第17話 『エピローグ』


「煙草が美味い……」


 煙を吐き出し、夜空に溶けていくソレを見遣りながら独りぼやく。


 辺りには喧騒が響き、鼻孔を擽るのは肉の焼けるいい匂い。夜空から視線を下ろしてやれば、各々酒やジュース、紙皿を片手に、無数のコンロを囲う今回の作戦に参加してくれた隊員たちの姿が見えた。


 結局、食事をする店を決める時点で意見が割れて、先生がBBQの決行を無理やり押し通した形だ。


 まあ酒も飲めるし、上手い肉も食えるし、煙草も吸える。誰も不満を抱かない、いい妥協案だろう。


 場所は街の外れ。俺たちが戦場と呼んでいた、無駄に広い平野。ほんの少し足を延ばせば、崩れ去った天獄の山が見えてくる。


「まさかこうして、ここで戦い以外のことをする日が来るとは」


 正直、夢にも思わなかった。俺たちがこうして、天使に勝てる日が来るなんて。


「まあ、どれもこれもキミの功績だ。誇っていいんじゃないかな」

「うわあいつの間に隣にいたんだよ先生」


 酒を片手に、俺の持つ携帯灰皿の中へと灰を落とす先生。ついさっきコンロから肉を軒並み強奪して、総ブーイングを受けていたのを見た気がしたんだけど。


「煙草が美味い、の辺りから」

「いたなら声かけろっつの。気配消して無言で隣に立つとか怖いわ」


 もしかしたら先生は忍者の末裔とかそんなんじゃなかろうか。科学者医療系忍者とか、あまりにも属性を盛りすぎな気もする。


 ほんの少しの沈黙の末。最後のひと口を吸い終えた煙草を灰皿の中に落として、ゆっくりと口を開いた。


「今回も、俺の功績じゃないよ」

「まーたいつものウジウジか~~~?」

「違わい。……俺だけの、功績じゃないだろ」


 先生の煽るような声音をバッサリ斬り捨て、気恥ずかしくなって焼肉に勤しむ連中に視線を向ける。ヒナはあちこちから肉を勧められ、ほんの少し困り果てている様子だった。


「ここに居る、全員の功績だ。俺ひとりじゃ絶対にできなかった」


 その言葉に嘘はない。きっと、俺ひとりじゃ天獄にたどり着くことすらできなかったろうし……きっと、空を飛ぶこともできなかった。


 だから、俺ひとりの功績なんかじゃない。


「そうだな。我らが部隊長は、色々な人間の手を借りないと前に進めない情けないお人だ」

「やかましいわ。なまじ事実なだけに否定できなくてしんどいわ」

「────でも」


 会話が途切れる。俺の視界に、ほんのり頬を赤らめた先生が無理やり割り込んできた。


「とてもかっこよかったぞ。勇ましかった。わたしが後五年若ければ惚れていたところだ」

「な……」


 思わず言葉が詰まる。顔が熱くなっていくのがわかる。このひとは真面目な顔で何を言ってるんだか。本当に……!


「ははは! そう照れるなよ、揶揄っただけじゃないか!」

「アンタだいぶ酔ってるだろ!!」


 ドキマギして損した。大声で笑い飛ばして俺の背中を叩きまくる先生は、酔っ払いのめんどくさいおっさんそのものである。このひとに限って俺に惚れただなんだは無い。絶対にない。言い聞かせておこう。これ以上恥を上塗りしないために。


「ったく……そういえば、俺が飛べるようになる直前に、先輩の幻覚を見た。先生、何か知ってるか?」


 大きなため息を吐くついでに、話題の転換を図って問いを投げておく。先生は俺の問いかけを聞くなり顔を引っ込めて、俺に倣うようにコンロに群がる隊員たちを眺め始めた。


「先輩、というのはキミがずっと言っている先代の『強欲』だったか。……正直、わたしにもわからない。キミたち『セブンス』は、本当に謎が多いからな」

「そっか」


 生み出した本人がわからないなら仕方ないだろう。まあ別に、これと言って答えに期待してたわけでもないし。

 けど先生は続けて、「しかし」なんて前置きをして、


「考えられるとすれば、キミの翼に宿っていた先代の残留思念だとか……キミが〝先輩〟のことが好きすぎるあまりに見てしまった幻覚だとか、そんなところだろうな。ちなみにわたしの中では後者が一番濃厚だ。気持ち悪いキミらしい」

