第15話 『決着』
視界が、白い。
ヒナを取り込んだ時に見た光景と近いだろうか。真っ白い、無限に続く空間の中、俺だけがひとりで取り残されているような感じだ。そして、
「空翔」
二度と聞けなかったと思っていた声。自分の記憶の中でしか聞けないと思っていた声に目を見開き、我ながらゆっくり過ぎるほどの速度で振り返る。
「……先輩?」
「や。久々だな、空翔。大きくなったなあ」
見間違えようもない。忘れようもない。俺を何度も助けてくれたひと────俺の背中を何度も押してくれたひと。
琴美 幸音が、そこに居た。
「変わらないって……まだ三か月だぞ?」
「はは、見た目じゃなくてさ。中身の話だよ、中身の」
先輩はいつも通りの柔らかい笑みを浮かべながら、首を小さく横に振る。その光景が酷く懐かしくて、目頭が熱くなる。
「泣き虫なのは相変わらずか?」
「うるせえやい」
軽口しか叩けない。言いたいことが、伝えたいことがたくさんあった。でもそれを全部伝えるには、時間がかかりすぎるから。
俺はまだやらなくちゃいけないことがある。悠長に使ってられる時間なんて存在しない。
ソレがわかっているからか、先輩は小さなため息を挟んでから。その表情から笑みが消え失せ、
「良いか、空翔」
俺の両手を、優しく握った。
「おまえは飛べる。あたしは、ずっと信じてきた」
「……ああ」
「何も怯えることはないよ。下を向くな。前だけ向いて生きろ。おまえは、強い」
声音が優しい。それでも、俺の背中を押してくれるような力強さがある。
……本当に、この人はすごい。この言葉だけで、何でもできる気がしてくるんだから。
この胸に宿る自信は、俺だけのモノじゃない。柳、先生、先輩────それから、ヒナに支えられて。やっと抱くことができた、自覚できたモノだ。
先輩に比べちゃ、みっともないモノだけど。
「……やっぱりさ、俺と先輩は違うよ」
「ああ、そうだなあ。あたしと空翔は違う」
ほんの少しの沈黙。先輩の視線は、まっすぐ、俺の瞳に。
「空翔があたしを羨ましいと思うように、あたしだって空翔を羨ましいって思うことがある。空翔があたしになれないように、あたしだって空翔になれない。だから────」
言葉が途切れる。その先が、先輩の口から聞けることはなかった。
それでも何故か、俺にはその先が不思議と理解できて。大きな頷きを返し、
「ああ。俺は、俺のやり方で先輩を超えていく」
視界が、戻った。
目の前に広がるのは青空と、その斜め前方に落下していくヒナの姿が見える。地面との距離から見て、時間はほとんど経過していないらしい。
────飛べ。
数多くの願いが聞こえてくる。たくさんの、力強い声が聞こえる。
その声に、背中を押されるように。
「行くぞ────ッ!」
飛んだ。翼をはためかせ、ヒナを目掛けて。あまり速度は出てないけど、最初にしては上出来だろう。
ヒナの身体を抱え込む。その両手を拘束する、光でできたロープのようなものを引きちぎり、ひと息……と行きたいところだが、ここはまだ戦場のど真ん中だ。そんな気の抜けたことは言ってられない。
「アキト……今、飛んで」
「ああ。でも喜ぶのは後だ。俺たちは、まだやることがあるだろ」
何より、思ったよりこの状態で一点に留まってるのは集中力を使う。早いことヒナと融合しないと、落ちて行きそうで怖くて仕方なかった。
苦笑を浮かべるヒナ。通信機の向こう側からも、先生の噴き出したような笑いが聞こえてきた。口から俺の思考が出ていたらしい。
なんともまあ、緊張感のない。でもソレが俺らしい。なんて言ってくれる先輩の声が、何処か遠くから聞こえた気がした。
「行くぞ、ヒナ」
「うん。わかった」
両腕にヒナを抱え込んだまま、視線だけは天獄に────俺たちを見下ろす、大天使へ向けて。
流れ込む思考と感情。その全てが、俺とひとつになっていく。
「────『AN:alyze』ッ!」
「────『Ver ZweiWing』!」
叫びを上げて、全てを受け入れ、包まれる光の中混じりあっていく。
