17:死なずのゲイ

「おいおい、なにする気だ?」


 慌てて、トキオを制止するマクブライト。


「下手なドンパチは避けて、逃げられるなら逃げたほうがいい」

「ヤツはマトモな人間じゃないんだ!」


 いつもとはちがう真剣なトキオの声音に気圧されて、マクブライトが口をつぐむ。


 その間にもデザートバギーはどんどんと近づいてきていて、双眼鏡からのぞかなくても相手の顔が分かる位置まで詰めていた。


 その中央を走る、車体が虎模様に塗りたくられた、悪趣味きわまりないデザートバギーの後部座席に座る、地獄的な笑みを浮かべたゲイが、クロスボウをおもむろに取りだし、紙が結びつけられた矢をつがえてそれをかまえた。


「トキオ、窓を閉め――」


 ハナコの言葉を遮るように空を裂く乾いた音が聞こえ、トキオが低く呻いた。


 見ると、その右肩にゲイが放った矢が突き刺さり、傷口からつたった真っ赤な血が、マーブル模様の矢羽根を濡らしながらしたたり落ちていた。


 そのそばに座るアリスが、こんな時だというのに、動じた様子も見せず無表情のままリアガラスを閉じ下ろす。


「トキオ!」


 慌て、矢を抜こうとするハナコ。


「待て!」


 マクブライトがハナコの肩を掴む。


「抜くな。血が一気に噴き出すぞ」

「でも――」


 言って再び視線をもどすと、トキオが矢に結びつけられていた紙をほどいて、うめき声をこらえながらそれを渡してきた。


 開くと、それはハナコとトキオ二人の顔写真が大きく印刷された指名手配書だった。ハナコの顔写真の上には赤い×印が描かれ、《KILL》という乱暴な文字が、その下に殴りつけるように書かれている。


「くそっ、もう出回ったか!」


 怒鳴り、マクブライトは左にハンドルを切って道をはずれ、地平線に陽炎のわく、赤い荒野へ進路を変えた。


「どうする気?」

「どうするもこうするもねえよ。手配書が外に出回ったんなら、五番の検問所で止められちまう。仕方ねえが、《ゆとり特区》を抜けるぞ」


 車の急カーブに対応しきれずに横転した二台のデザートバギーを残して、ゲイたちがしつこく追いかけてくる姿が未だ見える。


「ヤツらはどうするんだよ?」


 次の刹那、飛礫つぶてが強くぶつかるような音が車に響いた。


「くそ、ヤツら撃ってきてます!」

「慌てるな、防弾仕様だから、しばらくは大丈夫だ」


 マクブライトが言い、弾丸を避けるべく蛇行運転をはじめた。


『これで、心置きなくオンナを殺れるってもんだ』


 ゲイの言葉が響く。


 見ると、拡声器をかまえたゲイが、笑いながらトキオを見据えていた。


『ウチのボスと昵懇じっこんの仲なのかもしれんが、ドンとかいう老いぼれも、これで文句は言えないよなあ。政府への協力は、だ』


 拡声器を下ろしたゲイは、マシンガンを車に向かってかまえ、そのまま一切ためらうことなく発砲してきた。


「なんなんだアイツは、イカレてるのか?」

「だからそう言ったでしょう!」


 マクブライトに向かって声を裏返らせながら叫ぶトキオのそばで、寄り添うようにしてゲイたちを見つめているアリスは、未だに怖じ気づく様子すら見せない。


 ふたたび爆発音が聞こえ、車体の後部が一瞬もち上がった。天井に片手を突いてバランスを保っていたハナコは、車が地面に落ちる衝撃をなんとか耐えきり、足元に置いてあったバックパックから、ありったけの手榴弾を取りだした。


「おいおい、なにする気だ?」


 信じられないという顔でハナコを見るマクブライト。


「あたしは、銃としつこい男が大嫌いなんだよ!」


 ハナコはサンルーフガラスを開き、手だけを出して、今までのお返しとばかりに次から次へと手榴弾をデザートバギー目がけて放り投げていった。


 べらぼうな攻撃の甲斐もあって、爆発の衝撃で二台が吹き飛ばされたが、それでもゲイを乗せたデザートバギーだけが怯むこともなく車を追ってくる。


 拡声器をかまえかけ、それを落としたことに気がついたゲイは舌打ちをし、ハナコに向けて、親指で喉元を切り裂くジェスチャーをしながら口の端を歪め、そしてまた発砲しはじめた。飛礫があたるような音が再び車内に響き渡る。


「どうする?」

「心配するな、もうちょっとで止まる」

「あ、なんでだ?」


 マクブライトの余裕にイラついていると、言ったとおり、ウソのように音が止んだ。


「弾切れだよ」


 したり顔のマクブライトを横目に後方を見ると、弾丸の切れた銃を放り投げたゲイがなにやら操縦手に耳打ちをしていた。操縦手はその内容に驚愕したのか、もげてしまいそうなほど強く頭を振る。


 ゲイがため息をついて、懐から取りだしたアイスピックを逆手にかまえ、操縦手の首へと突き刺す。鮮血を吹き上げる首筋をおさえながら操縦手がデザートバギーから転がり落ち、ゲイは慌てる様子もなく運転を引き継いだ。


