第5話 『反復練習』

 痛い。痛い。痛い。

 言葉が、拳が、脚が、それにより放たれる暴力の数々が、身体を蝕み激痛を生み出す。

 降り注ぐ言葉の数々に、自身を肯定するモノなどなく。その数々が、心にしっかりと斬り傷をつけていくようだった。


『気持ち悪い』『落ちこぼれ』『何故お前なんかが』『何故お前が』『何故』『何故』『何故────』


 痛い。心が、身体が、どうしようもない程に。

 夢は記憶の整理だという。だからこれは、きっと。

 逃げ惑うように意識を回す。回す。回す。ほんの少しでも、光の指す方へ。


『……頑張って生きよう、お兄ちゃん』


 意識が浮上する寸前に。そんな、聞き覚えのない声を聞いた。


 ◇◆◇


 固い、実験用のベッドに横たわり、静かな寝息を立てる少女────ヒナ、と名付けられた少女を見下ろしながら、何処かの誰かさんのような大きなため息を吐き出した。


「ふう、終わった終わった……我ながらいい仕事をしたな」


 依頼の処理は迅速に。我ながら手際のいい作業だったと思う。

 ヒナちゃんの背中に翼は見えない。実験は成功だ。あとは、彼女の意思で翼が出すことができたのならわたしの仕事は完璧だった、と照明できるわけだが……それはこの際どちらでもいい。むしろ、人間世界で生活するのなら、翼なんて出せない方が勝手が良いというもの。

 人間たちから暴行を受けていた。そう語る空翔くんの表情は酷くつらそうだったわけだし。担当医師として、ひとりの友人として────相手がそう思ってくれているかはわからないが────彼のそんな表情はあまり見たくない。

 そんなあまりよろしくない感情を流すように、ずっと我慢していた煙草に火をつける。

 なに、この辺はわたしの部屋以外禁煙なんじゃなかったか、って? 確かにそうさ。わたしの部屋にはベッドなんてもの置いていないし、仕方なく研究室を使わせてもらっている。しかしまあ、今は幸いわたしとヒナちゃん以外に人影は見られない。咎めるヤツなど存在しない、と言うわけさ。

何せ研究、開発段階から今までざっと六時間。煙草を吸う暇を惜しんで作業してきたんだから、これくらいは許していただきたい。

火をつけ終わり、最初のひと口を吐き出したのと同時。横たわっていたヒナちゃんが、ゆっくりとその目蓋を開く。


「……アキト?」

「残念だがわたしだよ、おはよう」

「ん……」


 煙草の匂いで判断したんだろうか。寝起きのヒナちゃんの表情は心なしか寂しそうに見える。悪い事をしたかな。

 にしても、ホントに随分と懐いたものだ。まるでひと昔前のライトノベルの主人公を見ているみたいだな。


「翼の調子はどうだい? 何か、違和感を感じるようなところはあるかな」

「……けんこーこつ? の辺りが、少し変」

「ソレはもう慣れ、と言うものだよ。空翔くんとお揃いだから、そこは我慢してくれたまえよ」


 正確には空翔くん〝たちと〟なワケだけど。モノは言いようだ。

 原理は彼ら『SYSTEM:A』と逆なわけだから、イチから組みなおさなければいけなかったんだが。構造なんかはほとんど彼らの物と同じ。お揃い、という言葉には嘘はないさ。


