第10話 『AN:alyze』

「アキト────!!」


 ……気のせいだろうか。ここで、聞こえるわけがない声が、通信機の向こう側からではなく、上空・・から聞こえてきた。

 視線を上空に向ける。ゆるり、ゆるりと。落下してくる、青い目をした茶髪の少女があった。片翼の翼を持っているのに飛行の意思なんて一切ない。本当に飛ばされて、落ちてきているだけ。


「ひ、ヒナ?!」


 思わず跳躍。驚愕をそのままに、下級天使の群れを飛び越えて。ヒナを受け止めつつ、後衛部隊の目の前に着地する。


「何やってんだこんなところで!!」

「こんな所じゃないと、アキト逃げるから」

「は、はあ……?!」


 驚きと疑問の混じった声を上げているのは俺だけではない。俺のすぐそこに整列している後衛部隊も、俺と同じような声を出していた。しかし、


『後衛部隊、その二人を守ってください。お願いします、必要な事なんです』


 突如、通信機から聞こえてきた声で、その緩んだ空気が一瞬にして引き締まる。

 ……柳の声だ。この状況、柳も一枚咬んでたのか。本当に、みんなして何を————。


「管制室に連れて帰るからな。少しの間、大人しくしてろ」


 返事も待たず、ヒナの腕を掴んで駆け出そうと。最初の一歩を踏み出したものの、ヒナは勢いよく自分の手を振りかぶり、俺の手を解いた。


「……ヒナ?」


 初めての明確な拒絶。何も言葉を発さずにソレが行われたモノだから、思わずその場に硬直してしまう。

 俺たちを庇うように前に出る後衛部隊。そして、取り残される俺とヒナ。何も言葉を発さず、辺りに銃声だけが響く時間が続く。沈黙が酷く痛い。ヒナとの独特な会話のテンポには慣れたはずなのに、ここまで何も言われないのが気まずく感じる日がまた来るとは思いもしなかった。


「……アキト」


 静かに、俺の名前を呼んだ。いつもの親し気な色はなく、向けられた視線には戦意が込められていると思えるほどに。酷く、とても、まっすぐで。思わず目を逸らす。


「アキト」


 逸らした目を戻すように。無理やり俺の頬を両手で挟み、俺の瞳を覗き込んできた。


「あのね、アキト。別に、誰かに頼ることは、悪いことじゃないんだよ」

「────、────」


 思わず目を見開いた。言葉が出ない。放たれた言葉が胸に刺さり、離れてくれない。


「……やっと言えた。私の、言いたかった言葉」

「何を、言って」

「あのね。みんなアキトを心配してる。見ててつらいって言ってる。押し付けてごめんって謝ってる。アキトが、独りで全部背負うから」


 胸が痛い。痛い。痛い。それでも、いつもの冷たい痛さじゃなくて。


「独りで頑張るのはカッコいいと思う。すごいと思う。全部自分のせいにして、周りのひとたちが傷つかないでって気持ちも、立派だと思う」


 湧き上がる痛さが、感情が、とても暖かい。これはきっと────、


「でも、周りに頼ることはかっこ悪いことじゃない。アキトのセンパイはひとりで上手くやってて、かっこよかったかもしれない。それでも……アキトは、無理に〝センパイ〟になることはないんだよ」


 俺が、一番言われたかった言葉。


「ひとりで飛べなくたって良い。ひとりで上手くやれなくても良い。だって、アキトにはわたしが居るから」

「ヒナが……、」

「そう。わたしが、センセイが、ヤナギが居る。きっと探せば、もっとたくさん」


 両腕を広げて、満面の笑みを浮かべるヒナ。俺の狭めていた視界を広げるように。狭くなってしまった世界を広げるように。そしてその広げた腕の片方を……右手を、俺に差し伸べてくる。


