第13話 『俺なりのやり方』

 結果から言うと、先生の反応はあまりよろしくなかった。それでも、


『わかった、キミのその手にかけてみよう』


 不承不承、といった様子だったが頷いてくれた。他に手もない、というのもあるだろうけど。


 ……それでも、陽が沈みかけた今。あっちだって相当動きづらいはずだ。これ以上の好奇はない。


 あと残ってる不安は、俺ひとりじゃ天獄まで到達できない、というところか。

 ……到達できないどころか、ほんの少しも飛べやしないワケだけど。


「何とかなる、だろ」


 何とかなる。何とかしなくちゃいけない。今も嫌な思いをしているかもしれない、ヒナの為にも。

 エレベーターのスイッチを押す手が震える。先生が上手くやってくれていれば、今管制室には出撃可能な連中が集められている。


「……俺も、上手くやれ」


 いつもより長く感じた待ち時間の末。やっていたエレベーターに乗り込み、向かいの壁に設けられた鏡に映り込んだ自分に言い聞かせる。


「俺のやり方でいい。俺なりに、上手くやれ」


 高速で上がっていくエレベーター。それでも、そんな僅かな時間でも、覚悟を決めるには充分だった。


 一瞬の浮遊感の後、重たいエレベーターの扉が開く。


 重たい扉が音を立てて開いた、瞬間。管制室に居た人間全員の視線が突き刺さる。総勢二十名ほどだろうか。普段向けられている視線に比べて数が少ないものの、それでも痛くて。仕方がない。


