第9話 『あの時、俺が』

 いつからだろう。向けられる冷たい視線に慣れてしまったのは。

 いつからだろう。俺はそれでいい、なんて思い始めてしまったのは。


 一時、俺は先輩の後を継がなきゃいけない────そんなことを思っていた時期があった。意気込んでいた時期があった。

 俺は先輩のようになれない。いつまで経っても戦場の後ろで震えながら引き金を引いていた────そんなヤツが、あんなすごいひとになれるわけがないって。

 わかってた。わかってたよ。それでも、世界が俺を『強欲』に選んだのは、もしかしたら世界が俺に変わるチャンスをくれたんじゃないかって、そう思って。勘違いして、舞い上がって。

 でも思ったより、世界ってのは理不尽だった。自分を変えるチャンス? そんなわけがない。あくまでも俺を『強欲』に選んだのは、一番都合がよかったから。

 その事実に打ちのめされる。泣きたくて泣きたくて仕方がなかった。無力感に奥歯を噛みしめ、ありもしない評価が下がっていくのをぼんやり眺めていた。

 堰き止めようと手を伸ばしても、努力しても指の間から零れ落ちていく。止められない。

 当り前だ。俺には荷が勝ちすぎる評価だった。他人の功績を背負って、そのひとになろうだなんて無理があった。

 ああ、だからか。俺が、冷たい視線に慣れたのは。

 こうあるのが当然だと、諦めてしまったからだ。

 いつしか視界が狭まっていく。周りを見渡せば、呆れたような視線しか返ってこないから。俺は、誰も死ななければそれでいい。先輩の時と、同じ間違いを繰り返さなければ、それで。