「俺ってそんなに気持ち悪いかな?」


 数分に一回ペースで俺を罵倒するよな、このひとは。すっかり慣れてしまった自分がいるのが悲しい。大変悲しい。


 ……にしても、残留思念か。最後の力を振り絞って、俺の背中を押してくれたのか、先輩は。


「……ほんと、こういうところも含めて先輩らしいな」


 あのひとは常に誰かの為に動いていた。誰かの為に戦っていた。最後の瞬間まで、誰かの為なんて。


 ……本当に、真似できっこない。


 なんて干渉に浸っていると、ひとだかりの中からヒナが飛び出し、駆け寄ってくる。しかもほんの少し焦った様子で。


「た、助けてアキト。ヤナギがヘン」

「はあ? 何が……」


 その言葉を裏付けるように、柳がヒナを追いかけるように猛ダッシュでこちらへ向かってくる。しかも、顔を真っ赤にして。


「逃げないでくださいよおヒナちゃーん!! 私のことお姉ちゃんって呼んでください。呼んで。ぷりーずみー」

「だーーーれだ柳に酒飲ませたの!! コイツ未成年だぞ!?」


 ヒナから酒臭い柳を引っぺがし、標的がヒナから俺に変わって。騒ぎは加速していく。本当、やかましいったらありゃしない。


「……ったくもう」


 でも悪くない。不思議と、心が温かくなった。


 夜はまだ長いし、この平和を、目いっぱいに噛みしめるとしよう。


 ◇◆◇


 各地に浮かぶ天獄のひとつ。その宮殿の中で、玉座に腰かけ、出入り口から見える夜空を眺めながら、『謙譲』の大天使────ミカエルが、大きなため息を吐き出した。


「勝手な行動をとった挙句死んで……ガブリエルには、ほんの少し期待をしていたんだけど」


 その声音と視線からは、これでもかと言わんばかりに呆れの色が滲んでいる。


 無理もない。今回の彼女の敗北は全て、彼女の独断での行動から生み出されたモノ。期待していたという言葉に嘘偽りもなく、故に彼女にヒナを預けていたモノだが。


「まあ、別段気にすることでもないし。まだ時が来ていない以上、あの子は〝あちら側〟で泳がせなくちゃいけないし────丁度いい」


 言いながら、立ち上がる。視線を向けるのは宮殿の隅。そこに無造作に積み上げられた、縛り上げられた人間の山だ。


 怯えた、か弱い悲鳴が宮殿に響く。しかしミカエルはソレを気にする様子もなく、夜が訪れたことで縮んでしまった翼を、目いっぱいに広げた。


 その数は、四枚。二対の翼から、無数の羽根が人間の山を目掛けて放たれる。


「起動、『救恤』────我は彼らに力の断片を『救恤』する」


 小さくつむがれた言葉。ソレは歌のように、聞き惚れるほど綺麗な声音で辺りに響き、瞬間。


「GAAAAAAAAA!!!!」


 人間の山が、変形を始めた。


 変形。そう表現する他ない。ブクブクと、身に纏っていた衣服を破るように肉が膨れ上がり、その肉の山の中に眼球や口、人間として表現できる部位のほとんどが埋め込まれていく。


 結果として、その場に残るのは四足で地を捉える無数の肉の塊。人間たちの間で『下級天使』と呼ばれる存在だった。


「こうして、また天使を自分で量産できるようになったわけだし……さつr、粛清が捗るわ」


 誰が聞いているわけでもないのに、わざわざ作り笑いを浮かべて。ミカエルは天を仰ぎ、熱のこもった声で、


「お互い頑張ろうね、お兄ちゃん」


 ここにはいない誰かを呼んだ。

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