第6話 『先輩とは違うよ』

 食堂で朝食を済ませ、極東第壱支部を出る。

 ちなみに今日のメニューは和食テイストだった。卵焼きに鮭の塩焼き、ワカメと豆腐の味噌汁と、白いご飯。その献立全てに目を輝かせるヒナはなかなか可愛らしいものではあったのだが、周りからの視線がすこぶる痛かった。まあ、予想はしていたけど。

 店街に向かっている今も、その痛々しい視線は継続している。この類の視線は慣れたつもりではいたのだが、いつものモノとはまた気色が違い、違った痛さがある。正直しんどい。

 そんな視線を何とか受け流しながら、ゆっくりではあるが足を進めていく。しばらく歩いて行けば、賑やかな、客引きの声が目立つ一帯が見えてきた。


「……、────」


 無数の響く声。その数々に、俺の服の裾を握る、ヒナの手が小さく震え始める。視線も俯き、地面を眺めているだけで。足取りも心なしか重たく、前に進まない。


「ヒナ」


 俺の呼びかける声にも無反応。いや、聞こえていない、というのが正しいか。

 無理もない。あそこまで過剰なまでに暴行を受ければ、人間自体に恐怖の念を抱くのは当然だろう。俺だってたぶん、同じ立場なら怖くて怖くて仕方がない。


「おい、ヒナ」


 肩を揺すり、もう一度。それでようやく俺の声に気付いたのか、地面に突き刺さっていたヒナの視線が勢いよく上がった。


「大丈夫。怖くない」

「……平気?」

「平気だ。翼は隠れてるし、今のヒナは他の人間と変わらない。何も、恐れることはないよ」


 できるだけ、ヒナを気遣うように。温かい声で語り掛ける。ついでに大きく呼吸を繰り返すように促して。ついでに水でも渡せればよかったんだけど……こういう時に俺の気遣いのできなさが目立っちまう。これだから先生に馬鹿にされるんだな。

 道の隅に寄って、ヒナの背中を摩ってやるだけの時間が続く。しばらくすると、ようやく落ち着きを取り戻してくれたのか、瞳に生気が戻った。


「大丈夫か?」

「うん、平気。まだ……少しだけ、怖いけど」


 ぎゅっと、服の裾を握る手に力がこもった。未だに声は震えているものの、視線はしっかりと前を向いていて。さっきまでのヒナに比べれば、いくらかマシになったように思える。

 よしよし、と頭を数回撫でてやる。それからやっとスーパーに向かおうとしたところで、


「どうかなさいました? 部隊長」


 背中に呼びかける見知った声で、またもや歩みを止めた。

 一瞬、ヒナの身体が強張ったのがわかる。意気込んだ途端にこれだ。まあ、無理もない話だ。

 大丈夫だよ、なんて小さな声で呼びかけてから、ゆっくりと背後に視線を向ける。声の主は視線に暖かな、『心配』の色を乗せて、軽く駆け寄ってきたところだった。


やなぎ隊員か。こんなところで奇遇だな」


 彼女の名前は柳 まこと。入隊三か月で天使の討伐総数三百というなかなかの功績を叩き出した超エリート。正直、俺なんかよりよっぽど隊長に向いている人間だと思う。

 戦場での立ち振る舞いは十九歳と言う若さを感じさせないほどに鬼気迫るモノで、部隊の中でも厚い信頼を得ている。コイツもまた、俺とは正反対の人間だ。


「お、おやめください……どうか私のことは柳、と気軽に」

「そうもいかないだろ? 戦果だけ見れば俺なんかよりよっぽど部隊の役に立ってる。敬意くらい払わせてくれ」


 若干恥ずかしそうに、ムズ痒そうに柳は身じろぎをしてみせる。こういった揶揄い甲斐のあるところもまた、この子が信頼を得ている一面だろう。ギャップ萌えと言うか。そんな感じ。


