03
「チリリリッ! チリリリッ!」
「ゲホッ ゲホッ」
今日もまた、あの夢を見た。ここ10年間あの夢が出てこない日は少ない。あの夢が出てこないのはよほど熟睡でき、夢の内容を忘れてしまったときくらいだ。多少は変わる日があるが夢のコンセプトはいつも同じ。そして毎回息苦しく終わるのだ。
あの夢は俺の体に深く染みついてしまっていた。
こんな夢今見ても何も感じないのに。何故俺は見ているのか。息苦しく夢が終わるとそこにあるのは苦痛ではない。単なる疑問である。
そしてその疑問は解消されぬまままた、毎日俺の頭に変わらず流れてくる。
そういえば、昨日の彼女は同じような悩みを抱えているのであろうか。当然俺の知ったことではないのだがやはり俺に似た境遇にあるとなると自然に気になってしまうのは自然の摂理だと思う。
と、何故彼女に疑問を抱えたのかを自分で無理矢理納得させた。俺が他人に感情を向けることはもう無理なんだ。
今日も母親は家にはいない。おそらく今日も帰ってこない。新しくできた男のところにでも脚繁く通っているのだろう。今日も朝食を独りで作り、独りでコーヒーを淹れ、独りで食べて飲む。そして学校へ行く支度をして家を出た。
もうこの生活にも俺は慣れた。帰って母さんが帰ってきても部屋を散らかして出ていくだけなのでいない方が落ち着くなんて考えたりもする。家族なんて所詮たまたま巡りあわせた偶然による副産物であってその繋がりは太く、粘りっこくそして脆いのだから。
特に誰かと約束して学校に行くなんてことは俺にはない。もしあったとしたらそれは偶然であり、今日もその一つだった。
「おっはよー 今日も独り?」
「あぁ」
彼女は今日も俺に声をかけてくる。本当に珍しい人もいるものだ。ただの幼なじみというだけなのに。郡の家は俺の家からほんの数軒離れたところにある。小学校の時なんかは一緒に登校するのは当たり前のようだった。なんせあの時から郡だけしか俺には近づかないのだから。
考えても見て欲しい。次々と男を乗り換える女の息子だ。授業参観の日に向けられるあの真っ白な視線。他所のものとして見ようとしないでいる目線。それは次第にその子供にまで移っていた。あの頃、俺を色彩のついた視線で見てくれたのは郡だけだった。
中学生になってもそれは同じで、変化があったとすれば剛が何かと気をかけてくれるようになっただけだ。
その視線は唯一の救いだった。唯一信じていいものだった。でもそれを信じるにはもう信じられないものが俺には多すぎた。
今の俺には気休めでしかない。
「なぁに辛気臭い顔してんのよ?」
郡はそんな俺の思考も気にせずに変わらず声を掛けてきた。別に俺なんかに構っていてもいいことはない。俺は当然陰キャと分類される人だろう。俺なんかに関わっていてクラスでも人気の彼女は大丈夫なのかと思う。
流石に小学生の頃は彼女の存在に俺は救われた。だから俺の存在が彼女の立場を損なわせる原因にはなりたくない。俺は拒絶されてもおそらく何も思わないだろう。だからもし俺の存在が彼女にとっての邪魔となるなら拒絶された方が俺は良いものだと思っている。
「いや、別に」
俺は素っ気なく答える。そこに感情はない。
「俺ちょっとコンビニ寄ってくるから、先に学校行っててくれ」
近くにコンビニが見えた。このまま一緒に学校に行ってしまったら少なからず迷惑な勘違いをするものはいるだろう。だから俺は彼女を俺から離そうと思った。
それが彼女にとって一番良いことだと思ったから。
「あ、っそうなんだ。ん・・・行ってきていいよ」
彼女はそれを了承してくれた。当然俺の意図とは別だが。
本当は入る気もなかったコンビニだが、そのエアコンの効き具合に居心地の良さを感じた。入ったのに何も買わないでコンビニを出るというのも気が引けるので俺は飲み物を一本買うことにした。
「お買い上げ、ありがとうございましたー」
毎回毎回言われるセリフを今回も聞き、俺はコンビニを出る。
「・・・あ、克人。もう買うもの買えた?」
そこには郡がいた。駅に行ったものだと思っていたのだが。何故に俺を気遣うのか。いや、俺が気遣わせてしまっているのだろうか。その行動はありがたく困惑するものだった。
「待ってたのか・・・」
郡が「何、不満?」と無言で聞き返してくる。その返答は一概には答えられないものだ。
「いや・・・」
だが、この場を収めるためにとりあえずはそう言った方が吉だと俺は思った。
郡は「まぁいい」と目で俺に言い、駅にまた向かう。彼女は俺の意図を理解しているのだろうか。駅まではとても重い何かが引っかかりお互いに口をあまり開かなかった。そもそも俺からは口を開かないため、郡が開かなければその間に会話はない。
だがそれは駅のホームまでの話となる。郡は不意に口を開いた。
