45:引き渡し

「なあ、お前なら今際いまわきわに何を見ると思う?」


 言って、マクブライトが最後の煙草に火をつけた。


 山の麓の《リバーサイドQ》で調達したネズミ色のオフロード車のボンネットに腰掛けて頬杖をついていたハナコは、「また始まったか」とマクブライトの無駄話に眉をひそめ、その脇に置いてある、提げ紐がほどけた笑い袋を鳴らした。


「走馬燈ってやつ?」

「正確には《脳裡を走馬燈のように駆け巡る人生の思い出》だ。走馬燈ってのは灯籠を使って影絵の馬が走っているように見せるアニメーションの元祖みたいなもんだよ。どうだ、何を見ると思う?」

「さあね、考えたこともないよ。死ぬときに分かるだろ」

「未来を想像できるのが、人間の特権だぜ?」

「走馬燈なら過去だろ、未来じゃない」

「なら過去を思い出せ」

「ヤダよ、思い出したくもないね」


 言って、荒野の地平線を双眼鏡で見る。

 まだ車の影さえ見当たらない。


「つまらん奴だな。《赤い鷹》が来るまでの暇つぶしじゃねえか」

「もっと面白い話なら、付き合ってやってもいいけどね」

「そうだな。じゃあ、最もネガティブな動物はなんだと思う?」

「どういう意味だよ?」

「印象の話だ。たとえば、猫は間違いなくポジティブだ。奴らは高貴の代名詞のような動物だからな。媚びるということを知らん」

「すぐ足にまとわりついてきて餌をねだるじゃないか。あれは媚びているうちに入らないわけ?」

「シッポ振って舌を出す犬とは、見栄えが違うだろうが」

「なんだそれ、単なる好き嫌いの話じゃないか」

「まあ、どっちでもいいさ。お前はなんだと思う?」

「そうだね……クジラじゃないか?」

「クジラ? なぜそう思う?」

「クジラは哺乳類のくせに地上から逃げ出したんだろ。もともとの祖先があんなに大きかったかは知らないけど、それでも大きかったはずなのにさ。シャチやイルカとは事情が違うような気がする。クジラはきっと、地上で生きてくのが怖くて仕方がなかったんだよ」

「なるほどな。だが、クジラはむしろ、地上よりも遙かに可能性に満ちた雄大なる大海原へ乗り出した、とても勇敢な動物だとおれは思うがな。ネガティブどころか超がつくほどのポジティブじゃないか?」

「物は言いようだね。じゃあ、あんたはなんだと思うんだ? 言っとくけど、“人間”なんて陳腐な答えだったら、この話は終わりだからね」

「言われなくても分かってる」紫煙を吐き出すマクブライト。「答えはリスだな、間違いない」

「なんで?」


 訊いて再び双眼鏡を覗くと、地平線に舞い上がる土煙が見えた。


「リスは――」

「来たみたいだよ」


 遮って言うと、マクブライトは話の腰を折られたことに対して不満の鼻息を漏らし、肩に掛けていたアサルトライフルを銃口を下げたままにして両手で携えた。それを確認して振り返り、車内に視線を移すと、後部座席のトキオと、髪を三つ編みにしたアリスが共に頷いて息を呑む。


 それから五分後、やって来た車がハナコたちから十メートルほど距離をあけて停車し、中から銃を携えた四人の軍服と、アタッシュケースを左手に提げる白髪を刈り上げた長身痩躯の老人が現れた。


 いつもテレビで観ていた《悪漢》としてのたくましさがあまり感じられず、すこし戸惑う。長年にわたる不毛な戦いに疲れ切っているのだろうかと、いらない邪推さえしてしまう。


 だが、それでもやはりさすがと言うべきかムラト・ヒエダは威厳を放っていた。


「随分と遅かったな」


 抑揚のない低い声で言ったムラトが、顔を綻ばせることもなくハナコたちの後ろへ視線を向け、アリスを確認する。


「寄り道ばっかりだったもんで」

「わたしには関係ない」


 ニコリともしないムラトに、ペースを崩される。


「約束の金はここにある。アリスを引き渡してもらおう」

「……分かった」


 目で合図を送ると、トキオがアリスの手をとって車から出てきた。傍らまで来たアリスをちらと見やると、緊張からか額にじっとりと汗を滲ませていた。


 昨日のアリスの決断を思い出す。


 それが本当に正しい選択なのかどうかだいぶ迷ったが、当の本人の希望ならば従うのが筋なのだろう。


「あんたらを信用していないわけじゃないけど、ちょうど真ん中で引き渡しをしたい。あたしがアリスを連れて行く。そっちは誰でもいい。それで構わない?」


 訊くと、ムラトは無言のまま頷き、軍服の一人にアタッシュケースを手渡した。


 アタッシュケースを重たそうに両手で抱えた軍服が向かってくるのを確認し、ムラトたちに見えるようにしてボンネットに拳銃と警棒を置いたハナコは、アリスの手をひいて中間地点へと向かってゆっくりと歩を進めた。


 軍服からアタッシュケースを受け取り、その予想以上の重たさにたまげそうになったのを気取られまいと取り澄ましながら開くと、中には一万サーク札の束が隙間なくぎっちりと詰め込まれていた。


