46:ムラト・ヒエダ

 レーダーマッキーの情報によりあらかじめ目星をつけていた潜伏先は、《大震災》の際に起きた大津波によって海岸線から数キロ先の内陸部にできた《船の墓場シツプ・セメタリー》と呼ばれる場所にあった。


 そこには大津波によって主に港町の四番街から無残にも押し流されてきた、船の残骸や形を残したままの家屋などが、数キロに渡って波打ち際のような跡を形作っている。


「不吉すぎて誰も寄りつかん場所だ」


 ムラトが言う。


「だから選んだ」


 ハナコはそれに応えた。


 ハナコたちは《船の墓場》の一角にあった、屋根がはんぶん無くなった木造の平屋に身を潜め、そこにあった腐りかけのウッドチェアにムラトを縛りつけていた。


「それで、わたしをどうするつもりだ?」

「それは、あたしが決めることじゃない」


 視線を後ろへ向けると、アリスが前へ出てムラトを見つめた。


「それで、わたしをどうするつもりだ?」


 おなじ言葉をアリスへ投げかけるムラト。


「わたしを使って、戦争を起こすのですか?」

「……どこまで知っている?」

「すべてです。アンバ山へ行きました」

「驚いたな……」


 天井を束の間あおぎ見てから、深く息を漏らすムラト。


「たしかに君の力を触媒にして、われわれ《赤い鷹》は政府の中枢である《クニオ一番街》へ総攻撃を仕掛けるつもりだ。そうなれば必然的に戦争は起きることになる」


「戦争は、イヤです」


 アリスの真摯な言葉を、子どもの戯言だとでも言いたげにムラトが笑みを浮かべた。


「もちろん言われずとも、わたしも戦争には反対だよ。あくまでもわれわれは民衆が平和と自由を勝ち得るために動いている組織だからな。平和のための戦争は、それこそ本末転倒だ」

「だったら他の方法を――」

「今さら言われずとも模索し続けてきたよ。十九年前に政府を離れた時からずっとだ」


 言葉の重さに黙りこむアリスからハナコへ視線を移すムラト。


「まさかとは思うが、わたしを説得するために誘拐したのか?」

「護送対象者にほだされるとはプロ失格だと言わざるをえんが、それよりもすべてを知ったというのなら、《血の八月》の真実にもたどり着いたのだろう?」

「ああ」

「ならば政府が真の敵であることも知ったということだ。九番街の住人にとってはあだ討ちの絶好の機会にもなると思うが?」

「かたき討ちになんて興味ないよ。戦争はあんたらお偉いさんにとっちゃ政治的なもんなのかもしれないけど、あたしら庶民にとっちゃ天災みたいなもんだからね。だけど自分が関わった仕事が原因で戦争が起きるってことを知っちゃったら、それを止めたいと思うのが人情だろ。プロの《運び屋》であるまえに、あたしは一人の人間だ」

「……言葉はあまり知らないようだが、至極まっとうな意見だな」

「そりゃどうも」


 ぶきらぼうに応えるハナコ。


「まっとうついでに、あんたが説得に応じないってんなら、あたしたちには二つ目の作戦があるんだよ」

「ほう、参考までに聞かせてもらおうか?」

「あんたらがアリスと一緒にうばった、をぶっ壊す作戦だ」


 言うと、ムラトは呆れたとばかりに鼻から息を漏らした。


「とても妙案だとは思えんがな」

「でもそれしかないんだ。もしアリスを連れて逃げる選択をしたら、政府やあんたらや、それにオヤジ、ドン・イェンロンの手先にまで追われることになる。じゃあっつって、アリスを殺す選択なんてできるわけもないしね。だからあたしらは、あの機械の破壊を《赤い鷹》に要求する。いくら完成したっていっても、そうすればはなくなるだろ?」

