09

―キーンコーンカーンコーン・・・


 結局5時間目が終わるまで郡が教室に姿を表すことはなかった。俺は心配・・・しているのだろうか。昨日、今日と自分が信じられるものを否定された。自分が過去から逃げているというのは自覚している。だが、俺はそれが不正解だとは思っていない。

 一つしか依存先のない俺は感情を失うことを否定されたら何を頼りに生きていけばいいのだろうか。感情を失うこと・・・が俺の唯一の救いなのに。



「ごめーん。ちょっと保健室行ってたわー」


 5時間目が終わってまもなく、最後に先生が出ていったドアが勢いよく横に滑り、郡がその奥から姿を現した。

 郡はいつもと変わらない、いや、いつもより何かが吹っ切れて明るい表情をしていた。俺にはそんな感じがした。

 安心している自分がいる。その自分から逃避するように俺は机に突っ伏して目を閉じた。


 最後の授業が終わり、今日も一日が終わり始める。

 俺は独りさっさと下駄箱へ向かう。今朝と同じように古くなった金属が擦れ、高い音をならした。


 とにかく今日は一人になりたかった。何も考えたくなかった。


「あ、有馬くんじゃん。こんちわ」

 ・・・そしてそんな俺の願いも世界は無視する。目の前にいたのは成瀬さんを一緒に連れていった時の子だった。


「えっと・・・ごめん。名前まだ聞いてないんだけど」


 何故彼女が俺の名前を知っているのかは一瞬不自然に思えたが、おそらく成瀬さんからでも聞いたのだろう。


「あ、私? 前田奈々子っていうの。奈々子でいいよ」


「えっとじゃあ奈々子さん。じゃ、また」


「えー『さん』なんて付けなくてもいいよ。というか、楓との間には何かあるの?」

 彼女は一瞬訝しげにこちらを見た後、一瞬で興味深そうな表情をしてこちらを見る。


「成瀬さんとは特に何もないけど。なんで?」


 急に成瀬さんの話を振られたので少し戸惑ってしまった。彼女と俺の間には特に何もない。ただお互いにお互いを少しばかり知ってしまっているというだけの関係だ。


「えーだってさぁ。楓に有馬くんのこと聞いた時、楓、全然話続けようとしないんだもん。何かあるのかなぁって私的はビンビンきてたんだけど」


 「どう?」とでも言いたけな意地悪そうな笑みを浮かべてこちらを見てくる。


「いや、別に」


 答えは決まっている。結果的に成瀬さんのためにもなるが、俺と彼女の間にあるのはお互いの秘密を共有しているということのみで、ここで前田さんに話すことではない。この判断はあくまでも自身のためだ。


「そうなの? ま、いっか。・・・そういえば、今日楓学校来てないんだよねぇ。来ないなら親友の私くらいには連絡よこせっつうの」


 何故俺が前田さんの愚痴を聞かなければならないのだろうとは思ったが、それを口に出したところで何も変わらないのは目に見えている。


「あ、そうだ。楓の連絡先知らないでしょ?一応チャットアプリの I D教えてあげるよ」


 またもや前田さんは何が面白そうなのか意地悪そうな笑みを浮かべる。

 本当にこの手の話題というのは人気なのだろうか。そのまま「携帯出して」と彼女は自分の携帯で成瀬さんのI Dを探しているのだろうかこちらを見ずに言葉を繋げる。

 俺の携帯に入っている連絡先には郡と剛しか名前がない。あくまでも彼らには強要された結果だ。俺には連絡先に何も名前がなくても100人名前があってもどちらでもいい。どうせ自分から連絡することはないのだから。


「・・・っと。はいこれ楓のID。私から無理やり登録させといたよって言っとくから」


 前田さんはそういうと何か満足したのか「じゃね」とだけ残して去っていった。


 視線を戻した下駄箱は急な会話によって開くことを中断されており、中途半端に開いていた。靴を手に取り、下駄箱を後にする。

 今は何も感じたくない。何かを感じるのが怖い。信じていたものをまた失ってしまうということが怖かった。


―ピロンッ


 携帯が鳴る。例のチャットアプリの通知だ。

 差出人は郡でも剛でもなかった。


「・・・っ」

 世界が俺の願いをことごとく拒否する。

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