第3話 『その出会いは突然に』

 極東第一支部を出て、五分ほど歩くと賑やかな街並みが見えてくる。

 つい最近までは考えられなかった光景だ。天使の襲来により、瓦礫の山と表現しても大袈裟ではないくらいに崩壊した街。それが、人々の『生きよう』という意思によって、僅かな時間────正確な日数、年数は覚えてないけど────で、以前と変わらないまでに修復されるとは。

 まだ復興が及んでいない場所はまだあるものの、かつての賑わいが戻りつつある。

 中途半端な品ぞろえをした商店街や、二十四時間営業体制のコンビニ。今日は卵が半額なんだって、なんて騒がれるスーパー。

 今もまだ天使との戦争が続いているとは思えないくらいに平和な街並みを横目に、スーパーに足を向けて歩いて行く。

 そう、今日のセール対象は卵。それから野菜や一部の調味料など、逃すにはなかなか惜しいラインナップをしているから。

 機動部隊の給料は馬鹿にならないワケだけど、こうして〝セール〟だとか〝半額〟という言葉に惹かれてしまうのは、戦場に身を置いても一般人の心を捨てきれないからだろーか。

 そんな庶民派極まりない自分の思考に苦笑いを漏らしていると、ふと、ひとだかりが視界に映り込んだ。

 老若男女問わず、おおよそ二十人余りの人間で形成されたソレ。どうせまた酔っ払いが倒れてるだとか、酔っ払い同士が喧嘩してるんだろう、とか。苦笑いをそのままに、そのひとだかりを横切っていく。

 この世界の娯楽と言えば、酒と煙草くらい。そこに女も含まれるだろう? なんてしょっちゅう先生からツッコミを入れられているけど、それはこの際置いておいて。これくらいの騒ぎは日常茶飯事だ。

 しかし、「機動隊に連絡した方が良いんじゃ……」なんて言葉が聞こえてきたことで、黙って通り過ぎるわけにもいかなくなった。


「どうかしました?」


 駆け寄り、とりあえず状況の確認。集団の一番外側にいた適当な男に声をかけ、その中心を覗き込もうと軽く背伸びをしながら。不審な目を向けられたものだが、羽織っている上着が機動部隊の制服だと気付くや否や、ざわめきを残しながら中心へと通してくれる。


「────、────」


 そこで目にした光景。その中心で行われていたモノを見て、思わず言葉を失った。

 蹲るひとりの少女。歳は、見たところ十七から十八程。ボロボロの、薄汚れた、と表現するには些か汚れすぎた白いワンピースと、所々土で汚れた茶色い長髪。土汚れだけではなく所々血液と思われる赤い斑点がワンピースとその素肌に施されており、手負いだということが一瞬でわかる。

 それでもまだ、四人の男に囲われて、暴行が行われていた。

 原因は恐らく背中に生やした翼。左の肩甲骨から、片方だけとはいえ、真っ白い翼を生やしている。

 見間違えようもない。天使だ。俺が日ごろ、戦場で目にしているモノと同じ。


「テメエのせいでッ、どれだけの人間が死んだと思ってるんだ!」

「俺の家族は、おまえたちに────」


 呪詛と共に浴びせられる暴行。拳が、脚が、言葉が確かにその少女を傷つけ、その片翼の少女は青い瞳を涙に潤ませながらも、ひと言も、言葉すら発することはない。

 今、俺たち人間の間に溜まった不満は大きい。大きすぎる。相手が天使となれば、尚のことだ。

 丁度、都合よく見つかったその不満の捌け口が、こんなにも残酷な光景を生み出している。

 吐き気がした。吐瀉物がすぐそこまでせり上がり、喉を焼き、そして思考を現実に引き戻す。


 ────止めないと。


 そう思ったころには、身体が動き始めていた。


「そこまで。もうやめないか」


 ほんの少し上ずった声。それでも何とか張り上げたソレは、この地獄を止めるには十分だったらしい。

 無数の視線が俺の身体に突き刺さる。ざわめきが酷く痛い。それでも踏み出したからには、この足を、言葉を引っ込めるわけにはいかなかった。


「俺は、対『天使』殲滅機動部隊極東第壱支部【部隊長】天野あまの 空翔あきとだ。この子はとりあえず、ウチで預かる。日頃の鬱憤も理解できるが、ここはどうか収めてもらいたい」


 部隊長。そのワードを聞いて、ざわめきが一層強くなった。

 返事を聞くことはない。有無も言わさず、片翼の少女の掌を握りしめ、早足に歩き出す。


「……ほら、走るぞ」


 ひょっとして俺は、何かどえらいことをしてしまったんじゃないか。そう思ったころにはとっくに遅くて。

 走り出しながら、いつもの深い、深いため息を吐き出すしかないのだった。


 ◇◆◇


 目の前に見えるのは、手に持ったカップから立ち上る湯気。その向こう側に、片翼の少女が座り込んでいる。

 少女は居心地悪そうに身じろぎしながら、俺の家を見まわしている。頻りに腕の辺りを撫でているのは暴行の影響か。応急処置でもしてやれれば良いんだけど、下手な素人が手を出すのは憚れる。