「……そんなことはありません。昨日も隊長は、天使を街中で発見。その後、速やかに討伐したとか」

「おん?」


 思わず間抜けな声を上げてしまう。自分の心当たりのない功績を並べられて、いくつか頭上に疑問符が浮かんだ。

 つられて首を傾げる柳を他所に、記憶を遡る。……と、あった。心当たりがひとつだけ。


「ああ、あれ。情報のひとつでも得られりゃ良かったんだけどな。ダメだった」


 恐らくヒナのことだ。たぶん、先生が情報を操作して報告してくれたんだろう。先生もひと言くらい言ってくれればよかったのに。こうやって間抜けなことになるんだから。

 ……いや、先生のことだからこうやって困る俺を予想して、その方が楽しいからなんて理由で意図的に俺に伝えなかった節がある。本当に困る。報連相はしっかりとさて欲しいところだ。


「ふふ。隊長にとって、造作のないことだったみたいですね。流石です」

「そういうワケじゃない。素直に忘れてただけだよ」


 無償で向けられる、好意の視線が痛い。これは、俺に向けられているものではないというのに。

 ひとしきり、くすくすと笑いを漏らした後。柳は「そういえば」なんて前置きをして、俺の傍らに立つヒナへと視線を向けた。


「その子、大丈夫ですか? さっきまで随分と憔悴していたようですが」


 僅かに存在する、二人の身長差。ソレを埋めるように、柳がしゃがみ込んでヒナと視線を合わせた。

 ヒナは怯えるように半歩後退。あからさますぎる敵意に、柳の瞳がほんの少し揺らぐのが見えた。


「あー……ごめんな。この子、人見知りで。知らないひとだらけで、緊張してるんだ」

「ああ、なるほど。それなら仕方ありませんね。……ごめんなさい」


 言いながら、柳の頭が謝罪の言葉と同時に下ろされる。素直すぎるその姿に、騙しているようでほんの少し良心が痛むけど、これも仕方ないことだと割り切るしかないか。

 小さくため息を吐く俺を他所に、柳の視線が今度は俺に向いた。見上げるような、まっすぐな視線。言わずとも、その視線が『お二人の関係は?』なんて問いを投げえているようだった。目は口程に物を言う。この子のためにある言葉なんじゃなかろうか。

 一瞬の沈黙。正直なんと言ったもんかと迷ってしまう。いや、マジでどうしよう。


「……この子は、俺の妹だよ。離婚して離れ離れになったんだけど、最近俺の家に住むことになってさ」


 いや苦しい。我ながら苦しい。疑われまくるだろこの言い訳。

 頭を掻きむしりたい衝動を必死に抑えながら、「な?」なんてヒナに話を振ってみた。視線と一緒に疑問符が返ってきた。いや苦しい。


「そうだったんですか。確かに、言われてみれば目元なんか似ている気がしますね……それから鼻の形も。兄妹水入らずの時間を邪魔して申し訳ありません」


 しかし『ド』が付くほどの素直な柳。流石、騙されることなく頷いてみせる。ちょっとこの子の将来が心配になってきた。悪い男に騙されそう。

 ……しかしまあ、そんな平和な未来が掴み取れるかどうかは、俺たちにかかっているワケだけど。


「じゃあ私はこれで。お買い物、楽しんでくださいね」


 心の中で謝罪の言葉を並べ倒していると、柳はそそくさとその場から退散していく。足が向いた先には確か、最近何とか営業を始めることができた画材を取り扱う店がある。入隊の時に絵を描くのが好き、なんて言ってたっけ。