 俺を見下し、団結していく機動部隊。それでいい。俺には、ソレがお似合いだ。


「空も飛べない、こんなやつには」


 いつもの如く、俺は空を舞うことはない。無様に落ちて行き、地面に背中を打ち付ける。そんな痛みも、すぐに引いて行った。

 誰に向けたわけでもない囁きもまた、受け答えなんて返らず、溶けていく。


「あの時、俺が」


 忘れもしない、あの日の出来事。今でも昨日のことのように思い出せる。俺しか覚えていない、痛々しい思い出。


「俺が、代わりに死ねばよかったのに。あの時死ぬべきだったのは……俺だ」


 ◇◆◇


 ただ何もすることはなく、ぼうっと空を眺めていた。

 私の日常は、私の生活は、アキトありきなんだなってぼんやり思う。あのひとがいないと、私は何もできない。

 センセイとの診断を終えて、当てもなくのんびり歩いて。気が付けば、私は昨日アキトと最後に会話を交わした場所に来ていた。

 今でもわからない。一回寝ても、あの時アキトになんていうのが正解だったのか。私には、その問題は少し難しすぎた。

『……悪い。ひとりにしてくれ』

 そう言ったアキトの背中。私より結構身長は高いのに、あの時のアキトの背中はとても小さく見えて。それでいて、遠くて。

 手を伸ばしても届かない。私の中の何かが、そう言っている気がして、私は追いかけるのをやめた。

 それに、私はあそこで追いついたところで、何もできなかっただろうから。何も言えなかっただろうから、私は。

「……はあ」

 自然とため息が漏れる。センセイに聞いても、悲しそうな顔で、煙草の煙を吐き出すだけ。私も、アレを吸えば賢くなれるのかな。

 何でもないことを考えながら、ぼんやり。青い空を眺める。目の前に広がる空は、まるで鏡で見た私の目みたいだった。そこに自然と『天獄』が視線に映り込んで嫌になる。

 私とアレは切り離せない。そう言われてるみたいで、嫌になる。

 あの空を飛ぶ鳥みたいに、私も自由に飛べたなら。何かが変わるのかな。そうしたら、アキトにも飛び方を教えてあげられるのに。

 寂しい。きゅうって、胸が締め付けられる。最近毎日こんな感じ。私の胸は、何処か忙しい。

 答えを探して、言いたかったことを探して。ずっと、ずっと。頭も、胸も痛い。

「また脱走しようとして……! 今日で何度目ですか!」

 ふと、怒ったような声が聞こえた。でも何処か、かーって怒ってる感じじゃなくて。仕方ないなあ、って感じ。センセイと話してる時のアキトの声が近いかも。

 どこか温かさを感じて、その声に引っ張られるみたいに歩き出す。なんとなく。私は、この感覚に今飢えてる? んだって思った。

 歩く。とぼとぼ。そんな音が付きそうなくらいに、ゆっくり。

 半開きになった扉から顔を覗かせて、様子を伺う。私も、見覚えのある病室だった。

 豪華なベッドと、その近くに置かれたたくさんの果物。そのベッドの上で申し訳なさそうに背中を丸めているひとも、知ってる。

「……ヤナギタイイン?」

 だったっけ、確か。アキトはそう呼んでた気がする。

 私の声に気付いたのか、ヤナギタイインと、それを叱ってたひとの視線が私に向いた。なんかちょっと恥ずかしい。

 少し前まで怖くて仕方がなかったのに。これはきっと、アキトのおかげ。

「────あ。部隊長の妹さん」

 一番に声を上げたのはヤナギタイイン。目をまんまるにしながら、私を見つめてきた。

「あら、天野さんの……丁度良かった。柳さん、退院するって聞かないのよ。何度も何度も無理やり病室から出ようとして……」

 センセイと同じ上着を着た女のひとが、はあ、ってため息を吐きながら手招き。少し迷ってると、すぐ近くまで歩いてきて私の手を引いてきた。

「お願いね?」

「ぁ────」

 何も言えないままお願いされてしまった。ううん、でもこんな頼まれ方をしたら、断れない気がする。ムズ痒い。

 とりあえず、ヤナギタイインの近くに椅子をがりがりって引っ張ってきて座ってみる。何を言えばいいのかわからなくて、床との睨めっこが始まる。

 ……どうしよう。ううん、どうしよう。ちょっと迷って、ようやく視線を上げて。そしたら、ヤナギタイインと目が合った。

「どうして、ヤナギタイインは逃げようとしたの?」

 失礼なことを聞いたかもしれない。いつも私は、こうやって何かを言う度後悔する。きっと、空に居た時も同じだ。そんな気がする。

 ヤナギタイインは私の質問を聞いて、可笑しそうに笑った。くすくすって、楽しそう。

「ごめんなさい、自己紹介がまだでしたね。私は柳 真。柳、とか、真、とか。気軽に呼んでください」

「ん……ええ?」

 なんかヤナギタイインって名前じゃなかったらしい。アキトがそう呼んでたから呼んだものだけど……もしかしたら、センセイも『センセイ』って名前じゃないのかも。アキトのせいで少し恥ずかしい。頬がかあって熱くなる。

「で、私が何で病室から抜け出そうとしたか、って話でしたっけ」

 ヤナギタイ……ヤナギは、えっとですね、なんて、柔らかい笑顔を浮かべた。なんか、優しくて暖かい。ほわほわする。

 アキトは、ヤナギがとっても人気者だって言ってた。その理由が少しだけわかった気がする。

「この病室から見えてしまったんです。きっと、彼が一番見てほしくなかった一面」

 そんなことを言われて、首を傾げながら、窓際までぱたぱた間抜けな足音を立てながら駆けていく。

 見下ろしてみると、そこにはアキトが飛ぶ練習をしていた場所があった。きっと、センセイたちが研究に使ったモノが散乱してる、ゴミ捨て場。

「あんな姿を見せられたらおちおち寝てなんていられません。批判にはもう慣れた、みたいに平気な顔をして────それでも、あんなに、必死に努力をしていた、なんて知ってしまったら」

 振り返ると、何処か遠くを眺めたヤナギが居る。ベッドに腰を掛けたまま、なんか少し寂しそう。申し訳なさそうにも見える。

 ヤナギは、その遠くに向けてた視線を私に向けると、「身体も訛っちゃいますしね」なんて苦笑いを浮かべた。

「きっと、部隊長がああなってしまったのは私たちのせいなんです。ずっと、街に訪れない平和。そのやるせなさと、上手く行かない事実から来る不満。その全てを、機動部隊の連中は彼に押し付けてしまった」

 何となく、胸が痛い。きっと、その光景を────どんな顔をして、アキトがソレを受け止めていたかを、想像したから。

 あくまでも私の想像。それでも、アキトは泣きそうな顔をしてた。アキトは優しいから、昨日言ってたみたいに、俺のせいにすれば全部が済むならって……きっと、全部良いよって言っちゃったんだ。