 はじめて拝んだ大金を、偽札が混じっていないかどうか無作為に抜き取って気を落ちつかせながら確認する。


「……よし、大丈夫だな」


 閉じたアタッシュケースを抱えて立ち上がったハナコは、その間ずっと傍らで佇んでいたアリスへ一瞥をくれ、そのまま何も言わずに踵を返してオフロード車へと戻った。


 アタッシュケースをトキオに渡してホッと一息をついて見ると、車に乗せられようとしていたアリスが立ち止まり、ムラトに向かってなにか言いはじめたが、ここまでは聞こえない。


「本当にいいんですか?」その光景を眺めながらトキオが言う。

がアリスの選択なら、従うまでだよ。それに忘れるとこだったけど、あたしらは《運び屋》だ。とにかく、たったいま任務は遂行したんだ」

「アリスには酷な気もしますがねえ」

「それでもさ」


 アリスが首から何かをさげるジェスチャーをし、ハナコたちを指さした。ムラトも視線を寄越す。


「忘れ物を返してやれ」マクブライトが言う。


 ハナコはボンネットに置いてあった笑い袋を手に取り、敵意がないことを示すために両手を上げたままムラトたちのもとへ向かい、駄目押しとばかりにくるりと一回転した。


 武器の不所持を確認した軍服が銃口を下げる。


「それが、そんなに大事な物なのか?」ムラトが言う。


「まあ、そうだね」アリスにうしろを向かせ、紐を結びはじめるハナコ。「これは旅の思い出だからさ」

「髪型まで同じにして、どうやらだいぶ懐かれたようだな」

「この三つ編みには秘密があんの。知りたい?」

「いや。なんでもいいが、急いでくれ」

「分かってるよ」


 言いながら、それでも手間取るハナコ。


「すいませんね、ちょっとこういうの苦手なもんで」紐をほどき、また結びはじめるハナコ。「……ああ、そうだ。あんたみたいな有名人に会ったら、訊いてみたいことがあったんだった。?」

「なんの話だ?」

「あたしみたいな九番の《ゴミ漁り》でも、あんたがいっぱい色んな経験をしてきたことくらいは知ってる。それで、死ぬ間際になにを思い出すかとか考えたことあるかなって思ってさ」

「考えたこともない。それはだ」

「……あたしも、そう思うよ」

「質問の意図するところは分からんが、わたしは《ゴミ漁り》という言葉が好きではない。君も人間なら、最低限の矜持きょうじをもつべきだ」

「……もう一つ言いたいことがあるんだけど」

「早くしてもらおう」

「この仕事を終えたら、あたしは自由の身になれるの。っていうか、正確には、

「それは良かったな。祝儀でも欲しいのか?」

「ここからは、ってことさ!」


 ムラトたちの隙をつき、を引き抜いたハナコは、その切っ先をアリスの喉元に突き当てた。


 軍服たちが反射的に銃口をハナコに向けると、そのあいだに立っていたムラトが手振りで命令してすぐにそれを下げさせた。


「銃を捨てな。あいにくとあたしはまだ走馬燈を見たくないの」


 頷くムラトに従い、軍服たちが銃を地面に放り投げた。それを合図にトキオとマクブライトがやって来て銃を回収し、膝を突かせたムラトたちの手を後ろで縛りつけた。


が三つ編みの秘密か?」

「聞いとくべきだったね」


 笑むハナコ。


「出鱈目すぎて虚を突かれたよ。何が目的だ?」

「戦争を起こさせないため」

「ほう。わたしを殺す気か?」

「安心して。そういうつもりはないから」

「ならば、わたしを政府にでも売る気か? 自由を手に入れて、最初にすべきことがこれだとは思えんが」


 ため息をつくムラト。


「九番の連中が政府と関わりあいを持とうとするのは、大きな誤算だったな。いや、君が腐っているだけなのかな?」


 膝をついたままのムラトの言葉は、明らかな挑発だった。


「ナメるなよ、政府は関係な――」

「ネエさん、話はあとです」


 トキオに宥められる。


 足まで縛りつけた軍服たちを車に放り込んだマクブライトが、無線機のスイッチを入れ、作戦どおり《赤い鷹》との通信を開始する。


「――つうわけで、お前らのボスは誘拐させてもらった。要求は追って連絡する。とりあえず、お仲間を迎えに来てやりな」


 向こう側で喚き声のする無線機のスイッチを切り、ちゃっかり軍服の胸ポケットから煙草を拝借したマクブライトがハナコに向けて親指を立てた。


「あんたはあたしたちと一緒に来てもらう。立ちな」

「代表……」


 呼びかける軍服へ目をやることもなく「予定どおり、手はずを整えておけ」と、なんのトラブルもないように言ってムラトが立ち上がると、トキオとマクブライトがそれぞれ両脇に手を回した。


 そこでようやくハナコはバタフライナイフをアリスから離した。


「アリスも共犯とはな」

だよ。あんたの血を引いてるだけあるだろ?」


 ハナコの皮肉に、ムラトがついに無表情を崩して口の端を緩めた。その微笑は、ハナコたちがアリスの正体を知らないものだと思っての嘲りにも見える。


「行きましょう」


 トキオに促されオフロード車に戻り、助手席にアリス、後部座席へムラトを挟んでハナコとトキオが乗り込む。


「さて、吉と出るか凶と出るか」


 マクブライトが冗談めかし、車を発進させた。

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