7:二組の侵入者

「ご協力を願いたい」


 言って、若い三白眼の金髪オールバックが、丸い銀縁眼鏡を中指で押し上げた。そのとなりに立つのは赤毛の巨漢。右頬の大きな古傷による引きつれのせいか、常にほくそ笑んでいるように見える。両者ともに、既製品の安手のスーツを身にまとっていた。


「……まずは、名乗るのが筋だろう」


 デスクチェアに座るドンが、眉ひとつ動かさずに応えた。


「失礼しました。わたしはネロ・シュナイダー少佐。そして、これはニコラス・トンプソン中尉です。われわれは政府軍の者です」

「政府軍が、こんな老いぼれになんの用かな?」

「あなたの耳にもすでに届いているとは思いますが、七時間前、《面伏せの塔》の60階フロアにて、大量殺人および誘拐事件が発生しました。あいにくと監視カメラが故障中のため、映像から確認はとれなかったのですが、犯行時刻、あなたに雇われている男女二人組の運び屋、ハナコ・プランバーゴおよびトキオ・ユーノスが現場に居合わせていたという、民警からの情報が入っています。二人組は、異変に気がついてフロアに駆けつけた警備員数名に、肋骨損傷ろっこつそんしょう顎関節脱臼がくかんせつだっきゅうなどの重軽傷を負わせ、6015号室にいた少女とともに、そのまま行方をくらませています。わたしたちは、ハナコ・プランバーゴ、トキオ・ユーノス、そして監視カメラシステムの破壊に関わったとされている、レーダーマッキーも合わせた以上の三名を、事件の重要参考人として追っています。居所に心当たりはありませんか?」

「分からんな。?」

「……わたしが隊長をつとめる部隊も、くわしくは言えませんが、《面伏せの塔》で任務遂行中でしてね。十人もの犠牲を出しているんですよ」

「気の毒だとは思うが、おれはなにも知らん」

「隠し立てしても、なんの得にもなりませんよ」

「少佐、おれが吐かせましょうか?」


 トンプソンが、愉快そうに口の端を歪めながらスーツの懐に手を伸ばす。

 その動きに、ドンのうしろに立つ、長髪を束ね下ろした双子の黒スーツが、かすかに反応した。


「やめておけ。敵に回すとやっかいな男だ」


 ネロが、トンプソンを視線でいさめる。


「思慮の足らない男が副隊長とは、どうやら大した部隊ではないようだな」


 ドンが挑発するように言って、口の端を上げる。


「少佐をナメるなよ、爺さん。それにおれは副隊長代理だ」

「ふたつ、聞いてもいいかな?」


 トンプソンを無視してドンが言う。


「可能な範囲でなら、答えましょう」


 うなずくネロ。


「その安手のスーツで、所属部隊を隠している気になっているのかも知らんが、君の目には幾度も死線をくぐり抜けてきたことを窺わせる鋭い光がある。大方、そこらの正規部隊ではなく、特殊部隊の者なのだろうが、そんなやからたちがこそこそとツラブセで何をやっていた? それに、君たちが捜しているという、運び屋に連れ去られた行方知れずの少女とは、それほどまでの重要人物なのかね?」

「勘をもとにした脆弱ぜいじゃくな推理で素性を探られるとは、わたしもナメられたものですね。残念ながら、その二つの質問は、答えられる範囲にはありません」

「だろうな。そして生憎と、こちらも君たちに教えることはない」


 ドンの言葉に、鋭い視線を向けるネロ。


「さて、お引き取り願おうか」


 怯むこともなくドンが言う。


「……忠告しておきますが、今すぐに、あなたを重要参考人の一人として連行することも可能なんですよ。現在われわれは民警の協力を要請済みで、九番街の各検問所には、部下をすでに配備しています。あとは九番街をしらみ潰しに当たれば、そう時間もかからずに、三人を見つけることになるでしょう。そのときに、彼らとあなたとの関係が発覚すれば、次にわたしは、ここへ来ることになりますよ」

