第20話 『アベコベな夢』

 夢を見ている。


『一号の実験は成功だ。しかし────』


 白い声。何か、会話聞き取れないくまだその時ではない。


『世────切、っ────』


 正確にはを繰り返している。ぐもった会話。耳がどうかしているのか、記憶にない完全に思い出すまでは、それを酷く悲しく思う自分がいて。まだ。


「お兄ちゃん」


 親しげな事象なのかはわからないけれどもいらないと思ってしまうよう。声音。それだけで、何な癒しを与える声。


 ────その名で自分を呼ぶのは、誰だったか。


 記憶を。聞き覚えのある部屋。手繰り寄せても答えは出ない。けれど、自分のことなのに、自分のことではない────謎の矛盾を、孕んでいる。


 おまえは、誰だ?


 アタマガ、イタイ。コエガキコエル────。


 ◇◆◇


 ゆっくりと、意識が浮上していく。

 水底から水面へ。何かに引き寄せられるように────決して、それに抵抗することは無く。

 むしろ早く目が覚めてほしいとまで思う。この夢は胸がざわついていけない。何を見せられているのか、何を見ているのかわからないあべこべな夢は、俺の頭の中をかき回しているようだった。


 ……いや、違う。頭の中をかき回しているのは自分自身だ。


 この夢が何処か懐かしくて、覚えがある気がして堪らなくて────思い出さなければいけないという強迫観念に襲われて、記憶の引き出しを片っ端から開け放っているんだ。


 その行為が酷く恐ろしい。その思い出せない何か・・を思い出せば、大切なものを取りこぼしてしまう気がして。


 それでも夢を見ている間は、まだ夢の中にいたいと願っている。


 覚えのないような温かい声を、ずっと聞いていたいと願っている。


「────、っ、あ」


 瞼を朝の日差しが焼き付ける。霞んだ視界を擦りながら半身を起こして、頭痛に思わず額を抑えた。


「っつ……またあの夢か」


 ……まあ、頭痛の原因はあの夢だけではないんだけれど。


 救恤の大天使を倒してから、早い事四日の月日が経った。未だに外では蝉の声に混じり、宴を開いている連中の騒ぎ声が聞こえてくる。


 窓の外に視線をやっても見えることない天獄てんごくと、一日置きにやかましくがなり立てる鐘はもう……この街には存在しない。


 仮初めなんかじゃない。歪なんかじゃない、本当の平和がこの街に訪れたんだ。もうしばらく呑んだくれて騒ぐのくらい、誰も咎めやしないだろう。


 夢以外の頭痛の原因はと言えば、まあ、アレだ。

 先生に振り回されて、この三日ほど酒を飲まされまくってる。朝から晩までずっとだ。そろそろ急性アル中で死んでもおかしくな────いや俺死なないんだった。


「…………だから先生、毎日付き合わせてるんじゃなかろうな」


 あの人ならあり得る。あり得るぞ。なんなら酔っ払って吹っ飛んだ記憶の中に、そんなことを言われた一幕があった気もする。


 ……真実は神のみぞ知る、ならぬ先生のみぞ知る、だけども。


「……ん、アキト。おはよ」

「ん、おはよ」


 頭の中で高笑いする先生を一蹴して。目を覚まし、居間に入ってきたヒナに片手を挙げた。

 ここ数日夜遅くまで騒いでいたせいか、二人して昼まで寝てしまった。そろそろ生活習慣を直さねばなるまい。


 さて。とりあえず朝兼昼飯を適当にやっつけ、タバコに火をつけながら隣で皿を洗うヒナに視線を投げる。

 ヒナはというと、やなぎに教わった曲────だいぶ昔に流行ったらしい────を口遊みながら、俺の視線に気づいたらしく、皿を洗う手を止めて顔ごと視線を合わせてくれた。


「どうしたの、アキト」

「いや、最初に比べたらだいぶ表情も豊かになったなって」


 まだ出会って数日。しかし、ここまでのヒナの成長は眼を見張るものがある。

 会話の間にあった独特な沈黙も今ではほとんど無いし、発する言葉に迷いもない。宴会の途中で隊員連中に勉強を教わっていたらしく、今では文字の読み書きと言葉遣いだけなら中学生レベルに到達した。