「さて」


 そんな背中を見送ってから、再び視線はヒナへ。こんな道の隅っこで、いつまでもつっ立っているわけにもいかないし。


「行くか、ヒナ」


 呼びかけに対し、頷きを返してくれたのを確認してから。今度こそ、スーパーに向けて歩みを進める。

 昨日みたいに大安売りとはいかないけど。どうにか昨日の分を取り返さねば、なんて密かに意気込んで。


 ◇◆◇


 買い物も終えて、荷物を一度自宅においてから再び街へ。今度はスーパーにではなく、街の外れの方へ足を向ける。

 次が最後の目的地。今日の目的の中で、一番大事なものだと言っても過言ではないだろう。


「どうだった、ヒナ。楽しめたか?」


 隣を歩くヒナに問いを投げる。未だに俺の服の裾を握ってはいるものの、最初に比べれば人混みにはいくらか慣れたように見えた。

 視線もまっすぐに前を見て。すれ違うひとたちに、怯える様子もない。とりあえずはひと安心か。

 対してヒナは、俺の問いを受けると考え込むような沈黙。この独特なペースにも慣れたもので、遅れて返事が返ってくことにも苦痛は感じなくなっていた。


「楽しかった。けど……」

「けど?」


 また沈黙が訪れる。今度は考え込む、というか……ほんの少し、何かを迷っているようだった。

 とはいえ、俺は急かすような真似はできない。ゆっくりと、しかし歩みの速度はそのまま。ヒナの言葉の続きを待つ。


「……なんか、お店のひとがみんな、疲れてるように見えた。とっても眠そう。ニコニコ楽しそうなのに……辛そう」


 言って良いことだったのか。そんな確認の色が孕んだ視線が飛んでくる。

 ……正直、指摘されるかも、なんて思ってはいた。出会ってからまだそう経っていないが、何となくヒナは周りの感情の起伏に敏感で。周りのことを、良く見ているように思える。

 だからこそ、ヒナはこの〝日常〟の中に潜んだ〝異常〟に、気付けたのかもしれない。


「……そうだな。店を運営してるひとはみんな、酷く疲れてる」


 紛れもない事実だった。何とかメイクなんかで誤魔化しているけど、目の下には消えないような、刻み込まれてしまったような隈がある。


「なんつか。正直、今の人間たちに、これまで通りの日常なんてものを送るには無理がありすぎる。街の復興も追い付いてないし、天使の被害で壊れた工場なんかも多いし」


 人々の需要に対して、供給が追い付いていない状況。その件では、先生もべらぼうに苦労してると嘆いていた。

丁度、俺たちの視界には、もともと建物であったであろう瓦礫の山がちらほらと映り始めた。

 客引きの声とは打って変わって、あちこちに指示を飛ばすような怒号によく似た声が辺りに響く。疲れ果ててしかたがないだろうに、休憩すら取らずに建物の再建設を続ける、復興部隊と呼ばれる連中の声だ。