「それは楽しみだ。健闘を祈っているよ、


 ドンの皮肉にも冷徹な表情を変えることなく、ネロはトンプソンを連れ立ってバラック小屋を出ていった。


「……やれやれ、慇懃無礼いんぎんぶれいな男たちだ。おい、もういいぞ」


 言って、ドンは煙草に火をつけた。

 隣室から出てくるハナコとトキオ。


「話は聞いていたか?」

「ああ。なんで政府軍の奴らが?」

「事情を聞く。座れ」


 ハナコの質問を無視し、ドンが重く命令する。

 渋々とソファに座ると、二人を挟むようにして、無表情のまま双子が腰を下ろした。


 双子の名は、キン・ドゥとギン・ドゥ。


 ドンがイェンロンファミリーの頭目だったころから、その護衛をしていた二人で、ドンがファミリーを離れる際に「忠臣は二君に仕えず」と、ともに組織を抜けてついてきた、忠義にあつい男たちである。ハナコは、この寡黙な双子の声を、ほとんど聞いたことがなかった。なにごとにも動じず、ドンが運び屋チームの中でも特に信頼を寄せているこの《双子》は、運び屋仕事のほかに《用心棒》も生業としていて、引く手あまたらしい。


 ハナコたちを挟んだ双子は、今日も、未だに一言も発していない。


「まず、どうしてお前たちは、警備員の制服を着ているんだ? それにここへやって来たときは、ずぶ濡れだったしな」

「とにかく脱出しなきゃって色々とやっていたら、こんな感じになっちまったんだよ。これでも大変だったんだからな。スプリンクラーまで回っちまうし」


 憮然ぶぜんとして答えると、ドンは呆れたと言わんばかりに、かぶりを振った。


「逃げずに事情を説明しようとは思わなかったのか? 容疑者になっているんだぞ。しかも警備員にケガまで負わせたそうじゃないか」

「あたしはバカだから、体が勝手に動いちゃったんだよ。あの娘をツラブセに置いていくのは、なんかマズイような気がしてね」

「まったく、いつもどおりの無鉄砲さだな。だが――」


不味そうに紫煙を吐くドン。


「――今回ばかりは正解だったようだ」

「どういうこと?」

「そのままツラブセに置いていたら、あの少女は政府軍のヤツらにさらわれていただろう」


 言われ、ハナコは隣室のベッドに寝かされている少女を思った。


「たまには教えてよ、全てをさ」

「……そうだな。まず結論から言うと、危険ではあるが、今回の依頼は引き受けることにした」

「事なかれ主義のオヤジにしては珍しいね。そんなに報酬がいいわけ?」

「ああ、ツラブセでのトラブルのことを考えると、あまりにもリスクが高いんで断ろうと思っていたんだが、お前らがここへ辿り着く二時間前に、依頼主から連絡があってな。そこで、当初の五千万サークを上回る報酬を提示された」


 金額に息をのむトキオ。しかし双子は無表情のまま。


「当初はってことは、今は?」

「倍の一億だ」


 金額にトキオがツバを飲み込んだ。だが双子は微動だにしない。


「そんな金額って…… いったい誰に引き渡そうっての?」

「《赤い鷹》だ」


 言って、ドンはゆっくりと紫煙を吐き出した。


「……見損なったよ」


 落胆し、ハナコは、ソファの背もたれに深く身を沈めた。


 十九年前、クニオ・ヒグチの独裁政治に異を唱える者たちにより組織された、反乱軍――《赤い鷹》――は、政府と幾度も武力衝突を繰り返しながら、いまだ地下に潜伏して活動を続けている。


 五年前に勃発した《血の八月》は、その当時、九番に潜伏していた《赤い鷹》が、ツラブセの英雄たちの抹殺計画を実行したことにより引き起こされた武力衝突であると、政府の公式発表がなされている。


 計画阻止のために進軍した政府軍と《赤い鷹》の武力衝突により、九番は阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図に変わり、ハナコは母を失い、ドンは長女と左足の自由を奪われた。


 ハナコにとって《赤い鷹》は憎むべき仇敵きゅうてきであり、直接的な関係がないにも関わらず、最も被害を出した九番の住民たちにとっても、それは同様だった。


 同様のはず――だった。


 ハナコと同じく、《血の八月》によって、身の回りのあらゆるモノを無慈悲にも奪われたドンが、そもそもの原因を作り出した《赤い鷹》と、仕事上とはいえ関係を持っていたという事実に、ハナコは動揺を隠せなかった。


「そうねるな。依頼主のムラト・ヒエダとは昔からの顔なじみでいくつか借りもあるんだよ」

「ムラト・ヒエダって…… 副総統ですか?」


 トキオが、額の汗を拭って言う。

 その大きな名前に、鉄面皮の双子までもが、そろって右の眉尻を吊り上げた。


副総統だ」


 《クニオ共和国》の元副総統にして、《赤い鷹》のリーダー、ムラト・ヒエダ。


 かつての独立戦争において、最も武功を上げた、まさしく英雄の中の英雄であり、《以降》では、偉大なる総統クニオ・ヒグチ様の右腕として、戦争で培った辣腕らつわんをふるい、戦後復興および新国家建造に最も深く関わった傑物けつぶつでもある。


