第8話 『ニセモノ』

 結果から言えば、今日も街の防衛は成功した。

 下級天使の半数以上の殲滅。ソレが起因で、十時ごろには天使たちは撤収。現状全員の天使を倒しきるだけの力を持ち合わせていない俺たちはそれを追いかける理由もなく、とりあえず、街には仮初の平和が戻って来た。

 あれからのことはよく覚えていない。身体にかなりの無理をさせたことは、節々から訴えかけてくる痛みのおかげでわかるのだが。


「見事なものだったね、空翔くん」

「……皮肉か?」


 いつもの先生の部屋。時計の音に混じり、短いやり取りが部屋に響く。口を開くのも億劫だった。


「いや、皮肉でも何でもないよ。重症の柳ちゃんを背負って、下級天使の群れを捌きながら第壱支部ウチまで戻って来たのはキミだ。誇っていい」

「でもアイツがああなったのは俺のせいだ。そんなんじゃない」


 俺の言っていることに間違いはない。今回の俺は、言い訳のしようがない程に、周りの足を引っ張っていた。

 どうしようもない。本当に、どうしようもない程に。俺は。


「違うな。キミが全部悪いわけではない。今回は────」

「慰めなんてやめろよ。いいんだよ、そういうの。いらないから」


 余計に惨めになるだけだ。情けなくなるだけだ。

 怒りで握りしめた右拳。爪が深々と刺さり、皮膚が裂け、血が床に滴るのがわかる。そんな傷もすぐに再生を始め、塞がってしまうのだが。

 この身体は、自傷すらも許してくれない。この怒りを、何処にぶつければ良いんだろうか。

 沈黙だけの時間が過ぎていく。先生はいつも俺がそうしているように、大きなため息で会話の流れを断った。


「左腕の調子はどうだい?」

「ああ、問題ない。まだ力が入らないけど」


 既に再生が済んだ、ぶらりとだらしなくぶら下がっているだけの左腕。この感じだと、午後にはしっかりと完治してくれるだろう。


「……はあ。気晴らしに、ヒナちゃんを迎えに行くついでに柳ちゃんのところに顔を出していこうか。こんな部屋に籠っていても仕方がないだろう」

「……そうだな、そうしよう」


 俺の受け答えを聞いた、先生の表情。ソレが何処か寂し気で、胸が締め付けられる。どうしようもない感情を何とか固唾を飲む下すことで身体の奥へと押しやり、誤魔化すように両目を瞑った。

 状況から目をそらす。視界から受け取る情報を断ち切るために、視線は床へ。この状況で発する言葉を、俺は持ち合わせていない。なんて言って良いか、わからないから。

 そのまま先生の後をついて行く形で部屋を出て、医療区域に向かって歩いていく。その間、俺と先生の間に会話は一切なかった。

 俺と先生が床を蹴る音と、慌ただしい周りの喧騒。それらをただの音として、気に留めることもなく。ひたすら、まっすぐに。

 しばらくすると、先生と同じように白衣を身に纏った連中が目立ってきた。いつの間にか医療区域に入っていたらしい。


「アキト」


 聞き覚えのある声に、視線を床から前に上げた。

 手を振りながら駆けてくるヒナ。顔色も平常時のソレに戻ってくれていて、ほんの少し、胸の痛みが和らいでいく。


「診察、どうだった?」

「大丈夫、問題ないって。……ごめんね、アキト」

「────、」


 また、これだ。胸の中に蟠る、どうしようもない感情。やり場のない感情。


 どうして、おまえまで俺に謝るんだよ。


 出かけた言葉を奥歯を噛みしめることで何とか咀嚼し、飲み下す。こんなこと言ったって仕方がない。仕方がないんだから。


「そっか、良かった。ヒナが元気で、俺も嬉しい」


 我ながら薄っぺらい。薄っぺらくて仕方がない。作り上げた笑みも、発した言葉も、全部、全部が。


「今から柳のところに行くんだ。ほら、ヒナもついて来い。あー、でも大勢で行ったら迷惑すっかな? ほら、アイツ隊でも人気者だしさ。きっと、たくさん見舞いに来てる」


 返事を待たずに歩き出す。ヒナの手を取って、視線だけでついてくるように先生に投げかけて、柳が入院するその病室へ。

 場所はだいたいわかる。いつも、適応者はだいたい同じ地帯の病室に運ばれるんだ。たぶん、今回もあそこ。


 歩く。歩く。歩く。必死に足を回して、蟠る感情も、思考も、思いも置き去りに。


 俺の予想は当たっていた。だいたい適応者の連中が運ばれる病室のひとつに、『柳 真』と札がかかった病室がある。


「うわ、個室か。流石、エリートは違うな」


 迷わずノック。扉の向こうから返事が聞こえてきたのを確認してから、引き戸を開いた。


「……部隊長。お身体は」

「俺は問題ないよ。ばっちりだ。ほら、腕も回復してる」


 まあ回復してるとは言えぶら下がってるだけだけども。


「そういうそっちはどうなんだ? 大丈夫かよ」

「はい、お陰様で。腕と足の再生も八割近くが終わり、明日には出撃できるかと」

「そうか、よかった。なら安心だな。柳隊員が出撃できないってなったら、いろんなヤツが困るだろうし」

「部隊長」

「俺が出撃できないってのよりよっぽど被害が出るだろ? いやもう全部俺のせいで────」

「部隊長」


 心なしか、ほんの少し張り上げた呼び声が、俺の言葉を遮った。


「すみませんでした」

「────、で」


 ダメだ。もう、いけない。


「なんで」


 押しとどめていた感情が。何とか押し堪えてきた言葉が、溢れ出す。


「なんで、なんでみんな謝るんだよ。なんでだよ。どうしてだよ!! なんでそうなるんだよ!!」


 下げていた視線を上げる。意図的に逸らしてきた全てに目を向ける。

 ずっと寂しそうな顔をしていた先生と、申し訳なさそうに頭を下げる柳と、心配そうに、俺の服の裾を握るヒナ。

 窓から吹き込む風に揺れる活けられた花、サイドテーブルに置かれた無数の見舞いの品、窓の外から聞こえてくる平和の象徴たる賑やかな話声、何もかも、全部が、全部が、痛くて痛くて痛くて仕方がなかった。