 平和な日常。ソレは皮肉にも、数えきれない犠牲の上に成り立っている。

 ほぼ休まずに仕事を続ける復興班と、店を過酷なスケジュールで運営する者たち。その歪な日常にすら参加できず、未だに地下シェルターで生活している連中だっている。

 暴発しかけの不満、怒り。それらを何とか堪えて、歪さからも、異常さからも、人間たちは目を逸らしながら平和を演じている。

 傍から見れば滑稽かもしれない。それでも、無理をしてまで『平和』を演じていないと、俺たちは壊れてしまうから。


「……いや、もう壊れてるのかもしれないな」

「……?」


 天使と戦い、傷を負い、それでも日常を演じて。苦しい、しんどい、嫌だ────なんて叫ぶことすら許されないこの世界は。もう、とっくに壊れているのかもしれない。


「……でも、アキト。街のひとたちはみんな、温かかった」


 そんなくらい思考を、ヒナの柔らかな声が吹き飛ばす。気づけばヒナは俺を追い越し、その場で振り返って。まっすぐに、俺の目を見つめていた。


「アキトが守った笑顔。アキトたちが守った温かさ。辛そうだったけど、確かに幸せそうだったと思う」

「…………」


 これは、励まされているんだろうか。思わず、何も言えずに立ち止まってしまう。


「……アキト?」

「ああ、いや。悪い」


 なんというか。散々人間たちに暴行を加えられて、あんなに怯えていたのに。誰かの為に、人間の為にこんなことを言えるヒナは、とても。


「……ヒナは、強いな。ありがとう」


 俺の尊敬していたひと。先輩に、その姿が何処か似ていて。ほんの少し、心が苦しくなった。


「……? どういうこと?」

「気にしなくていい。ほら、もう着いたぞ。最後の目的地だ」


 さっきまで辺りに散らばっていた瓦礫の山。ソレが嘘みたいに途切れ、一面の更地が見えてくる。

 更地にはずらりと墓石が並び、ほんの少し威圧感を放っている。なんの装飾すらもされていないんだから、尚更だ。


「……ここって」

「お墓。霊園って言った方が良いのかな。天使からの襲撃で亡くなったひとたちが、たくさん眠ってる」


 もうすっかり通いなれてしまった。最初はここに来るだけで苦しくて苦しくて仕方がなかったモノだけど。それだけ強くなれたんだと願いたい。

 ほんの少しだけ感傷に浸りながら、慣れた足取りで墓石の間を縫うように歩いて行き、目的の墓石の前で腰を下ろす。ついでに、来る途中に買ってきた花を活けてやった。


「……この、お墓」


 ヒナが驚くのも無理はない。俺はすっかり見慣れたものだけど、最初のインパクトはなかなかのものだろう。

 一見、周りの墓石と何も変わらない。けれど、注視すれば、決して見逃せない違和感がその墓石にはある。


 名前が、彫られていない。


 いや、彫られていないんじゃなく、彫ることができない、が正しいか。

 何度も何度も自分の手で彫った。それでも瞬きの間にその彫られた文字は消え、まっさらな、俺の情けない顔を映すだけの鏡と化してしまう。


「……ここにはな、俺の尊敬するひとが眠ってるんだ」


 名を、琴美ことみ 幸音ゆきね。俺の前に極東第壱支部、機動部隊の部隊長をしていたひとだ。

 今はもう、この世に存在を許されなくなった、悲しいひと。

 これこそが先生の開発の、唯一の汚点。先生の、唯一の盲点だった。

 天使と同等の能力を得る『SYSTEM:A』────その中でも異例中の異例とされる、特殊な天使の羽根を移植した連中。ソレを、俺たちは『セブンス』と呼んでいる。

 特殊な天使の羽根を使っているだけあって、周りの適合者とは何から何までが違う。

 強化される肉体能力も馬鹿にならないし、『セブンス』たちにはそれぞれ、謎の異能まで発現する。そりゃあ戦場じゃ重宝されるし、その力は凄まじい。

 けれど、そんな力を無制限に、代償もなしに、ずっと使い続けられるわけがなかった。


「俺たち『セブンス』────特殊な改造兵は、死んじまうとその世界から存在が抹消されるんだ。記憶から、名前から、全部」


 ソレが、大きな代償。大きすぎる代償。まるで世界が異物を拒むかのように、その人間に関する記憶や記録がひとつも残らず消えてしまう。

 そこに残るのは、誰かが必死に戦って、死んだという結果だけ。今じゃ先輩のことを覚えているのは、先輩と同じ羽根を移植した俺だけ。


「おかしな話だよな。誰かの為に必死に戦ったのに、その〝誰か〟の記憶にすら残らないなんてさ」


 本当におかしな話だ。こんなんじゃ、報われない。

 世界の修正力と言うものは凄まじい。誰かに琴美 幸音の話をしても一切覚えていないし、そもそも名前を言葉として発することすらできず────琴美 幸音の四文字が、どういう形であれこの世に存在することは許されない。


 今でも夢に見る。毎晩のように。


 俺を庇って死んでいった先輩。目を覚ませば俺は先輩と同じ羽根を移植されていて、知らぬ間に部隊長なんて地位を押し付けられていた。

 曰く、出血多量で気を失った俺の側には無数の天使の羽根が散らばっていて。天使の再生力を持たない俺は、羽根を移植して適応させないと助からない程、危うい状態だったらしい。

 気が付けば俺は大英雄。今まで『SYSTEM:A』の改造手術すら受けず部隊長を務め数々の功績を残し、運よく落ちていた羽根で『セブンス』として目覚めた奇跡のひと。

 ふざけてる。吐き気がする。誰も、この違和感に気が付かないなんて。

 並べられる功績は全て先輩の、琴美 幸音のもので。俺の上げた功績はひとつもない。

 向けられるのは無償の信頼。無償の羨望。ソレが暴落するのは、そう遅くないことだった。

 当り前だ。全部俺じゃない。俺は、そんな優れた人間じゃないんだから。


「……本当に、ふざけた話だよ」


 お飾り隊長。落ちこぼれ。当然だ。その通りだよ。俺は、そんな器じゃないんだから。


『あたしはな、空翔がいつかでっけー翼で空を飛ぶって信じてるんだよ!』


 いつも明るく、前向きなひとだった。名前の通り、琴のように美しく、幸せの音を奏でるんだ……なんてのが口癖で。輝いていて、眩しくて。


「……やっぱり、俺は」


 そんな眩しさも、幸せの音色も、今この世界には存在しない。


「俺は、先輩とは違うよ」

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