 その後、詳細な理由は明らかにされてはいないが、新政府樹立より二十一年後にクニオ・ヒグチとたもとを分かち、反乱軍、《赤い鷹》を組織。


 現在では、国民から、忌避きひ畏怖いふや憎悪などのあらゆる穏やかではない感情をもってして、《悪漢の中の悪漢》と呼ばれている。


「リーダー直々の依頼ってわけね。で、肝心なところをまだ聞いてないよ。あの娘は、なんなの?」

「ムラトの娘だ。ツラブセにかくまわれたのは、約四年前だそうだ」

ってことは、まさか知らなかったわけ?」

「ああ。おれがファミリーを引退し、《朔日の六傑会》を退会したあとの話だから、今回の依頼を受けるまで、少女の存在はつゆほども知らなかったよ。ツラブセが息子の管理下ならば情報が降りてきたのかもしらんが、あいにくと、あそこの管理責任者はムゲン・モチダ

「……どっちにしろ、四年も匿われていたムラト・ヒエダの娘を、今ごろになってなぜか政府軍が狙ってるってわけか」

「そう簡単なハナシでもなさそうだがな」

「どういうこと?」


 煙草を灰皿に押しつけ、ドンは深いため息をついた。


「問題は、その事件をのが政府軍だったか否かだ。ヤツらが血眼になってまでお前らを追っているのが、すこし不自然な気がしてな」

「あの、それが少し…… いや、だいぶ変なんですよ」


 トキオが恐る恐る発言する。

 ドンが目顔で続けるよう促した。


「あのですね、あのとき、確かに6015号室から、黒い軍服の男たちが廊下に出てきました。おそらく彼らが政府軍の人らでしょう。だけどその前に、壁をぶち破って、黒いスパイスーツのヤツが突如として現れたんです」

「それも政府軍の者ではないのか?」

「いえ、そのあと、二名の軍服が奥のドアから現れたんですが、そいつら、そのスパイスーツに銃口を向けたんです」

「軍服とスパイスーツはべつか」

「ええ。つまり、

「そして明らかに敵対していたということか。恐らく、二組とも、狙いはあの娘だろうな」

「ええ。そのあと廊下は銃撃戦になったんですが、そのスパイスーツは見たこともない動きで、廊下にいた警備員たちを殺していきました。6015号室にも軍服やら黒服やらの死体が転がっていたので、それも多分、そいつがやったんでしょう。ムゲン様も殺されたし、殺されかけた」

「まるでバケモノだな」


 ドンが息を漏らす。


「ピクシーだよ」


 身を乗り出して、ハナコが言う。


「ピクシー? そう名乗ったのか?」

「ムゲンのおっさんがね、死ぬ前にそう言ってたんだ。口ぶりじゃ、どうやら知ってるヤツみたいだった」

「ふむ、ピクシー、か。いよいよ怪談じみてきたな。、の話だが」

「まさか、あたしたちを疑う気?」

「いや、お前たちはおれに嘘はつかんさ、そう仕込んできたからな。だが、あいにくと監視カメラの故障で、ピクシーとかいうバケモノの存在を証明する物的証拠がどこにもない。つまり、目下のところ、お前らが最有力の容疑者だということだ。それに政府軍だけならまだしも、ムゲンを殺されたことで、民警も躍起やっきになってお前らを追っているという情報もある。つまりだ、ほとぼりが冷めるまでのあいだ、お前たちにはここにいてもらうことになる」

「ちょっと待ってよ。じゃあ、あの娘もここにずっといさせるわけ? 依頼は引き受けたんでしょ?」

「はじめから言っているが、あの娘は双子に護送させる」


 立ち上がるハナコ。


「なんだ?」


 ドンの眼を見据えて、ハナコは言った――


「その依頼、にやらせてよ」


 ――トキオが驚き、口を金魚のようにパクパクとさせる。


「……あの娘に同情でもしたのか? お前らしくもない」

「そうじゃない。あたしの目的は報酬の一億だよ」


 その言葉に、鼻から先ほどよりも大きな息を漏らすドン。


「……なるほど、たしかに一億が入れば、その取り分の三割で、お前らの借金は完済できるな」

「完済できるどころかお釣りが来るだろ。それであたしはこの街を離れるつもり」

「正気か?」

「正気だよ。、ここにはもうウンザリしてるんだよ」

「ふむ……」


 うなずき、考え込むように顎髭あごひげをさするドン。


「少し考えさせてくれ。明日、答えを出す」


 その言葉に、トキオが諦めたようにため息を漏らした。

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