「破壊したところで、あの機械はふたたび作られるぞ。我々のもとには開発者のヒサト・メンゲレがいる」

「そんなことは百も承知だよ。それでもあの機械を壊せば、とうぶんはアリスが狙われる理由がなくなるはずだ」

「杜撰な作戦だな。詰めが甘すぎる。どうやら君は指揮官には向いていないようだ。いずれにしろ、君のたてた二つの作戦にはそれぞれに大きな障害がある」


 言って、ムラトが笑む。


「まず、仮に君たちの説得にわたしが応じたとして、もはやわたしひとりの力では制御不能なほど《赤い鷹》は膨れあがっている。巨大化した組織は必然的に一枚岩ではなくなるものだが、そうなってしまった組織にとっては、頭などただの飾りに過ぎん。つまり、わたしに人質としての価値はけほどもないということだ。そして二つ目。あの機械、《マッド・ハッター》の破壊を《赤い鷹》へ要求したとして、それを実行するためには、、という点だ」


 二つ目の意味がよく分からずマクブライトを見やると、「おれに訊くな」と言わんばかりにしかめ面で首を横に振られた。


「簡単な話だ」ムラトが続ける。「《マッド・ハッター》は本部にある厳重堅固な武器庫に保管されているが、その扉には網膜認証式のロックがかけられている。そしてそれを開くことのできる唯一の人間が、今ここで君たちに監禁されている憐れな老人なのだよ」

「……なるほどね」


 いまの話を鵜呑みにするのならば、ムラトの説得を試みるのはほとんど無意味だということになる。かといって、あの《マッド・ハッター》とかいうふざけた名前の機械を破壊するためには、《赤い鷹》の本部へムラトともども出向かなければならないという非常に危険な行為を回避できない。


「どうします?」


 トキオが眉をひそめて言う。


「迷うまでもないよ。《赤い鷹」の本部へ行く」

「本気ですか?」

「本気だよ。あの映像を見てあたしが思ったのは、あの《マッド・ハッター》を使ったら、戦争や地震がどうのこうのの前に、アリスがただじゃすまないんじゃないかってこと」


 ハナコの言葉に、ムラトが笑い声を漏らす。


「なにがおかしいの?」

「君の言うとおり、《マッド・ハッター》を幾度か使用すれば、アリスの身はとても持たないそうだ。だが討議を重ねた結果、いちどのさえ実行できれば、あとは我々だけでクニオ・ヒグチの首をとることは可能だろうという結論に至った。そのためならば、一つの犠牲はやむなしということだ」

「……決定ね」

「危険を承知の上でか?」

には、もう慣れてる」


 呆れたように小さく首を振り、「……赤の他人が、なぜそこまでしてアリスを助けたがる?」 ムラトが怪訝な顔をして訊いた。


「アリスはもうあたしの仲間だ。いちどは命も助けられてるし、その借りもある。それに赤の他人なのはあんたの方だろ、そのネタだってとうに割れてるんだよ。アリスにはあんたに従う理由なんてどこにもないんだ」


「……君のような人間と話すのは、久しぶりだよ」言って、急に真剣な面持ちになるムラト。「よかろう。君たちの説得に応じる」


 あまりに唐突な承諾を、どう受け止めていいのか分からない。


「どう考えても罠としか思えないんだけど」


「罠など張らんさ。。娘の身を案じるのが親の務めだろう?」

「ネタは割れてるって言ったろ、あんたバカか?」


 いいかげん苛ついてきたハナコにいっしゅん笑みを浮かべたムラトが、「概ね正しかったことには感心させられたが、残念ながら君たちの推理にはいくつかの誤りがある」と言った。


「それもご丁寧に教えてくれるわけ?」

「そうだな、に教えてやろう。先ほども言ったとおり、わたしは君たちを信用することにしたからな。そこのきみ――」


 ムラトがトキオへと視線を移す。


「――すまないが、胸ポケットに入っている物を取りだしてくれ」


 トキオが緊張しながらもムラトの頼みに従って胸ポケットから取りだしたのは、古い銀色のロケットペンダントだった。


 それを受け取って開いて見てみると、そこには填められていた色褪せたセピア色の写真には、若かりし日のムラト、その妻であろう容姿端麗な女性、そして二人に挟まれるようにして、アリスに生き写しの少女が映っていた。