 追いやったはずの緊張が蘇る。何とか大きく呼吸を繰り返して、再び自分の奥深くに押し込んだ。


「休んでるところ申し訳ない。頼みたいことがあって、こうして呼び出させてもらった」


 最初の一声。なるべく、できるだけ大きな声で辺りに語り掛けながら、言葉をまとめていく。


「まず、俺が天使をかくまっていたことは謝らなくちゃいけない。すまん。それでも、あの子を────ヒナを助けたのは、間違いじゃないと思ってる」


 ざわめきが管制室を満たした。向けられるのは困惑の視線と、『やっぱりな』なんて呆れと、軽蔑が混じりあった視線だった。


「俺たちは天使が絶滅する日を夢見て戦っている。でも、ヒナは他の天使とは違くて……その、俺の感情からくる言葉だから、信用できないと思うんだけど」


 口元が空回りしていく。勝手に言い訳の言葉を紡いでいく。


 ……違う。違うだろ。俺が言いたいのは、そんな言葉じゃない。


「────ヒナは、俺の家族だ。友達だ。仲間だ。掛け替えのない存在だ! だから……助け出すのを、手伝ってほしい。俺にはみんなが必要だ」


 そうだ。これでいい。


 言い訳なんて並べなくていい。困ってる、だから助けてほしい。気持ちも全部ひっくるめてまっすぐにぶつかれ。それしか、俺はやり方を知らないんだから。


 暫しの沈黙。頭を下げた俺に突き刺さるのは、困惑の視線。しかし、ソレはひとりのよく通る声によってかき消された。


「まあ、部隊長にこんな頼まれ方をすれば断れるわけがないですよね」


 人混みの後ろから、かき分けるように前に出てくる声の主は柳。薄い笑みを浮かべながら、尚も柳は言葉を続ける。


「ヒナちゃんが天使だった、というのは少しばかり驚きでしたが……部隊長のことです。何か、やむを得ない事情があったのでしょう」


 無償の信頼。先輩に向けられていたはずのモノ。痛くて痛くて仕方がなかったソレが、今は不思議と心強い。


 しかし、周りはその柳の声に、すぐに賛成とはいかない様子。どこからともなく、不満の声が上がった。


「けど、柳さん。部隊長は天使を庇ってたんですよ?」

「そうですよ……そのせいで柳さんに一度は怪我をさせて」

「別に、無理に引き受けなくとも……」


 ……その言葉は、全て。紛れもない事実だった。


 柳の一時的な戦線からの離脱。あの惨事は、俺とヒナの────いや、俺のせいだ。


 あそこでヒナの悲鳴を聞いて、俺が取り乱さなければもっと上手く行っていたこともあっただろう。柳だって俺を庇って、あんな目に合うようなことはなかったと思う。


 我ながらおかしな話だ。そんな男に協力しろ、だなんて。それでも、


「何を言ってるんですか」


 柳は、真っ向からその言葉たちを否定した。


「こんなにまとまりのない私たちを許してくれていたのは誰です。まともに言うことも聞こうとしないで、数々の批難を受けても私たちの隊長として立っていてくれていたのは……日々隊長として在ろうと努力を繰り返していたのは、誰だと思ってるんですか」


 困惑を隠せない隊員たち。……無理もない。俺までも、その言葉に困惑しているのだから。


 見られてた。恥ずかしいから、みっともないから隠してた俺の努力が。それでも柳は俺たちを気にする素ぶりすら見せず、言葉を続ける。


「部隊長はずっと、色々なことをひとりで背負ってきた。重たくて重たくて仕方がない荷物を。挫けそうになっても心を叩き、前だけ向こうとしてくれた。向き合おうとしてくれた……ようやく、私たちに頭を下げてまで『一緒に抱えてる荷物を背負ってくれ』って頼み込んでるんですよ? 受ける理由なんて、それだけで充分じゃないですか」


 柳の視線は辺りに。俺だけではなく、あたりの隊員全員に向けられるように。ゆっくりと巡る。


「前に進もうとする部隊長から目を逸らして、押し退けて────それでも胸を張って隊員として名乗れるほどの度胸は、私は持ち合わせてないです」


 独白はそこで終わる。ゆっくりと、柳は俺の背後まで歩み寄ってきた。

 それでも喧騒は止まない。その喧騒の主成分は、俺たちはどうすれば……なんて、未だに拭いきれない困惑の数々。


 ……仕方がない話だ。柳の協力が得られただけマシ。どうにか二人でヒナを助ける手段を考えるしかない。そんな諦めの思考を、


「まあ、最初からこうやって頼むことができれば……もっと色々、うまくいったんだろうがな」


 今度は先生の、茶化すような声音が遮った。


「各々思うようにやればいい……ただ、我らが部隊長様は『わずかでも勝算がある』と言っている。その功績を、この二人に全て総取りされてしまうことになるかもしれないな?」


