第21話 『副流煙は目に悪い』

 第参支部、本部。

 慌ただしい医療区域を、人の波を縫うように少年────部隊長が歩いていく。


 時刻としては、澄人たちがまだ夢の中にいる頃……澄人とヒナが洗い物をしながらじゃれあう数時間前。午前十時を過ぎた頃だ。

 ごった返す医療班達に少年は舌打ちを交えながら、医療室が立ち並ぶ一角に辿り着く。その扉のひとつを、ノックすらせずに開いた。


「あ、もう……克己かつき。ノックくらいしてって」


 その部屋の主である女性が、むくれた様子で克己と呼ばれた少年に溜息を吐いた。

 その言葉に克己は何も答えない。そのままの勢いで目の前の椅子に態とらしく音を立てて腰を下ろし、冷ややかな視線を向けてくる。


「……早く診断済ませろ。オレは帰って寝る」

「可愛くないなホント……はいはい」


 彼女は第参支部の医療班主任。名を安斎あんざい 杏華きょうこ。克己の担当医師にも当たる。

 言ってしまえば第壱支部のかすみと同じ立ち位置だ。

 杏華は何やら克己の背後に視線をやり、数秒の迷いの後。聴診器を耳に当てながら、再び口を開いた。


「……一路いちろちゃんは?」

「あ? …………知らねーよ。勝手に帰ってくるだろ、アイツのことだから」


 不自然な間がある。これは克己の癖で、何かやましいことや隠したいことがある時に現れるモノだと付き合いが長い杏華は理解していた。


 だからこそもう一度大きな溜息。言っても無駄だとわかっているから、杏華は特に何も言わないけれど。


 このことに対して言及すると、克己の機嫌が目に見えて悪くなることも知っている。


「……そういえば、」


 だから、話の路線を変えるべく新たな話題を。

 心音に問題は無し。カルテに記入しながら、視線は横目に、克己に向けられる。


「第壱支部、天獄を破壊したって」

「────は?」


 目を見開く克己と、平然とした様子で告げる杏華。その様子はまさしく対照的で、その胸の内に抱える思いもまた。


「……なんで、あんな奴らが。惚けた連中が、オレたちより先に」


 そんな疑問は杏華は浮かばない。むしろ、浮かべた表情のように納得しかしないのである。


 当たり前。第参支部の現状は身内贔屓した評価を挙げたとしても、とても〝良い〟とは言えない。

 早いペースではないが、着実に破滅へと向かっていることを杏華は理解している。


 ……もう既に、手の施しようがないということも。当然。


 それでもまだ、諦めの感情を覚えていないのが唯一の救いか。


「天獄の破壊の条件、解らないんじゃなかったのかよ」

「大天使って呼ばれてる、私たちが普段戦ってる連中の上位互換の討伐、だって」

「っ、────」


 その全てが克己のプライドに爪を立てる。行き場のない感情に奥歯を噛み締め、立ち上がる。


 ────オレたちよりも早く天獄を破壊した?


