタオルを彼の額に当てる。

 だが、その効力は薄かった。まだ彼は呻き声をあげている。

 今彼が見ている夢こそが彼の屋上で言っていた「残酷な夢」なのだろうか。彼は夢にうなされている。感情を失うことで逃げたあの夢と戦っている。


 こんなにも辛そうに。


 私は彼の感情を蘇らせるなど軽く思っていたことがどれだけ彼にとって残酷で苦しいことかを理解した。


「私・・・バカだ・・・」


 彼が信じられる存在になる。それが私なりの決意だった。

 今の彼を見れば彼がどれだけ傷をおっているのかがわかる。家族に裏切られ、居場所を失い何も信じられなくなった彼の信じられる存在になる。そんなこと、軽く決断して言い訳がない。

 今、彼がうなされていることに、昨日私を助けてくれたことが関わっていない筈がなかった。彼が私を助けようとした。その行為が彼に彼の感情を自己認識させてしまったのだろう。

 それが引き金で「残酷な夢」をモロに感じてしまっているのではないか。私はそう思う。


 同情なんてしてはいけない。そんなこと私にする資格はない。


 ・・・でも、今はあなたの過去を一緒に悲しませて―


 彼の頬に手を添える。彼の肌は男子高校生にしては綺麗なものだった。肌荒れもなく、スベスベしていた。

 彼の瞳から一筋の涙が流れ、彼の頬に添えていた私の手にも当たる。


「・・・たすけて、誰か―」


 私が彼の頬に手を添えていると彼がそう口に出した。

 助けを求める相手がいないのだろう。

 助けを求めている彼の手を私はとりたい。彼が助けを求める「誰か」に私はなりたい。心の底からそう思う。


 ずっと彼の頬を触っていると、彼は少しずつ落ち着いていく。

 彼をこの悪夢から醒ますこと。一時的ではなく永遠に。それはどれだけ難しいことだろうか。でも私は決して諦めてはならない。そして、彼がこの夢を見なくなった時、隣にいるのは私であって欲しい。


「・・・成瀬さん?」


 彼が目覚めた。私の顔を見て何か不思議そうな顔をしている。ちなみに、彼の頬に添えていた片手は彼が目覚めたのを感じると咄嗟に手を離した。

 理由は恥ずかしいからだ。


「お、おはよう有馬君」


 多少の気恥ずかしさから、言葉が詰まる。


「成瀬さん・・・なんで俺の手握ってんの?」

「・・・え?」


 彼に指摘されて彼の頬から咄嗟に離した手の逆の手を見るとしっかり彼の手を握っていた。いつの間にかに。


「・・・え、え? えっと、これは別になんでもないから!」


 もう自分でも理解できない恥ずかしさがこみ上げてくる。顔が熱い。おそらく今私の顔は真っ赤っかに染まっているのだろう。


「・・・」


 彼は少し周りを見渡し、私の側に落ちていた2枚のタオルを視認すると、「あぁ」と勝手に納得していた。


「俺のこと看てくれていたのか」


「・・・うん」


 気恥ずかしさが拭い切れていない私は妙な間を開けて返事をしてしまった。


「ごめん、ちょっとシャワー浴びてくる」


 彼はそう言って立ち上がった。あれだけの汗をかいていたから当然だろう。

 彼が去った後のソファにはやはり汗が残っていた。幸いなことにソファは布ではなく、革だったためシミがつくという結果にはならなかった。

 2枚のタオルの内、水で濡らしてない方で、ソファに付いている彼の汗を吸わせる。そしたら一度タオルを水で洗ってもう一回拭いた。


 毎朝、あんなに苦しそうにしているのかな・・・。私が寝たベッドのシーツは洗ったばかりのものだった。それは偶然なのか、毎日同じようにうなされてシーツを洗っているのだろうか、疑問には思うも私にはわからない問いだ。


 それが表しているのは彼がどれだけ苦しんでいるか、だけではない。彼が本当はどれだけ素直な人で、健気なのかが伝わってくる。素直で健気だから、あそこまで苦しんでしまっているのだと思う。


 彼の家ではなかったら私は泣いていた。でも泣かなかったのはここが有馬君の家で恥ずかしいという理由だけではなく、それが安い同情以外の何ものでもないのだろうから。

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