 ひとしきり煽って満足したのか、先生は柳に倣うように俺の背後に立つ。


 その表情はあまりにも楽しげで、無邪気で。これから戦場に出る、と言う風にはとても見えない。それがなんだが可笑しくて堪らなくて、小さく吹き出す。


 そして。俺の吹き出しを皮切りに。


「そうだなあ。先生と柳さん、部隊長に功績を総取りされんのは気に入らないわ」

「仕方ないなあ……こんなこと言われちゃ、ね?」

「こりゃ上手くいった後にはみんなで飯だな。宴会だ宴会。部隊長の奢りで」


 隊員たちが、続々と俺の後ろにやってくる。各々、自分の意思を言葉として吐き出しながら。


 ……いや待った。聞き捨てならない言葉があったぞ。


「俺の奢りってどう言うことだよ!?」

「良いじゃないか空翔くん。たまにはパーっと行こう、パーっと。わたしはお酒が飲めるとなおのこと嬉しい」

「いやこの人数を奢りってなると……」


 この場の全員の視線が突き刺さる。でもそこに、もう嫌な感情はなかった。

 全員が、しっかりと俺を見てくれている。先輩ではなく、先輩の成し得た功績ではなく……俺を。


「………………」


 沈黙。一分にも満たない、短い短い沈黙。

 目一杯に、向けられた視線を噛み締めて。


「……わかったよ。みんなで生きて帰って、美味い飯を食おう」


 ここに来て、初めて俺は隊員たちの士気を上げた。

 歓声が上がる。床を揺らすほどの、大きな大きな歓声が。

 俺たちが団結して、初めての作戦────、


 ────救恤の大天使討伐作戦が、始まった。


 ◇◆◇


 人間たちが結束し、歓声を上げたのとほぼ同刻。天獄にて。


 外装に違わぬ、煌びやかな宮殿。部屋の四方の壁は一定間隔で真っ白な柱が配置されており、その一角に大きな鏡が見える。


 鏡に映し出されているのは黒髪の長髪と青い瞳が特徴的な、両肩甲骨から翼を生やした少女。見た目の年齢は空翔の二つ程下に見える。


 少女は口元に柔い笑みを浮かべながら、その鏡の前に跪く天使の一体と、片翼の少女に視線をやると、


『そう、取り返して来てくれたのね。ありがとう。助かるわ、ガブリエル』

「いえ、これくらいは当然です。貴女様に『大天使』の名を頂いた身……だとすれば、貴女様の為にこの身を使わねば嘘になる」


 跪く大天使。救恤のガブリエルは、視線すらも上げずに言葉を返す。その隣に転がされた片翼の少女、ヒナは今も逃げ出そうとその両手を拘束する光のロープのようなものを、必死で引きちぎろうと踠いていた。


『ふふ、ヒトを煽てるのが相変わらず上手ね。ソレは私にとって────いいえ、私たち天使にとってとても大事なものなの。死んでしまっては困るわ』


 ソレ、というのはヒナのことを指しているのだろう。それを理解しているからか、ヒナは不満げにむくれてみせた。


「……私はソレじゃない。物じゃない。ヒナって名前が、ちゃんとある」

「貴様……! ミカエル様に口答えを!!」


 乾いた音が宮殿に響く。跪いたままだったガブリエルがその身を乗り出し、ヒナの頰を目一杯に引っ叩いたのだ。

 瞬間、鏡の向こうの天使────ミカエルと呼ばれた彼女から、夥しいほどの殺気が放たれる。


『……何をしてるの、ガブリエル。私はたった今、その子が大事だって言ったのよ? ソレをまさか、私の目の前で傷つけるなんて』

「も、申し訳ありませんミカエル様! ですが────」

『ですが、じゃないわ。次にその子を手荒に扱って見なさい。数秒と数えず貴女の首が吹き飛ぶわよ』


 よもや、それだけの力があるとガブリエルは解っているのか。鏡越しというのに────直接相対しているわけでもないのに、その言葉と、殺意に大きく震え上がった。


 しかしそんなガブリエルには視線すらくれず、興味がすっかり移り変わったのかミカエルの視線は、ヒナの一身に注がれた。


『ところで、ヒナ……と言ったかしら。お兄ちゃんの様子はどうだった?』

「…………お兄ちゃん?」

『────、────そう。まだ、その時は来ていないのね』


 数秒の沈黙。しかしソレは重苦しく、ミカエルが浮かべる表情は浮かない。


 それだけで用は済んだのか。鏡に映り込んだミカエルが消失し、ソレがただの鏡として機能を始める。

 取り残された二人の間に流れる空気は、控えめに言ってもあまり良いものではない。俯いていたガブリエルの肩は怒りに大きく震え、そのままゆっくりと立ち上がった。


「……まえが、」

「……な、なに?」

「おまえがここに来てから、ミカエル様は私を見てくれなくなった。おまえが、全て悪い。私はこんなにもミカエル様の為にこの身を、この生を裂き、数々の功績を捧げて来たと言うのに」


 そのままの勢いで胸ぐらを引っ掴む。そして視線は宮殿の出入り口へ。遥か向こうに見える極東第一支部の高い塔、ちょうど管制室があるそこのシャッターが開き、人間たち────空翔たちが見えた。


「……丁度いい。おまえを見せしめに殺して、あの憎い人間たちも皆殺しにしてくれる」


 歩き出す。ジタバタと暴れるヒナを他所に、大きな足取りで、ゆっくり、ゆっくりと。


「そうすれば、あの方も私を見てくれる。正気に戻ってくれるはず」


 その行為が、一番ミカエルの逆鱗に触れる────その事実から、目を逸らしたまま。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る