「……そっか。じゃあ、慣れる。ありがとセンセイ」

「いいってことさ。わたしは凡そ天才だからね。これくらいは朝飯前だよ」


 時間的にも朝飯の前、なんて高度なギャグだったわけだが。ヒナちゃんは理解できなかった様子。昨日何度か見た光景を焼き増しするように、こて、と首を傾げている。


「おおよそ? アキトは、センセイのこと、天才だって言ってた」

「ああ、そっちか。そっちね」


 ギャグだということにすら気付けてもらえていない説が浮上。大変悲しい。

 しかしそうか、まさかそこを突かれるとは思ってなかったな。半ば、わたしの口癖になっているような言葉だけど。

 凡そ。その言葉にも、偽りはない。


「わたしは確かに天才さ。自他ともに認めるほどにね。ただ」


 煙を目いっぱいに吸い、宙に吐き出す。部屋を照らすライトの光に溶けて消えていく。

 わたしは完璧ではない。そこらの偉大な研究家、天才と一緒にしてしまえばバチが当たるというものさ。本当は『天才』と呼ばれることすら、許容したくはないくらいに。


「わたしはね、ひとつ過ちを犯してしまったんだ。ソレが世界であやふやにされて、許されているだけ。……いや、その〝過ち〟を、世界が認識できない、と言うのが正しいか」


 わたしは人殺しだ。殺人鬼だ。それ以上に、酷いことをしてしまっているかもしれない。


「さて、この話はおしまいだ。聞いてても面白いモノでもなかろう?」

「うん……? センセイが、そう言うなら」


 ヒナちゃんの視線には、わたしを気遣うような色が混ざっている。よっぽど酷い顔をしていたんだろう。


「じゃあこれに着替えて空翔くんのところへ向かおうか。この時間なら彼、あそこにいるだろうし」


 わたしの言葉にヒナちゃんは頷き、手渡した着替えを受け取ってくれる。

 時刻は午前六時ごろ。動作確認やら色々と済ませれば、丁度『アレ』がみられる頃合いか。

 誰かに見られるのは嫌がる傾向にあるけど、まあ。たまには誰かに見てもらった方が良い。その方が彼の為にもなるだろう。


 ◇◆◇


 時刻は午前五時半頃。陽がちょうど顔を出し、辺りがほんの少し明るくなってきたころだ。

 昨日の今頃は戦場に立っていたと思うと、今こうして極東第一支部のひと気のない場所に居る俺と、戦場に立っていた俺────どちらが現実で、どちらが夢なのかわからなくなってくる。

 どちらも夢だったんならよかったのに。そんなことを、毎日のように思っている。


「……さて」


 辺りを見まわし、一応周りに人影がないか確認。別に誰かに見られて困るようなことをするワケではないのだが、何となく見られるのは恥ずかしいし。

努力というのは誰かに見せつけるものじゃない。陰ながらするから、そこに意味が出てくるんだ。あくまでも俺の持論だけれど。


「────、────」


 大きく息を吸い、吐く。朝を告げる鳥の囁きに混ざり、辺りに呼吸の音が響いた。

 心を落ち着けるためのルーチン。緊張を振り払い、余計なものを身体の内部から追い出していく。

 確かこれも、先輩から教わったもののひとつだ。確か、先輩も戦場に出る前にはよくこうやって、


「……いけない」


 雑念を振り払う。過去に縋ろうとする自分を何とか押しとどめて、


「────『SYSTEM:A』、起動」


 呟く。自分の身体に呼びかけるように。小さく、風の音にも消されそうな程小さな声でも、ソレは充分だ。

 俺の声に反応して、機械音が体内から聞こえる。厳密に言うのなら、その音の元は俺の背中────右の肩甲骨から。

 同時に自分の中を熱が駆け巡り、一瞬視界が赤く染まる。蝕んでいく異分子に、身体のあちこちが悲鳴を上げる。

 しかしそれらは慣れればどうってことないことだった。呼吸を落ち着けて、じっと。取り乱さなければ、なんてことはない。

これが俺たち人類の、天使への対抗策。人間の枠を超える唯一の方法。

 右の肩甲骨に埋め込まれた機械から黄色の粒子のようなものが辺りに飛び散り、そして。そこからひとつの翼が出現する。

 少女の────ヒナのそれに比べて、神々しさなんて欠片もない黒い翼。片翼、という面においてはあの子と同じか。


「よし。今日もやりますか」


 わざわざ声に出すことで、自身を奮い立たせる。


 お飾り隊長。

 偽翼の強欲。

 落ちこぼれ。


 何度もかけられた侮辱の言葉。痛いほどの冷たい視線。別に強く苦痛には思っていないけれど、その評価を払拭しないといけない。

 だからせめて、最初の目標は空を飛ぶこと。周りの連中が片翼でも飛んでるんだ。俺だって、飛べないことはないはず。


「ふ、ッ!!」


 地を蹴る。

 いつもの自分の倍以上の力が発揮され、一瞬で景気が過ぎ去っていく。

 これもシステムの影響だ。天使と戦うために、可能な限り身体とその性能を天使に近づける。先生の研究が生み出した実証のひとつ。

 助走を目いっぱいにつけて、跳ぶ。最初から飛行なんてできっこない。せめて、勢いをつけてから跳躍して、それから────。


「くっそ!!」


 なんて思ってはいるものの、現実はそう上手く行ってくれない。空に〝跳べ〟はしたのだが、〝飛べた〟わけではない。数メートルほど上昇し、そのまま地面を目掛けて落下していくだけ。翼をはためかせたり、色々しては見たのだが……結局は同じで。そのまま地面に着地して、もう一度。

 同じことをひたすら繰り返していく。別に、反復練習は嫌いじゃない。それでも、飛べない自分に嫌気がさして、僅かに焦燥が生まれてくる。


「……畜生、何で」


 声は震えていた。今日もダメだ。まったく、前に進んでいない。本当に、嫌に────、


「まあ、そう焦るな青年」


 などと。俺の思考を遮る声がした。

 丁度背後から。確か、研究、開発区域があるあたりだ。となれば、俺にそんな声をかける人間は、ひとりだけ。


「……先生。ハズイからあんま見に来るなってあれほど」


 言いながら、肩甲骨に意識を向けて翼を消し、システムを停止。それから振り返ると、視線の先に居たのは先生だけではなかった。

 一瞬、特徴が消えたせいで誰か判別できなかった。いや、それ以上に、身に纏っている服が昨日のソレとは違ったから、見違えたから、自分の認識を疑ってしまったんだろう。

 ボロボロのワンピースから、俺の部屋着へ。更にヒナの服装は変わっていた。

 ほんの少しダボついた、黒いTシャツと、ホットジーンズ。昨日はウチにあった適当な突っ掛けを履いていたのに、今では小綺麗なサンダルを履いている。なんか、底が厚いヤツ。ファッションに疎い俺にはよくわからん。