 少女をとりあえず我が家に連れ帰って、およそ十分ほど。それだけの時間を経て、ようやく俺が無害だと判断してくれたらしい。


「……とりあえず飲んだら? 毒とか入れたりしてねえから」


 少女のすぐ目の前の机。そこに置かれたカップを顎で指し、改めて言葉を投げかける。中に注がれているのは俺と同じくコーヒー。一応の配慮として、パックの牛乳と砂糖が入った容器を添えてある。

 少女は俺の言葉に頷くと、カップを両手でしっかりと持ち上げひと口────啜ったと思ったら、ものすごい表情を浮かべて眉間に皺を寄せた。


「……毒、入ってる」

「いや元々そういうもんだから」


 ここに来て初めて聞いた少女の声。他の天使たちと同じく、気を抜いてしまえば聞き惚れてしまいそうな程綺麗な声だった。

 机を挟んで向かい合うように腰を下ろし、とりあえず牛乳と砂糖を入れてやる。牛乳の量はすこぶる適当、砂糖は大匙三杯くらい。


「で、だ。キミはどこから来たんだ?」


 数度スプーンで中身をかき回し、カップを差し出しながら問いかけた。

 少女はカップを受け取るなり、丁度自分の背後にある窓────その先を指でさす。

 少女の指が向いた先。そこにあるのは、空に浮かぶ大きな島。宮殿とも受け取れるほどに煌びやかなソレは、俺たち人間の間で『天獄』と呼ばれる天使の住処だ。

 天使の襲来と共に突如現れた謎の大陸で、どこから来たのか、どうやって飛んでいるのか、どれだけの大きさなのか────正確なことはわかっていない。

 唯一わかるコトと言えば、そこに確かに天使が住んでいること。ただ、それだけ。


「何となく予想はしてたけど……名前は? 個体名とか、そんな感じの」

「名前、個体名……? わからない」


 こんな調子で質問を繰り返していく。聞きたいことをすべて聞き終えた頃には、家に着いた頃には沈みかけだった陽もすっかり沈み切って。空には夜の帳と、綺麗な星の軍勢がかかっていた。

 ……正直ここまで時間がかかるとは思わなかった。帰宅と同時に掃除した灰皿には新たに吸殻が六本ほど転がっており、自分のことながらなかなかに苦労したことが見て取れる。

 何せ返答にかかる時間がすこぶる長い。問いに対してしっかりと記憶を探ってくれている証拠ではあるワケだけど、会話のテンポが悪すぎて仕方ない。途中からその間を持たせるために煙草を吸っていたまである。

 わかったことと言えば────単刀直入に言うと〝何もわからないコト〟だけ。その結果が余計に俺の中に疲労感を滲ませる。

 正直どうしたもんか、なんて途方に暮れながら、新しい煙草に火をつける。とりあえず、くだんの少女は風呂に入らせた。身体中に血が付着してたし、何より服を洗ってやらないといけなかったし。見ている方がなんか、悲しくなってくるから。

 着替えには俺の寝巻に使ってるジャージの短パンと、適当な半袖のTシャツを一枚。翼を出せるように穴をあけるのには少し苦労したが、背に腹は代えられないだろう。


「……ん」

「お。ちゃんと綺麗になったな」


 時間にして三十分ほどが経過して、少女が風呂から出てくる。

 ほんの少しダボついたシャツの下に見える腕には、まだ痛々しさは残っているものの、血液の後は綺麗さっぱり落ちてくれている。

 これでひと安心か。なんて胸を撫でおろしたところで、


「……? あれ。それ」


 ある一部に視線が向く。ソレ、と指したのは、少女の翼だ。

 見慣れたはずの、憎らしい程に神々しい翼。それが、出会った時に比べて二回りほど小さくなっている。

 最初は少女の片腕ほどの大きさはあったソレが、肩甲骨から肩先程までの大きさまで目に見えて縮んでいるのだ。

 首を傾げる少女を他所に、内心『なるほど』と頷く。

 天使たちが人間たちに攻撃を仕掛けてくるのは二日に一回ほどの周期で、決まって日の出から昼頃にかけて。若干誤差はあるものの、十一時から十二時ごろには必ず撤退していく。

 たぶん天使たちの翼は、陽が出ている間じゃないと機能しない────とかそんなんだろう。知らないけど。

 専門知識があまりにも少なすぎるので、仮設でしかないが。ひとりの兵士が予測できるのはそれくらい。

 ……さて。風呂に入らせたのは良いけど、これからどうするべきか。


「どうするべきかなあ」


 首を傾げる少女に追い打ちのように問い掛けを。応えてくれるなんて毛頭思っちゃいないが、少女は反対側に首を傾げるだけで応えてくれた。独り言に何かしらのレスポンスがある、というのは案外心地いい。

 最終手段、なんて思ってたんだけど。思ってはいたんだけど────、

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