16:つまらない男

「――おれに言わせりゃ、すべてウンコなのさ」


 マクブライトが笑い、ハンドルを切って六番街を抜けた。


 街を出ると、未舗装の道とも呼べない道が続き、車が時化しけを走る船のように激しく揺れる。


「はあ、つまりどういうことですか?」


 トキオが呆け顔で訊く。


「なんの意味もない、ただの排泄物だってことだ」


 マクブライトがそれに応え、根本まで吸った煙草を窓から投げ捨てた――


 ――昨日、アリスを見つけたあと集合場所である、街はずれの外壁が黒くすすけた小汚いホテルに着くと、マクブライトが見るからにタフそうな、迷彩柄の八気筒はちきとうの四輪駆動車のボンネットの上で、きまり悪そうにして赤くなった頬を撫でていた。眉をひそめて目顔で何があったのかを訊くと、マクブライトは頬を張られるジェスチャーをして苦笑いを浮かべた。


 その日はトキオとマクブライト、ハナコとアリスの二組に別れて、それぞれの部屋で早々と床に就いた。となりのベッドに入ったアリスは、しばらくのあいだ笑い袋を嬉しそうにして鳴らしていたが、五分と経たないうちに子どもらしい静かな寝息をたてはじめた。


 それを聞きながら頭のうしろに手を組んで天井を眺めながら、ハナコは今日を振り返った。まだ二日目だというのに、とにかく色々なことが起こりすぎだ。果たしてこの調子で《赤い鷹》のもとまでたどり着けるのかといっしゅん不安になったが、胸に秘めた外の世界への憧れをもういちど噛みしめ、ハナコはゆっくりと目を閉じた。


◆◆◆


翌早朝、カーニバルの疲れで眠る享楽の街からこっそりと抜け出して、ホッと一息をつくと、煙草に火をつけたマクブライトが、なにかを思い出したかのように笑い声をあげた。


「なんだよ?」


 助手席のハナコは、いぶかって訊ねた。


「昨日、で行ったストリップバーで、頬を張られたことを思いだしてな」


 言って、マクブライトが頬をさする。


「まったく、散々ってのを絵に描いたような時間だったぜ」

「どうせ女のケツを触ったとか、そういうことだろ?」

「それがちがうんだよ。その店は、半裸の女が席について接待をしてくれるようなところでな。当然、オサワリなんて誰にもとがめられやしない」

「じゃあ、なんで引っぱたかれたんだよ?」

「おれの席についた、舞台女優を目指しているとかいう、化粧が濃い獅子鼻ししばなの胡散臭い女と話しこんじまってな。その女は『芸術や文学で世界は変えられる』なんて言いやがる、おれの一番ムカつくタイプの女だったってわけさ。今まで影響を受けた絵画や音楽や文学やらのことを延々とまくしたてやがってよ。さすがにおれもいい大人だから最初は黙って聞いてやっていたんだが、その女ときたらおれに『ところで、あなたはどんなものに影響をうけたの?』とか訊いてきやがったんだ。うけてねえよ、と。こちとら昔からそんなものにうつつを抜かしていられるような生活はしていなかったから、それを正直に言っってやったのよ。そしたら、その女なんて言いやがったと思う?」

「つまらない男?」


 言って、ハナコは、首からぶら下げるための革紐を縫いつけた笑い袋を、後部座席のアリスに放って渡した。


「まさにそのとおりだよ」


 憮然とするマクブライト。


「そいつとは気が合いそうね」

「お前と飲んだら、まちがいなく殴り合いになるぜ」

「いいや。きっと、あんたの悪口で大盛り上がりさ」


 言って、バックミラー越しに後部座席を見ると、アリスが嬉しそうにして笑い袋を首から下げている姿が目に入った。


 それを見ながら、「十二歳にしては子どもじみているな」とハナコは思う。世間一般的な認識は分からないが、十二歳の女なんてのは、すっかり大人のはずだ。少なくとも、九番ではそうならなくては生きていけない。きっとアリスは、あの檻の中で、時計の針は進みつづけるということすら知らずに育ってきたのだろう。


「おい、聞けよ」


 マクブライトが飽きずに話を続ける。


「それでな、その女に『おれはつまらんのかもしれんが、おれの知っている面白いヤツらは、人に向かって『つまらない』なんてことは言わない。知ってるか? 面白い物、立派な物しか有り難がらないヤツらのことを世間では俗物スノッブって言うんだぜ』って言い返してやったのよ。それがなぜか地雷だったみたいでな。ビビビッと、スサマジイビンタが炸裂よ」

