44:説得

 それからどれくらい経ったかのは分からなかったが、アリスと共に少し微睡まどろんでいるところへ、トキオとマクブライトがようやく合流した。


 長いあいだ捜しまわっていたせいだろう、二人とも疲れ果てた顔をしている。


「いや、良かった、ほんとに」


 トキオが安堵して、深い息を漏らした。心なしか涙ぐんでいるようにさえ見える。


「言ったろ、こいつは簡単にくたばるタマじゃねえって」


 座り、煙草に火をつけたマクブライトが言う。


「ケガやなんかは大丈夫か?」

「なんとかね」

「そうか……それで、どうする気だ?」


 紫煙を吐くマクブライト。


「あんたは、どうしたほうがいいと思う?」

「おれにも決断は難しいが、アリスを引き渡すのには、反対だ」

「あたしももちろんそう思う。だけど引き渡さなかった場合は、どうすればいいの? このままアリスと一緒に逃亡生活? 〈446部隊〉と〈赤い鷹〉に追われながら? それどころか、あんたは聞かされていないかもしれないけど、オヤジだって確実に〈追跡者〉をあたしたちへ向けて放つことになる。ってことは、いつか見つかっちゃうってことじゃないか。逃げ場なんてどこにもないよ」

「確かにな。だがアリスを〈赤い鷹〉に引き渡しちまったら、確実に戦争が起きる。真実を知ってしまった今となっちゃ、もうすでに、って話になってるんじゃねえのか?」

「……八方塞がりってわけか」

「あの、ちょっといいですか?」


 トキオが言う。


「ほかの選択肢は本当にないんでしょうか? 例えばなんですけど、ムラト・ヒエダを説得するとか」

「それができれば苦労はないよ。相手はあの〈悪漢の中の悪漢〉なんだから」

「いや……悪くないな」


 うなずくマクブライト。


「説得をすることが? そういうの、得意なわけ?」

「そうじゃない。を変えればいいんだよ」


 言われていることの意味が分からず、眉間にシワを寄せるハナコ。


「……オヤジの説得は、今回ばかりは、さすがに無理でしょう」


 察しの良いトキオが言う。


 ――そういうことか。


「とにかく、ダメかもしれないけど、やってみるよ」


 ハナコはバックパックから黄色い携帯電話を取りだし、すぐにドンへと電話をかけた。


 十数回目の呼び出し音のあと、ドンにつながる。


『今どこにいる?』

「第一声が、それかよ」

『だいぶ遅れているからな。面倒くさいことに、再三再四にわたって〈赤い鷹〉から催促がきているんだ。それで、今どこにいる?』

「アンバ山」

『……これはまた随分とルートを外れているな。なにを目的としてそこへ寄ったのか分からんし、分かりたくもないが、そこは今日中に引き渡し場所にはたどり着ける範囲だな。一刻も早く向かえ』


 言って、ドンがあっさりと電話を切った。


 舌打ちをし、ふたたび電話を掛けると、


『なんだ、本当にホームシックにでもかかったのか?』


 ドンがぞんざいに言った。


「自分の話が終われば終わりかよ。たまにはあたしの話も聞いて」

『生憎とおれの耳は、お前のロクでもない話を聞くためについてないんでな』

「ロクな話じゃないかもしれないけど、聞かないと、あとでもっとロクじゃないことが起きるんだよ。とにかく、事情が変わったの。アリスを〈赤い鷹〉には渡せない」

『バカなことを。御託はいいからさっさと――』

「だから、最後まで話を聞いて――」


 ドンの言葉を遮り、ハナコはアンバ山で知った真実を、つたないながらもつまびらかに伝えた。


「――だから、アリスを引き渡したら戦争が起きるらしいんだ」

『そうか……話はそれだけか?』

「え……? ちゃんと話を聞いてた?」

『ああ、をな」


 ドンの態度が信じられない。


「戦争が起きるんだよ?」

『それがどうした? もし仮に、今回それを阻止したところで、いずれ戦争は起きる。遅いか早いかだけのちがいだ。言っておくが、この国の行く末とお前の仕事とは、まったくの無関係だ』


 電話越しに、深いため息が聞こえる。


『お前がどういう事情にどういった義侠心ぎきょうしんを抱いたのかは知らんし、知りたくもない。いいか、お前にできることは、さっさと仕事をすませ、とっとと報酬をもらい、そして大人しく自由の身を謳歌することだけだ』

「報酬の一億がそんなに欲しいってわけ? 戦争を経験したってのに、よくそんな考えでいられるね」

『……なぜ分からん? おれが経験したのは戦争じゃない、だ』

「だから言ってるんじゃないか!」

言っているんだ!』


 珍しく声を荒げるドン。


 気圧されてしばらく口をきけないでいると、電話越しにふたたびドンの深いため息が聞こえた。


『……とにかく、そういうことだ。お前たちがおれの管理下にある以上、この仕事は絶対だ。仕事のあとにお前がどういう行動をとろうが知ったことではないが、いまこの時点で裏切るようならば、出発の際にも言ったように、容赦なく《追跡者》を放つ。お前のような青二才が、おれの掌中しょうちゅうから逃れられるとは、夢にも思わんことだな』

「分かったよ」

『……ああ、ひとつお前らに伝えなければいけないことがあったな。引き渡し場所には業を煮やしたムラト・ヒエダ本人も来るそうだ。事を荒立てないよう、くれぐれも口の利き方にだけは注意しろ』

「分かってるよ……」


 ドンの最後の言葉を気もそぞろに聞き流して電話を切り、トキオとマクブライトに首を振ると、トキオが「やっぱり」とでも言いたげに空を振り仰いだ。


「ここまで頑固な人だったとは意外だな。先を見る目がある人だと思っていたが」


 マクブライトが言う。


「そういう人だよ、オヤジは」


 ため息をつき、ムラトが引き渡し場所に来ることを皆に伝えるハナコ。


「最後の望みは、そこでムラト・ヒエダを説得することだけかもしれないね」

「あそこまで膨れ上がった反乱軍の、頭目とは言え、一個人の意向で大局を変えられるかは知らんが、どちらにしろここは、ムラト・ヒエダのカリスマ性に賭けるしかないな」


 マクブライトにうなずき、アリスに目をやると、力強い眼差しで見つめられていた。


 散々に泣きはらしたあと、アリスは性格が変わったと思わざるをえないほど、りんとしている。


 なにを決意したのか、それは分からないが。


「あんたはどうしたい?」


 訊くと、しばらく逡巡し、


「わたしは――」


 アリスが、ゆっくりと口を開いた。

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