 飲み込みが異様に早い、とは教えてくれていた隊員たちの弁。我が事のように誇らしい。うん。


「で、ヒナは今日、開発の連中に呼ばれてるんだっけ?」

「うん。なんか渡したいものがあるって……なんだろ」


 言いながら、洗い物を再開するヒナ。手は動いているが、視線は何処か遠いところを眺めている。何処と無く落ち着かない様子は年相応に見えて、ほんの少し微笑ましい。


「良いモンだといいな」


 だから思わず手を伸ばし、ヒナの頭を柔く撫でてやる。自分からも頭を擦り付けてくる様子は尚のこと可愛らしかった。


「アキトも、センセイに呼ばれてるんでしょ?」

「ああ。大方、また酒飲まされるんだろ……勘弁してくれ」


 肺に目一杯に吸い込んだ煙を、換気扇目掛けて吐き出しながら。ここ数日のことを思い出し、憂鬱になってしまうのも仕方がない話だ。


「でも酔ったアキトは嫌いじゃないよ。なんでも正直に話してくれるから、むしろ好き」

「……待った。俺なんか余計な話した? 余計なこと酔った勢いで言ったよなこれ」

「ナイショ」

「おい」


 何処でそんなものを習ったのか。ヒナが自分の唇に立てた人差し指を添えて、悪戯めいた笑みを向けてくる。

 ……何だろう。自分の娘が急に成長して戸惑う父親の気分だ。

 まあヒナは妹とか娘とかそんな感覚だし、これも無理もない話……なのはそれとして、こんなことを教えた隊員には小一時間話をしなくちゃいけない。過保護さも拍車をかけている気がする。

 まあこうして戯れるのもとりあえずは終わりにして。ヒナの洗い物も終わったことだし、普段着のジャージ姿で家を出る。

 とりあえず今は戦うこともないだろうし。ラフな格好だって許されるだろう。


 ◇◆◇


 街中で騒ぐ連中に声をかけられつつ、倍近くの時間をかけながら第壱支部にたどり着いた。

 正門をくぐり、建物に入った時点でヒナとは別れた。数日前は離れるのも寂しがっていたものだが、片手を大きく振りながら笑みで駆けていくヒナ。その背中を見つめる視線は、我ながら切ない。


「……いや、成長を喜ぶのか悲しむのかどっちかにしろよ。思春期の娘を持つ父かよ」


 複雑な心である。どういう反応が正解なのか未だにわからん。

 柳に相談したところでニヤニヤされるだけだし、先生は言わずもがな。思ったより俺が頼れる連中は少なかったらしい。残念だ。


 等と口元に複雑な表情を浮かべながら、通い慣れた廊下を歩いていく。

 見えてくるのは変わらず佇む不気味な扉。なんか装飾がほんの少し増えてる気がするが、それは一旦置いといて。ノックを数度してから、扉を押し開く。


「やあ、空翔くん。娘が思春期を迎えた父親のような顔をしてどうしたのかな?」

「全部知ってるよなわかってるよそんなことは」


 初っ端の口撃によるジャブを受けて、思わず頭をその場で抱え込んだ。

 ああ、げに恐ろしき先生の情報網。どんだけだよ。盗聴でもしてるんじゃなかろうな。


 ……いやいい。万が一盗聴してたとしても、のらりくらりと俺の言い分を躱して否定の言葉を並べるだけだ。この人に口喧嘩で勝てた試しがない。


 そんな絶望する俺を他所に先生は、


「それで、どうかね?」

「どうって?」


 俺の目の前で、いつものタイヤ付きの椅子に腰をかけながら両手を広げて見せる。ちなみに右手の指の間には既に火がついたタバコがあり、絶賛寿命を浪費しているところだった。


 俺の問いには先生は応えない。何か変わったことがあるか、なんて先生の姿を見ても、羽織っているのはいつもの白衣だし。その下にはダボダボのバンドTシャツと、黒いスキニーパンツを履いてるだけ。

 部屋も以前と変わらず────いや、酒の空き缶があちこちに転がってるし、余計に汚くなっているように見える。もしかしてこれか?


「部屋が汚くなってる」

「扉の新しい装飾のことだよ。気付け鈍感」

「ああアレ……」


 鈍感と罵られても。急に聞かれて正解がサラッと出てくるほど頭の回転は速くない。

 しかもどう、って聞かれたってなあ。


「……余計に趣味が悪くなってた。なんで翼増えてんだ」

「撃墜星的な」

「めっちゃ浮かれてる」


 おまけにピースサインまで向けて来やがった。ほんと浮かれてるな。

 ……まあでも、ここまで喜んでくれるのは嬉しい話だ。俺も頑張った甲斐がある。


「……さて、じゃあそろそろ本題に入ろうか」

「ん? ああ、今日は酒飲みに付き合わされるわけじゃないのか」

「もう流石にずっと呑んだくれてるわけにもいかないよ。そろそろ、現実を見なければな。酒の在庫も底を尽きてしまう」


 成る程、とひとり納得。

 日々食料や飲料の製作、栽培なんかをしてはいるが、一回で作れる数はそう多くない。ハメを外して消費し続ければ、そのうち底が見えてくる。

 そろそろ生活の水準を上げるだけの計画をしていかないとならないのか。まあ、もう二度とこの街に天使がやってこないとは限らないけれど。


 頷く俺を見やりながら、先生は「それでだな、」と前置きをひとつ。


「隊員たちには町の復興と食料の量産体制といった作業に取り掛かってもらう。が、空翔くんは────」


 煙を吸い、吐き出すだけの一拍。視界を白い煙が覆い、煙越しに先生の視線が突き刺さる。


「第参支部に行ってもらいたい」

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