「そういう手合いは、自分がだと思っていることが多いですからねえ」


 トキオが笑う。


「特別なヤツなんてどこにもいねえよ。なんで若者は、どいつもこいつも自己顕示欲っつう、クソの役にも立たない呪いにかかるんだろうな。それによ、芸術だ文学だってのは――」


 煙草を深く吸うマクブライト。


「――おれに言わせりゃ、すべてウンコなのさ」

「はあ、つまりどういうことですか?」

「なんの意味もない、ただの排泄物だってことだ」


 言って、マクブライトは根本まで吸いきった煙草を窓から放り捨てた。


「結局、絵でも音楽でも文学でもよ、創作物ってやつは、所詮は赤の他人が考えたり感じたりしたことを、もっともらしく表現しているだけの代物なんだ。平たく言えば、ゴテゴテとわけの分からない物で飾りつけられた自分の臭くてしょうがないウンコを、他人の鼻の前につきつけて『どう思う?』って訊いているのと変わらねえよ」

「平たくというより、むしろ極論でしょう? おれもそんなもので世界が変えられるとは思っちゃいませんが、それでも個人のレベルでは、なにがしかの影響を与えられるでしょうよ。それでその人の人生が少しでもいい方向に向かえば、じゅうぶんおんの字だと思いますがねえ」

「どっちでもいいし、だからおれは、めんどくさい女が嫌いなんだ」

「年甲斐もなくチャコに惚れてるくせに?」


 ハナコが鼻で笑う。


「チャコちゃんはめんどくさくないぞ。お前には分からんのか、あの娘の目に宿る知性の光を」

「あんた、ほんとに女を見る目がないな。チャコはいい女だとは思うけど、あたしが知るかぎり、だよ」

「だからいいんだよ」

「支離滅裂だね。さっきと言ってることがちがうぞ」

「恋は盲目、あばたもえくぼだろうが」


 言ってマクブライトが馬鹿笑いをし、アリスが無邪気に鳴らした笑い袋の高笑いと不快なハーモニーを奏でた。


「まあ、あんたの下らない与太話はどうでもいいよ。つぎは五番へ向かうの?」

「ああ、一応な。国道をまっすぐに行ったほうが早い。お前がバーで、再三バカみたいに見たい見たいと騒いでいた、《薔薇の迷宮ローズ・ラビリンス》にもついに訪れることができるぜ」


 農業地帯である五番街では生花栽培も行われており、そこの観光を目的として訪れる、二番以上の街に住む貴族様たちも多いと聞く。


『不思議の国のアリス』への憧れがいまだぬぐい去れないハナコは、折に触れて、五番街で一番の景勝地であり、そしてまた八年前に五番街一帯を襲った《大震災》の復興の象徴とも言われる《薔薇の迷宮》を訪れてみたいと思っていた。


 だが今回そとに出たのはあくまでも仕事のためで、生憎なことに、その仕事にはタイムリミットがある。


 あまり頭の良いほうではないという自覚はあるが、それでもピクニック気分でお花畑の観光をしている場合でないことくらいは、さすがに分かる。


「五番はすぐに抜けよう。そんなところを見ているヒマはない」

「お前、仕事に対してはマジメだな」

「今回の仕事は特にマジメにやらなけりゃいけないんだよ。なんせ、コレが終われば、あたしは自由の身だからな。そうなったら、《薔薇の迷宮》にも、行きたいときにいつでも行けるしね」

「自由になったら、何をするつもりだ?」

「そうだねえ――」


 鎖を解かれたあとの夢を語り出そうとしたその時、背後から爆発音が轟いて車が大きく揺れ、ハナコはフロントガラスにしこたま額を打ちつけた。


 眼前で火花のごとくきらめく無数の星にくらくらとしながら振り向くと、遠くに赤い土煙をたてながら車へと近づいてくる五台のデザートバギーがリアガラス越しに見えた。


「なんだアイツらは?」


 額をおさえながら訊くハナコ。


「……ゲイです」


 双眼鏡でデザートバギー群を注視するトキオが、見る見る間に青ざめていく。


「なんで奴が?」

「ゲイだって?」


 勘違いしたマクブライトが眉根を寄せて訊く。


「おれの昔馴染みです」


 言って、トキオはリアガラスを上に開き、アサルトライフルを構えた。

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