 ────大天使だとか呼ばれるヤツを殺して。オレたちが必死こいて殺してる連中の上位互換を殺してだ。あんな、平和ボケした奴らが。


 意識が沸騰する。怒りで頭が痛い。噛み締めた奥歯が軋む音を、杏華までもが聞いた。


「……意味わかんねェよ」


 投げかけられた事実が、克己の中でリフレインする。逃げたい事実から、目を逸らされる事すら許されない。

 自分が、連中に劣っているだなんて。許せるわけがない。


 その言葉を最後に、克己は医療室を出て行く。

 取り残された杏華は天井を仰いで、


「あーあ、やっぱこうなるよね……第壱支部に応援要請したの、言わなくて正解だったかも」


 やれやれと、大きく首を横に振り、独りごちる。

 克己の診断が終わっていないことに杏華が気づくのは、まだ少し先の話。


 ◇◆◇


「応援要請って……マジか。まあ、でもそうなるよな」


 他の支部に天獄の破壊を報告をしたと小耳に挟んだのはつい先日の話だ。

 言ってしまえば、他の支部なんかに比べると今一番余裕があるのは俺たちだ。となれば、救援を要請されるのもおかしな話じゃない。


 ……けど問題は、第参支部から送られてきた、というところだろう。


 俺たち、対『天使』殺戮機動部隊たいてんしさつりくきどうぶたいの間では、定期的に通信による会議が行われている。

 各地に配属されている部隊長たちがテレビ電話で近況を話す、なんて簡単なモノだが、貴重な情報交換の場だ。


 そこに、第参支部の部隊長は一度も顔を出したことがない。


 一方的にこちらの近況を知られている可能性はあるが、俺たちにとって連中は未知数だ。どんなことをして、どんな連中がいるのか……ちっとも知らない。部隊長の名前すらも。


 きっとあそこの部隊長は気難しいヤツなんだろう、とは先生と先輩の弁だ。プライドが高いのかも、とも言ってたっけ。


 独りでもどうにかできる。そういった意思を表しているように感じていたものだが。


「……今になって、か。物資の供給なんかも自分たちでやってたっけ、アイツら」

「そうだな。こちらの要請に応じたこともなければ、向こうから何か言ってきた事もない。断る権利はあるよ」


 勝手にやってろ、こっちは勝手にやるから。

 ……そう言われ続けてきたんだから、俺たちだって一蹴する権利はある。けれど。


「……まあ、そう言っちまうのは簡単だけどさ。なんか、嫌だな」


 見過ごすのは気が引ける。あくまでも平和を手に入れたのは俺たちだけ……となれば、戦力を無駄に失うのも嫌だ。

 何より、困ってる連中を見過ごすのはもっと嫌だった。恩を売っておけば、万一またこっちに天使の連中が現れた時に武器になるし。


「まあ、そう言うと思って引き受けておいたよ。優秀なわたしに感謝したまえ」

「あーーーうん、そんな気はしてた。だよな。ありがとう。めんどくさい事全部任せちまってすまない」


 気恥ずかしさに思わず頭を掻きむしりながら、先生に頭を下げる。


 先生は別に、この数日ずっと酒を呑んで騒いでいたわけではない。


 本来部隊長がするべきだった他の支部への情報通達や、今後の方針の取り決めと人員の振り分け────その全てをこなしてくれていた。

 正直、いくら礼を言っても足らない。


 すると先生はなにやら俺の顔を覗き込むように自分の膝に肘をついて、


「まあ、なに。キミは休むべきだろう? ずっと休まず前線に立ってきたんだ、休暇を取らねば嘘になる。それに、何よりキミに全部任せて破綻されるよりはよっぽどいい」


 前半と後半、どちらが本音なのかはわからないが。楽しそうな笑みでそう言った。

 個人的には前半部分が本音だと嬉しい。努力を認められるのは、悪くない気分だ。よくわからない人だよ、本当に。


「…………その前傾姿勢やめろ。副流煙が目にしみる」

「おっとすまない。わざとだ」

「わざとかよ」


 恥ずかしくて仕方なくて、言葉が暖かくて。だから俺はいつもの通り茶化す事しかできない。

 ……何よりダボついた服の襟元から胸の谷間がチラついてるのが目に毒だった。天然かこれは。これもわざとか????

 俺の視線に気づいてか、先生は姿勢を正してタバコの火を灰皿で揉み消す。それから「さて、」なんて前置きをして、


「じゃあ早速だが遠征の準備をしよう。彼女たち・・も、そろそろだろうしな」

「……たち?」


 何となくヒナのことを指しているんだろう、というのは察することができた。しかし先生のソレは、強調するように複数人を指しての発言で。


 小首を傾げたのと同時、部屋にノックの音が響く。先生の「どーぞ、」と気怠げな声の後、扉が開き、


「お待たせ、アキト。おはなし終わった頃?」


 現れたのは満面の笑みを浮かべたヒナと、


「予定より遅くなりました……少し、話に花が咲いてしまって」


 申し訳なさそうに頰をかく、ひとりの少女。

 極東第壱支部防衛戦に於いて、凄まじい戦績を残した少女────やなぎ まことの姿であった。

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