「ひとりじゃ、センパイみたいには飛べないかもしれない。それでも────」


 大きく羽ばたいた。太陽の光を浴びて、神々しく輝くヒナの翼が。向けられた言葉のまっすぐさが、輝く翼が、とても眩しい。


「二人なら、飛べるよ」


 その眩しさが俺に向けられていると思うと、泣きそうなくらいに嬉しかった。


「……おまえは、もう本当、本当に」


 本当に、すごいヤツだ。諦めきった俺の心に光を届けてくれる。前に向かう力をくれる。諦めるなって、背中を押してくれる。

 それだけで、俺には十分すぎた。

 差し伸ばされた右手を取る。強く、強く握りしめる。同時に俺の頭に、覚えのない情報が流れ込んできた。

 瞬間、眩く発光する俺とヒナの翼。太陽の光を反射して、というわけではない。何かに呼応するように、翼自体が光り輝いている。

 ……ああ、これはきっと。前を向いた俺にくれた、神様からの囁かなプレゼントとか。そんな感じだろうか。


「ソレはちょっとロマンチストすぎっかな」

「ろまんちすと……?」

「ああいや、何でもない……ヒナ、早速だけど、俺に力を貸してくれるか?」


 問いを投げる。今度は目を逸らさずに、まっすぐに瞳の奥を覗き込みながら。


「うん、良いよ。アキトなら」


 間髪入れずに帰ってきた返事。ソレが少し可笑しくて、緊張の場面だっていうのに小さな笑みが漏れた。

 大きな呼吸。自分の心を落ち着け、余計なものを押し流していく、いつものルーチン。でも今回はそれだけじゃなく、二人の呼吸を合わせるためにも。


「────『AN:alyzeアナライズ』」


 告げる。新たな力を起動する一節を。同時に俺たちを光が包み込み、視界が一面の白に染まった。今この瞬間、この世界には俺たち以外存在しない。

 辺りに漂う粒子。ソレらは俺とヒナの翼────片翼のそれぞれから放たれ、混ざり合っていく。

 混ざり合うのは粒子だけではない。繋ぎあった掌から、ヒナという存在が、俺の身体の中に流れ込んでくるのがわかった。

 けれどソレは不快な感覚ではない。まるで、元から俺たちはひとつだったような────。

 振るう。両肩甲骨から生えた、対の翼を。翼は暴風を生み、光を払い────視界が、晴れた。

 歪な片割れだけだったはずの俺の翼。ソレは今、対の両翼となり、今にも空に駆け出さんと羽ばたいている。

 視界の隅に映るのはいつもの黒い翼。しかし、いつものソレとは大きな違いがある。

 黒い翼。それを縁取るように、ヒナの白い羽根が追加されている。


 これが、俺の能力。

 俺だけの、『強欲』の能力────『AN:alyze』。不揃いな、不格好な俺は、これでようやく完成された。


『なんか……変な感じ。アキトの身体の中に、わたしが居る』

「俺だって変な感じだよ。まさか自分の身体の中に他人が入ってくる日が来るとか」


 俺の内側から響くヒナの声。ほんの少しボケっとした声に、思わず苦笑を漏らす。

 誰だってこんな日が来るとは思わないものだろう。自分の身体が、自分だけのものじゃない日が来るなんて。

 身体の調子は悪くない。むしろ、さっきより良いくらいだ。今の俺なら、何だってできる気がする。

 だって、独りじゃないんだから。


「……飛べる、かな」

『飛べるよ、絶対。だって今のアキトは、独りじゃないから』

「……そうだな。今の俺は、独りじゃない」


 迷いを断ち切り、剣を腰元から再び引き抜く。試しに数度振るってから、空を仰いだ。

 未だに戦闘が繰り広げられている、大きな青空。ずっと、俺がそこを飛んでいる姿なんて想像できなかった。

 でも、今は違う。


「────飛ぶぞ」


 奮い立てる。覚悟を決めろ。飛べ、跳べ────!


「ら、あ!!」


 跳躍。目いっぱいに両脚に力を込めて、ひと息に。最初の一歩を。

 ものすごい速度で過ぎ去っていく景色。気が付けば、俺は空の中心に居た……信じられない。今の俺は、空を飛んでいる。ずっと憧れ、眺めているだけだった空を。

 視界が高く、数々の下級天使を見下ろし、見上げるだけだった天使たちと同じ視線に居る。その事実だけで目頭が熱くなるのがわかった。

 でも今は泣いている暇はない。ここは戦場で、殺し合いの場。まだ昼まで時間もある────。


「行くぞ、ヒナ」

『うん、行こう』


 それなら、天使たちを殲滅して撤退に追い込めばいいだけ。いつもとは段違いなこの出力なら、全滅まで狙えるんじゃないかと思ってしまうほどに。

 体感、湧き上がる力とその出力は二倍くらいだろうか。単純に二人分の力が合わさってると思えば、それも当然って話か。

 翼をはためかせ、風を生み、勢いのままに前進。戸惑うばかりの天使を他所に、その翼と身体を剣を以って斬り裂いた────。

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