 そして背中にあった、嫌でも目立つような片翼は消え去っている。見事に先生はやり遂げてくれたらしい。本当にすごいな、このひと。


「アキト……どう?」

「おお、見事に翼消えてるよ。よかったよかった。サンキューな、先生」


 駆け寄ってくるヒナに笑みを向け、ソレを追いかけるように歩いてくる先生に頭を下げて。内心、胸を撫でおろす。

 正直、翼が隠せないまま周りに見つかったらどうしようなんて思ったものだ。大きな騒ぎになればヒナの命はないだろうし、ここまで関わったのだからこの子が死ぬ光景なんかは見たくないし。だが、しかし。


「……それはないな空翔くん」


 俺の言葉は何やら不適切だったらしい。先生だけではなく、俺のすぐ近くで、昨日と同じように服の裾を掴みながらヒナまでもが不満の視線を向けてくる。


「え、ええ……? なんでだ?」

「ソレがわからないから女性が逃げていくんだよ。あーあ、可哀そうなヒナちゃん」

「……うん。ソレは、言えてる」

「あれ、なんか俺の周り敵しかいない?!」


 まさか、こうしてヒナにまで呆れられる瞬間が来るとは思ってもみなかった。なんだろう、初めて娘に『臭い』とか言われた娘の気持ちだ。

 俺の悲鳴や複雑な気持ちは汲まれることはなく、先生のため息と一緒に話は勝手に進んでいく。


「まあ、見ての通り大成功だ。別に難しいことではなかったよ」

「いや、アンタ以外からすれば充分すぎるくらいに難しいことだと思うけどな。ありがとう」


 くるりと身体を反転させ、背中を得意げに見せてくるヒナ。うんうん、良くできてる。これで、昨日みたいなことはとりあえず起こらないだろう。

 腕の痣も徐々に治り始めている。天使に比べても再生速度が遅すぎるとはいえ、流石に人間よりはいくらか早いらしい。

 なんて観察を終えて、満足したところで。ふと、ひとつの疑問が浮上した。


「にしても先生、この服どうしたんだよ」


 そう、あの本の山の中にこの服が眠ってたとは考えづらい。それにしては綺麗だし、年中白衣にスーツの先生からは想像できない種類のものだった。っつーかこのひと、私服なんてもってるんだろーか。


「取り寄せたんだよ。わたしの膨大な人脈を使えばどうということはないさ」

「……何となく、先生を敵に回したらいけない気がしてきたな」


 敵に回してしまった日には、その膨大な人脈とやらを最大限に発揮して俺の噂があることないこと流されそうだ。これ以上俺の評価を下げるのはやめて頂きたい。胃に穴が空いちまう。

 とはいえ、あのままの服装で人通りの多い商店街なんかを通って帰るのは気が引けてたんだ。一回帰ってまた買い物に出るのも面倒だし、正直助かる。昨日は買い出しをしようと思ってたのに、あの一件でソレも叶わなかったわけだし。


「わたしがキミの敵に回った日には、キミの自宅の扉に爆竹を仕掛けたり家の目の前で『天野 空翔はクソロリコン野郎―!!』とか叫ぶだろうな。楽しそうだ」

「当り前のように俺の思考を読むのはやめてくれ。あと発想がねちっこい」


 閑話休題。このままでは永遠に会話が続いちまうだろうし、大げさすぎるくらいの大きなため息で会話をぶった切ってやる。

 ついでに腕時計で時間を確認。そろそろ六時半になろうという頃合いだ。ここの食堂で朝食を食べて、ほんの少しのんびりすればスーパーも開店し始めているだろう。いい塩梅だ。この街のスーパーは基本、開店時間が早い。街唯一のスーパーなワケだし、仕方がない話ではあるのだが。


「じゃあちょうど行きたいところもあったし、スーパー行ってコンビニ行って、一旦帰って街の外れの方まで行こう」

「すーぱー? こんびに? ……買い物。わかった」

「本当にわかってるか?」


 言いながら、首を傾げるヒナ。本当に理解できているのか若干危ぶまれる。

 昨日のコーヒーの件と言い、どことなくヒナは世間知らずなところがある気がする。いや、記憶がないんだから仕方ないことではあるんだけど。


「じゃあ。ありがとうな、先生。また何かあったら部屋行くわ」


 軽く先生に会釈を交えて。今日の朝食のメニューは何だったか……そんな何気ないことに思いを馳せながら、俺はヒナを連れて食堂へ向かう。


 戦場に立つ自分と、何気ない平和を謳歌する自分。


 そのどちらかが夢だったとしても。とりあえず、今は目の前の平和を楽しもう。

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