 そして、スピードを上げたデザートバギーが、猛獣の唸り声のような音を立てながら車を目がけて突進してきた。


「心中する気か?」


 トキオの叫びとともにデザートバギーが後方から衝突し、その衝撃で体勢を崩したハナコは、助手席にふたたび額を打ちつけた。


 マクブライトの操縦でなんとか車は体勢を整え、後方にはボロ雑巾のように大破したデザートバギーが見えた。


「消えた……」


 鼻を強打したトキオが、涙目で言う。


「この車はちょっとやそっとじゃ、壊れない仕様になってるんだ。あの野郎も――」


 したり顔で言うマクブライトの言葉を遮るように、天井に何かがぶち当たる鈍い音が響いた。


「嘘だろ……」


 天井を見上げ、絶句するトキオ。


 つられて見上げると、視線の先には、サンルーフガラスにへばりつくゲイの姿があった。


 額でも切ったのか、顔中を血だらけにしながら笑うさまは、まるで赤鬼のごとき形相になっている。ゲイは唖然とするハナコたちを舌なめずりしながら見回し、ガラスに額を何度も叩きつけ始めた。


「くそっ!」


 動揺を隠せないトキオが、ベルトから抜き出した拳銃をゲイへと向ける。


「やめろ。あれも防弾ガラスだ。跳弾でおれらがケガするどころか、こんな狭いとこでぶっ放されたら、全員の鼓膜が破れちまう。みんな、どこかへ掴まれ!」


 マクブライトの言葉で、ハナコはドアにつけられたサイドバーに腕を回し、未だ諦めることなく額を叩きつけ続けるゲイを見上げた。正気を失っているのか、ゲイはほとんど白目のようになり、愉快そうに口をさらに大きく開け、ゾッとするほどの笑い声を上げている。


「やるぞ!」


 マクブライトが叫び、大きなブレーキ音をあげて車が急停止した。


 突然の衝撃でハナコは三度みたび額をどこかへ打ちつけ、それでもなんとか気を保ってサンルーフガラスを見上げると、そこに狂乱のゲイの姿は見当たらなかった。


「前だよ」


 ハンドルを握ったまま唖然とするマクブライトが言う。


 見ると、フロントガラス越しに、赤い砂礫されきの上に大の字になったゲイの姿が見えた。


「死んだか?」


 誰にともなく呟くと、トキオが


「ヤツは、ちょっとやそっとのことじゃ死にませんよ」


 と力なく、諦めたように応えた。


「ハナコ、確かめるか?」

「……いや、やめとこう」


 何度も打ちつけたせいで早くも赤く腫れ上がりかけている額をさすり、ハナコはマクブライトに首を振って、ふたたびゲイを見た。


 そして――


「嘘だろ……」


 ――眼前の光景に慄然りつぜんとするハナコ。


 ゲイが立ち上がり、砂や血にまみれたボロ雑巾のような格好にはおかまいなしで、スーツの下に装着したガンホルスターから骨董品のようなリボルバー式の拳銃を抜き取り、助手席のハナコに照準を定めていた。


 右膝のあたりの生地は破れ、そこから、ズタズタになった肉や、外へと突き出した鋭利な骨が見える。


 痛々しい――なのに、ゲイは笑っている。


「……まさか、あいつ不死身だなんていうんじゃないだろうね?」

「奴は、六番で《死なずのゲイゲイ・ザ・ノスフェラトゥ》という通り名を持っている男なんです。どんな大怪我を負っても、奴は止まらない」

「でも本当に死なないわけじゃないだろ?」

「奴は――」


 トキオの声を遮り、フロントガラスを銃弾が襲う。


 幸いにしてリボルバーに込められた銃弾には、防弾ガラスを突き破るほどの威力はないようだったが、ゲイはそれを意に介さず、再び撃鉄を下ろした。


 そして車へと近づこうと歩き出したが、折れた右足のせいでまるで失敗作のロボットみたいな、おぼつかない歩き方になっている。一歩ふみだすごとに裂けた右膝から血が噴き出し、見ているだけで否が応でも戦慄を誘う。


「――奴は、先天性の無痛症なんです」

「痛みを感じないってわけ?」

「ええ、だから人に痛みを与えることを、無上の喜びにしてる」


 ふたたび、フロントガラスに銃弾が当たる。


 この男は、危険だ。


 今さらながらにゲイの底知れぬ執念を感じ取り、背筋を冷たいものが這い上がる。


 それほどまでにトキオへ執着する理由は分からないが、マトモという範疇はんちゅうを大きく超えすぎている。地獄の九番でさえ、ここまでの狂気をまとった者に出会ったことはなかった。


「おい、うしろからも来てるぞ! わざわざ相手をしてやることはねえが、どうする?」


 振り返ると、最初に横転したうち、被害の少なかった二台のデザートバギーが迫ってきていた。


「逃げるぞ」


 ハナコが言うと、マクブライトは無言でうなずいて車を発進させ、血まみれのまま笑うゲイをかすめるように通り過ぎて、荒野を走り出した。

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