不格好な片翼が対の両翼に。独りじゃないと、安心させてくれる温かさを胸に。その両翼で、光を払った。
そして上昇。俺たちを見下ろしてたのが思ったより気にいらなかったんで、目いっぱいに飛び上がり、お返しに大天使を見下ろしてやる。
「わざわざ待っててくれたのか? 攻撃のチャンスくらい、いくらでもあったろ」
「フン。万全の状態の貴様らを殺さねば気が済まないからな。一度敗北したというのに、また私の前に姿を現すとは……本当に、貴様らは頭が悪いな」
心の底から貶すような冷たい視線。それと同時に、大天使の掌が俺たちに向けられる。
数時間前も見た光景。まるで焼き増しのようだった。唯一違うのは、大天使を守護するように、その隣に立つ天使までもが、口元に粒子を集め始めたところくらいか。
「一度目は命を助けてやったが、二度目はない。死ね」
冷たい声音で吐き捨てたのと、同時。集められた粒子が、膨大な熱量となって放たれる。その目標は、俺たち一点。
大天使から放たれた粒子砲は、数時間前に見たものとは大違いだった。その熱量も、速度も。どうやら言葉の通り、本気で俺を殺すつもりらしい。だけど、
「────その全部、貰うぞ」
ここで死ぬわけにはいかない。その一心で、両手を伸ばす。
約束した。生きて帰るって。
約束した。みんなで上手い飯を食うって。
約束した。必ず、先輩を超えてやると。
前回の失態は、この
そして、俺の異能『AN:alyze』────発現の瞬間に流れ込んできた情報は、『天使の概念の分析・吸収』とあった。それなら、天使が放つ粒子砲なんかも俺の身体に取り込めるんじゃないか、と。
イチかバチかの危険な賭け。生きるか死ぬかの一本勝負。
『「ら、ああああああ!!」』
身体の中に流れ込んでくる熱。ソレを吸収して即、俺の身体の出力に変換していくイメージ。
────どうやらこの賭けは、俺の勝ちのようだった。
日が沈み始め、縮んでいた翼が広がっていく。むしろ、通常時より大きく、神々しく感じる。
相手に対応の隙を与えない。間髪入れずに、轟音を置き去りに凄まじい速度で、変換した熱量全てを使いつくさんばかりに滑空。そして、腰元の剣を引き抜いた。
「貴様────」
小さな呻きと同時に、隣に立つ天使の首を引っ付かんで、丸ごと背骨を引き抜く『救恤』の大天使。どうやら俺たち人間のマネゴトがしたいらしかった。
だけどもう遅い。俺の振るった剣は大天使の首を目掛けて吸い込まれ、あとコンマ数秒もすればその首を断つ。
敢えて、相手の敗因を上げるとすれば三つ。
ひとつめは、ヒナを攫ったこと。
二つ目は、数多くの人間を殺し、俺たちの怒りを買ったこと。
そして、三つ目。
「俺たち人間を、嘗め腐ったことだ」
腕に確かな手ごたえが返る。怒りに歪んだままの大天使の首が、無様に宙を舞った。
辺りが静まり返り、その静寂をかき消すように響き始めるのは轟音だ。
その音の源は、今俺が着地した天獄のようだった。
崩れていく。きっと、天獄を支えていたのは大天使の力とか、そんなところなんだろう。支えを失くした浮遊島は地面へと、岩のように落下していく。
そして、俺たちの戦いを見守っていてくれていた太陽が、完全に沈んだ。
「────、────」
何とか地上に着地して、上がった呼吸を整える。それから残された力の全てを振り絞り、天高く、剣を掲げて。
「今、この瞬間! 俺たちを脅かしていた脅威は、俺たちの手によって葬り去られた! 醜き天獄もこの通り崩壊し、ようやく俺たちは手に入れたんだ!!」
張り上げる。勝利の喝采を。これから俺たちに訪れるのは、きっと仮初なんかじゃない、正真正銘の平和だ。
「平和を!! 紛れもない平和を、俺たちの手で!!」
声が上がる。総勢十五名ほどの、勝利の雄たけびが。
涙で視界が霞む。やっと、やっとだ。
始まりの日から数年。ここにきて、初めての人類の勝利をもぎ取った。
遠いと思っていた街の平和が、今。俺たちの目の前にある。
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