「ねぇ・・・克人」
「・・・何だ?」
神妙な面付きで彼女は俺に聞く。
「最近、私を・・・」
彼女は詰まりながらも俺に何か訴える。その表情には迷いが見えた。
「・・・いや、やっぱなんでもない」
「そうか」
何もないなら俺は踏み込んだことを聞かない。興味を示すこともない。
そのまま駅のホームを通り、電車に乗る。郡はその後、いつもの調子に戻って絶えない笑みと会話を俺に向ける。だが、俺が笑みを返せることはないだろうに。
そうこうしている内に俺たちは学校に着いた。郡は彼女の友達に引き離されるように離れ俺は自分の席につく。話す相手もいない、話そうと思う相手もいない。所詮友情なんて脆いものなのだから。俺はそこに何かを求めない。
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
とはいえ、話しかけられたら話返さないといけない。これもその一つの例であり、一つの例外だ。
「どうしたんだ剛」
「何かないと友達には話しかけちゃいけないのか?」
彼の誰とも近い距離で話せる部分。これが彼が人気な一つの理由なのだろう。
「いや。そういう訳ではない」
彼も郡と同じように俺を高校に入る前から知っているやつだ。郡ほどではないが、俺の過去を知っている。過去を。
「おいぃ、剛ぃ。そんなやつに構ってないでこっちと遊ぼーぜ?」
近くのあるクラスメイトからそんな声がかかる。剛は彼らを「キッ」と睨んだように見えたが、彼らはそんな様子に気づいていない。
彼も俺と関わっていてはいけない人間なのだ。俺なんかに関わる必要はない。
「いいよ、剛」
俺がそういうと、剛は「悪いな」と目で謝ってくる。別にいいのに。
*
―キーンコーンカーンコーン・・・
何度も聞き慣れた音が構内に響く。今日の授業はこれで終わりだ。
俺はクラブ活動や委員会などには入っていないので、いつもは校内のどこにもよらず一直線に家に帰る。だが、今日は違った。
校内の階段を下り、カウンセリング室へ。今日は1学期に一回のカウンセリングの日であった。こんなものをしても俺は変わらない。変わることはないのに、俺の過去知る担任にしつこく行けと言われただけだ。
ただ、俺も高校生でカウンセリング以外でも自分が変わる場面も多いと思われているのだろう。回数は1学期に一回とそこまで強制されている訳ではない。
面談室と称されているカウンセリング室は急造された部屋で、部屋は狭いし壁も薄い。職員室のフロアであり、ドアには「使用中」と書かれている札が下げてあるため、先生の監視とその後ろめたさからヤンチャな男子高校生でも滅多に聞き耳を立てるような者はいない。
いつもは閉まっているカウンセリング室だが、今日は俺の予定が入っており、中には30代に迫らないかどうかと思われる若い女性のカウンセラーが座っていた。
「こんにちは。えぇ・・・と、有馬克人君ですよね?」
カウンセラーというのは少ない職業なのだろうか。話を聞くと毎日毎日いろいろな学校に行っていると聞く。当然相談相手の生徒は多く、俺も数回ここに来て、辛うじて名前を覚えてもらったくらいなのかもしれない。とはいえ、それでも俺は直ぐに名前を覚えられた方だと思う。なんせ過去が過去だ。
「どう?良いお友達はできた?」
定型文のように俺が最初に聞かれる質問である。
「友達、ですか・・・ 仲の良い人はいますが、友達という存在を俺は信じられない、信用できない」
と、何も考えず正直に答えているのだがな。俺には少なからず剛や郡という親しい存在がいる。だが俺が友人という存在を信じているかどうかはまた別の問題だろう。
その意図を知っているのか知らないのやら。
「そうかぁ。その仲の良い子っていうのがあなたの友達になってくれるわよ。少なくとも相手はそう考えていると思うけどなぁ」
「そんなことは俺にはわからないです・・・」
「そう不信がらないの。あなたの過去のことは聞いたわ・・・ってここではタブーの話でしたね。ごめんなさい」
気を遣ってか、俺の過去については一切触れないというのがルールらしい。
その後、俺と先生は何気もない日常の会話を淡々と行った。彼女は仕事上かその心意気か俺の無感情な反応にもめげず話しかけてくる。俺はどうすれば良いというのだか。
30分近く話すと先生は「では、このへんで」と言い、俺に退室を促した。俺は礼を一言いうと、先生は笑顔で見送った。
カウンセリング室を出る。つまり俺が学校に居残る理由はなくなったということだ。
荷物は持ってきていたので、俺はそのまま下駄箱に向かうことにした。
「ちょっと待って」
・・・が、それは現実とはならなかった。
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