「彼ならどんな言葉でも受け入れてくれる。そういった認識が広まってからは早かった。並べられた功績に実力が釣り合っていない、と言うのも、この評価がつく足掛かりになったと思いますが」

 ベッドの上で、ほんの少し身じろぎするヤナギ。ベッドの端から投げ出された片足は、足首から下がなくて。思わずそのまま凝視してると、頭を柔らかく撫でられた。

「気付けば、彼の周りには頼れるひとが居なくて。誰かに頼り、弱いところを見せることを忘れてしまった。私と霞先生がその対象になろうとしたんですが、彼にも立場ってモノがありますから、難しいみたいで」

 頭を撫でながら、ヤナギの顔が覗き込んでくる。まっすぐに、私の目を、その後ろを覗き込むような視線と一緒に。

「だから、そんな部隊長を変えられるのは貴女だけなんです。勝手な話ですが、よろしく頼んでも良いですか?」

 何も言えない。なんとなく、なんて言って良いかわからなくて。最近の私はこんなことばっかりだ。

 こういうのを、勉強不足って言うのかもしれない。ヤナギはソレを知ってるからか、何も言わない私にも笑ってくれてる。ちゃんと、考える時間をくれる。

「……私、だけ」

「……ふふ。そんなに重く捉えることはないです。貴女が思うように、言いたいことを言えばいい」

「言いたい、こと」

 言いたいこと。アキトに言いたいこと────。

「たくさん、ある」

「じゃあ、あとは簡単ですね」

 お願いしますって、ヤナギの柔らかい、温かい掌が私の手を包んでくる。

 私の頷きひとつで、二人だけの、秘密の作戦会議が始まった。


 ◇◆◇


 朝が来る。俺たちの、日常がやってくる。戦場がやってくる。

 気が付けば戦場に居て、そこまでのことは覚えていない。……いや、覚えるに値する事象が存在しなかったんだろう。

 いつも通り、無気力に、自堕落に、自己嫌悪に駆られながら平和を消化して。天使の前に立ち剣を振るう。銃弾を放つ。

 機械的に。今の俺は、アイツらと────天使と同じ。

 当り前だ。俺たちは、人間という立場を捨てきらないと、天使になんて敵いっこない。壊れないと、届かない。

 そのために俺たちが居る。人間でありながら天使に近い存在。『SYSTEM:A』の適応者。見方によっては、化け物のソレが。

 それでも未だに勝利に届かないのは、この世にいるかもしれない神様なんて存在が、人間のことが嫌いで仕方がないからか。

 振るう。肉を裂き、翼を断ち、その全てを滅ぼすために。

 弾丸を放つ。血しぶきを上げ、返り血を浴びながら、汚い悲鳴をかき消すように、叫びを上げながら。

 止まるわけにはいかない。守らなくてはいけない。今日は、尚のこと。


「……柳が、居ないんだからな」


 そうだ。今日は柳が居ない。頼みの綱が、存在しない。俺のせいで。

 ……俺の、せいで。


「あ、あああああああ!!!」


 湧き上がる自己嫌悪に任せ、奥歯を噛みしめ、大きく一歩。感情に呼応して、肩甲骨から甲高い機械音が鳴り響く。

 背中が熱い。身体が、熱い。際限なく翼は力を寄越し、俺の停止を阻む。躊躇いを振り払う。俺のその在り方が正しいと、叫ぶように。

 いつだってそうだった。俺は前向きな感情より、後ろ向きな感情を糧に前に進む。

 自分への嫌悪感。罪悪感。先輩への、謝罪の念。

 明日への希望なんて物はない。俺だけきっと、周りの連中と見ている方向が違うんだ。致命的すぎるほどに、全く。


『キミはまるで、死に場所を探しているようだな』


 いつだったか、先生に言われたことがある。酷く悲しそうな顔で、それでいて、皮肉の混じった声音で。

 ……死に場所を探している。その通りだ。俺はいつだって、今回死んでもいいと思っている。

 俺が死ねば次の『強欲』が現れる。俺なんかより、ずっと、ずっと、適した『強欲』が。それなら、こんなヤツ────、


「ここで、終わってしまえばいい」

「アキト!!」

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