「これは?」

「わたしが、アリスの実の親であるという証拠だ」

「でも、アリスはあそこで――」

「それもまた事実だ。そこにいるアリスはアンバ山の秘密研究施設で造られた。


 度重なる残酷な真実に、アリスが小さくうめき声を漏らす。振り向いて目顔で「大丈夫か?」と訊ねると、青ざめながらもアリスは気丈に首を縦に振った。


「分からない、なんでわざわざあんたの娘を?」

「あそこで、一度は頓挫した《プロジェクト・アリス》を続行していたのだよ。もともとの《プロジェクト・アリス》が始動したのは《以降》の、《第二次プロジェクト・ピクシー》が凍結されてから間もなくだ。その当時の被験者がだった」

超能力者サイコキネシストでも造ろうとしてたってのか? だとしたら、タチの悪い絵空事だぜ」


 マクブライトが忌々しげに言う。


「そうではない。アリスにはそもそも超能力者――研究していた者たちは《干渉者エフェクター》と呼称していたらしいが、その素質があった。そして《プロジェクト・アリス》は、《干渉者》が有する《干渉力》を軍事利用するための計画だった。だが生憎と当初の計画は失敗し、その際の事故に巻き込まれたアリスは、憐れにも命を落とした。奴らは悪魔だよ」

「アリスを計画に利用させた時点で、あんたも十分に悪魔だと思うけどね」

「……アリスが十二歳の時、《干渉者》としての力の発露が見られるようになってな。力の制御ができず、日常生活にも支障を来すようになり、わたしと妻はほとほと困り果てていた。幸いにも――実際は幸いでもなんでもなかったわけだが――《プロジェクト・ピクシー》に関わっていたヒサト・メンゲレは脳医学の権威だったので、それを相談していたのだよ。相談から間もなく、アリスは治療のために軍の特別病棟に隔離されたのだが、それがわたしをたばかるための虚言だと知ったときには、すべてが後の祭りだった」

「それで、政府から去ったってわけ?」

「私怨だけがその理由ではないがな」

「あの、いいですか?」


 ずっと黙っていたトキオが恐る恐る口を開く。


「それだけが理由じゃないとしても、アリスのことが原因の一つとして《赤い鷹》をつくったんだとしたら、アリスを戦争の引き金として使うことに、ためらいとかはないんですか?」

「……見事に核心を衝くな。だが先にも言ったとおり、組織は今や一枚岩ではない。そして《赤い鷹》は、アリスの《干渉者》としての力を使用することを是とする者が圧倒的多数を占めている」

「それでも、クローンとはいえ、アリスはあなたの実の娘なんでしょう? あの機械にまたアリスを殺させる気ですか?」

「君たちの推理にはいくつかの誤りがあると言ったが、あと二つばかり重大な誤りを教えてやろう」


 トキオに応えるムラト。


「まず一つ目。君たちは《マッド・ハッター》が完成したからわたしがアリスを連れてこさせたのだと思っているのだろうが、それは違う」

「どういうこと?」


 ハナコが訊く。


「《マッド・ハッター》は未だ七割程度しか完成していない。それどころか、ヒサト・メンゲレが言うには、《マッド・ハッター》を我々のアジトの設備で完成させることはとうてい不可能らしい」

「じゃあ、なんで?」

「数ヶ月前から、連日に渡って、われわれ《赤い鷹》関連の報道がされているのを知っているかね?」

「あんたらのアジトが云々ってやつか」


 マクブライトが言う。


「そうだ。各地に散らばった《赤い鷹》のアジトが政府軍によって急襲され、そのおよそ半数がすでに壊滅させられている。政府軍の情報源は定かではないが、おそらくは身内に《裏切り者ユダ》がいるのだろう。いずれにしろ我々は抜き差しならない状態にある」