 向けられる視線が。向けられる言葉が。全部が。罵倒されるより、見下されるより、痛くて痛くて仕方がない。


「なんで俺のせいで終わらせないんだよ。事実俺が悪いんだろ?! 全部、全部、俺がやらかしたことだろ。おまえらは何も悪くないだろ! そうすれば、何もかも平和に終わるのに────」


 事実そうだ。全部、俺の責任だ。俺のせいだ。

 足を引っ張ったのは俺。戦況の崩壊を生んだのも、柳を怪我させたのも、俺なのに。なんで。


「それは違います。この件は、」

「何も違くない。違くないだろ! 全部俺のせいだ……それに、何で俺を庇うような真似をした。俺は、アレくらいじゃ死なない」


 今も、見事に消し飛んだ片腕だって再生が終了している。柳なんかよりもよっぽど治りは早いし、あそこで庇って柳が死ぬような目に合うくらいなら、未熟でなんの役にも立たない俺がダメージを受けて戦場から下がった方が良い。

 俺が責められるべきだ。ヒナも、先生も、柳も、俺に謝ることなんて何ひとつない。

 俺が責められるべきなんだ。いつまで経っても前に進めない俺が。

 俺が責められるべきなんだよ。だって、俺は先輩の全てを奪っていった。

 この状況を作り出したのは俺だ。今頃まだ先輩が生きてれば、もっと状況だってよかったかもしれないのに。


「────俺が、」

「空翔くん、それは……」


 その俺の心理をいつも通り読み解いてか。先生は俺たちの口論に口を挟もうとした途端、柳の力強い視線に制止される。


「それは違います、部隊長。……いえ、天野さん」


 ここにきて初めて、柳が俺の名前を呼んだ。それは、今から『部隊長』と『隊員』の立場ではなく、ひとりの人間として意見をする。そんな意思表示に聞こえた。


「確かにセブンスとしての再生力はすさまじいモノ。けれど、あの攻撃を────二体の天使から放たれた粒子砲を受けて、生きていられた保証はありません」

「それならそれで良いだろ。足を引っ張る部隊長なんかいない方がマシだ」


 それに、どうせ俺が死んだところで困ったりはしない。この世の人間全員が、俺の存在を忘れていく。まるで、元からそこに俺は存在しなかったかのように。

 だったら、こんな居ても居なくても変わらない奴なんて、死んだっていいはずだ。だけど、柳は。


「そんなことありません。私が、困ります」


 まっすぐな視線と、言葉を以って真っ向から両断する。


「貴方が死ぬのは嫌です。これは、個人的な感情からくる言葉ですが」

「……何を言って」

「私は貴方を尊敬していますから。だから、死ぬのは嫌なんです」


 痛い。痛い。まっすぐな視線が、好意が痛い。

 嬉しいわけがない。だって、だってそれは、


「……違う。その敬意は、思いは、俺へ向けたものじゃない。先輩のモノだ」


 俺が、奪ってしまったものだから。


「おまえが見てるのは俺じゃない。▇▇ ▇▇のモノで────」


 発した文字が言葉を成さない。口に出してすぐ、その名前が霧散していく。ソレが余計に俺の無力さを煽り、胸に蟠る痛みが増していく。

 拳を握り、自身の腿に叩きつけた。やり場のない怒りを、痛みを、誤魔化すように。

 やめろよ。偽物の功績を並べて俺を讃えるのはやめてくれ。偽物の功績で俺に尊敬の目を向けないでくれ。

 俺は、そんなすごいやつじゃない。


「違くない。いつだって、私が見ていたのは貴方です、天野さん。私の敬意は、思いは、貴方に向けたものなんですよ」


 痛い。やめろ。やめてくれ。俺は、そんなに優れた人間じゃない。そんな目を向けられるような人間じゃないんだ。

 俺はいつだって、批難の目を向けられてればそれでよかった。俺が悪い────それですべてが解決するなら、いくらでも批難の的になろう。

 俺は先輩とは違う。先輩と同じような在り方は、できない。だから。


 俺を責めて全てが解決するなら、全部俺のせいにすればいいじゃないか。


 耐え切れずに、病室を後にする。背中に向けられた視線と、言葉を遮るように。ただそれでも、付いてくるヤツはいた。


「アキト!」


 腕を掴まれ、その場に留まる。振り返らなくとも、声を聞いていなかったとしても、相手はわかりきっていた。こんな状況で俺の後を付いてくるのなんて、ヒナくらいのモノだ。

 だから、視線を向けるような真似はしない。それに、


「……悪い。ひとりにしてくれ」


 初めて向けた、明確な拒絶の意思。

 ソレを受けたヒナの顔なんて、見たくなかった。


 ◇◆◇


 ムネが、しめつけられるみたいでした。

 きゅうっていたくなって、あんなカオをするアキトは見てられなくて。気がついたら、かってにはしってた。

 でもアキトは、それがイヤだったみたいで。

 ひとりにしてほしい。今でも、あの時のことを思いだすと、もっともっとムネがいたくなります。

 わたしは、どうすればよかったんだろう。

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