「ヤケクソで戦争を起こそうとしてるってわけ?」

「身も蓋もない言い方だが、まさしくそのとおりだよ。アリスの犠牲もやむをえんと言った理由がそれだ」


 アンバ山での推理とはズレが出てきているが、それでも《赤い鷹》が戦争を引き起こそうとしている事実になんら変わりはない。


「あんたらの事情はあんたらの事情だ。あたしには関係ない」

「同情を誘おうと考えたわけではないが、きみの言うとおり、わたしにはわたしの事情がある」


 ハナコを見据えるムラト。


「とにかく時間がない。それがわたしの事情だ」


 言って、ムラトがトキオに視線を移した。


「重ね重ねすまないが、内ポケットから取りだして欲しい物がある」


 その言にしたがってトキオが内ポケットから取りだした物は、中が三つに仕切られた半透明のピルケースで、それぞれに色の異なる五つの錠剤が入っていた。


「これは……」それを見てマクブライトが眉間にしわを寄せる。「デノパミンにジギタリス、それに利尿剤だな」


「ほう、詳しいのかね?」意外そうにして言うムラト。


「薬学をすこしばかりかじったことがある。これは心臓病の薬だろ?」

「そのとおりだ。あいにくと門外漢なので詳しくは分からんが、メンゲレ博士が言うには、わたしは、もうあまり長くはもたんらしい」


 深刻なことでもないように言うムラト。


「つまり、ヤケクソだってことかよ」

「いや、冷静だよ」


 ムラトがその先に続けた事実は、意外にもハナコたちと同様、ムラト――と、数人の賛同者たち――もまた、《マッド・ハッター》の破壊を目的として動いているというものだった。


「……そんな話が信じられるわけないだろ」

「そうか。だがわたしは君たちを信じることにした」ムラトが口の端を緩める。「君たちの説得はお粗末そのものだったが、なかなか胸に響いたのでね」


「……試されてたってわけか」マクブライトが嘆息する。


「いや、確認しただけだ。ドン・イェンロンに言われていたことが事実かどうかをね」

「オヤジに?」


 ハナコが訊く。


「ああ、彼は我々の計画の一部始終を知りながら協力してくれている。だが、『ハナコ・プランバーゴがその作戦の全容を知れば必ず首を突っこんでくる』という理由で君にはその事実の一切を伏せていたそうだ。つまり、アリスを引き取ったのち、なにも知らない君たちにはすぐに帰ってもらう予定だったのだよ。任務を忠実にこなすだけならば、この依頼は危険なものではないからな」


 あの時、アンバ山で真実を教えられたドンが全く動じていなかった理由が、やっと理解できた。


 そして、ドンが今回の依頼をハナコに任せた理由も。


「まあ、彼にとってもわたしにとっても、君たちがアンバ山へ辿り着くとは思ってもみなかったのは事実だ。ドン・イェンロンは言ったよ、『真実を知ったうちの跳ねっ返りは、アリスをそのままにして帰ることはないでしょう。だから、あなたの目でハナコ・プランバーゴを見極めてほしい』とな。それで、真実を知った君たちの意思を確認させてもらうため、わたしもともに引き渡しの場所へとやってきたのだ」


 すべて、ドンとムラトの掌の上だったってことか。


「……それで、あたしたちにも協力しろってわけ?」

「いや、協力は不要だ。手はずはすべて我々で整えてある。わたしを解放したのちに君たちが選ぶことができる行動は二つに一つだ。即ち、この場を立ち去り自由の身を謳歌するか、わたしとともに本部へ赴き、《マッド・ハッター》破壊の見届け人になるか。さあ、どうする?」


 考えるまでもない。


「決まってるだろ、《赤い鷹》の本部へ行く」


 ハナコの決意に、ムラトが笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る