2:王女のおもてなし

「あら、いらっしゃい」


 扉の向こうでカップを持った少女が微笑んだ。

 見覚えがある。闘技場の観覧席で俺たちの戦いを見下ろしていた煌びやかなブロンドの髪だ。

 エリザベートだったっけ。拉致する相手だ。


「ずいぶん遅かったのね。それに酷い格好。湯浴みでもしてらしたら?」


 男数人プラスアルファが雪崩れ込んだというのに落ち着いた様子のエリザベートはカップを置いて背後に視線を流す。


「湯浴み……って風呂っ!?」

「わーい、お風呂~!」

「お風呂はいい」

「塔の上に風呂があるわきゃ……あるのっ!?」


 エリザベートの背後にある衝立の陰から湯気が立ち上っていた。

 いや、それよりももっと大事なものがそこにあった。壁際のベッドに半裸のローネが座っていた。


「ローネ!」

「あら、お風呂よりも私よりもお姉様がいいの? お姉様も綺麗にしたばかりですから好きに遊んでもいいのよ」


 エリザベートを拉致してローネを助けようと思っていた俺としては嬉しい誤算なんだが、上手く行きすぎて怖い。


「ローネちゃん、寝てるの?」

「驚いて口が利けないのよ。ほら、答えてあげて」

「……皆さんどうしたのですか?」


 ローネは俺たちの方を向いているが、焦点はどこか遠くに合わせているようで、気味の悪い人形のようだ。それ以前に言葉使いがおかしい。


「おい、これは?」

「魔法だな。意志を封じられている」


 ファミが魔王の声で囁き返す。


「ちょっと待て。魔法は封じられてるんじゃないのか?」

「神の魔法は別だ」

「都合がいい設定だな」

「神が作った設定だ。仕方あるまい」

「魔王のくせに従順なヤツだな。もっと反抗しろよ」

「やってもいいが、そうなると辺り一帯が破壊されるぞ。それくらい全力でやらねば女神の結界は破れぬ」

「それは勘弁して」


 物騒な提案を断っている間に、レジスタンスのおっさんたちはエリザベートに迫っていた。


「さあ、エリザベートさんよ、あんたの悪事もここまでだ」


 レンディンが腰のロープを手にしてエリザベートに詰め寄り、反対側からはゴウトが指をわきわきさせながらジリジリ近づく。何も知らないで見たら美女を拐かすエロオヤジだ。いや、間違ってはいないか。

 エリザベートは困ったように顔を伏せ、泣きそうな声で言う。


「お姉様、悪い男たちが私を掠おうとしてるわ。助けてくださらない?」

「わかった」


 ぼんやりと焦点の定まらない目でベッドに座っていたローネがいきなり動いた。

 俺の頭上を飛び越えておっさんふたりに接近すると襲いかかる。

 ゴウトは一撃を腹に食らって崩れ落ちた。レンディンはかろうじて反応できたけど、二撃目はかわせなかった。数瞬でふたりのおっさんは床に沈む。素手だったからよかっらものの、ローネが剣を手にしていたら命はなかっただろう。


「あら、もう形勢逆転? お姉様ったら素敵だわ。さすが下賤の血が入っただけのことはあるわね」

「ローネちゃん!?」

「無駄よ。お姉様にはあなたたちの声は届かないわ」


 ファミの声にもローネは反応しない。

 エリザベートはおかしくてたまらないという声を上げて笑った。


「助けに来たお姉様に殺される気分はどうかしら?」


 ローネは倒れたゴウトが持っていた短剣を拾い上げると、俺たちの方を振り返る。

 最後に見た時には俺を真っ直ぐに見ていた瞳は俺の方を向いているだけで、俺の姿なんて見ていなかった。


「ローネ、俺を見ろ!」

「無駄ですわ。お姉様は私の下僕。一生、私の意のままに動いてくださるのですから」


 気味悪い高笑いを放つエリザベート。

 その間にもローネは俺に向かってくる。

 勇者の鎧は使えない。魔王の魔法は使えない。勇者の力は――


「セイル!」

「動けん……」


 セイルというか勇者は顔を真っ赤にして唸っていた。恥ずかしがっているわけじゃなく、何かに動きを封じられて振りほどこうとしている。


「無駄だって言ったでしょう? 女神様から下賜された神器に逆らうことなど出来ませんわ。邪魔者は消えていただきます」


 エリザベートはカップを持った手を掲げて微笑んだ。赤い唇を避けそうなほど横に伸ばして、これ以上ないほどイヤらしく。

 その瞬間、光が俺たちを包み込んだ。

 ガンと羽根で殴られたような矛盾に満ちた表現が適当だろうか。

 痛くないのに衝撃だけはハンマーで殴りつけられて床に倒れる。痛くないのに吹っ飛ばされて壁に叩きつけられる。痛くないのに往復ビンタを100回くらい続ける。

 そんな感じ。

 エリザベートの勝ち誇った高笑いだけが聞こえる。

 ローネを取り戻すどころか、こんな見え透いた罠にかかって終わりなのか。

 まあ、ド田舎のガキにはお似合いの最期なのかもしれないけどな……。

 が、一向に死はやって来なかった。

 それどころか光がますます強くなって、体がなくなったような感覚にとらわれた。もうすでに死んでしまって魂だけになってるとか?

 ん? なんだ?

 不意に光が変化し、見覚えのない光景が見えた。

 見覚えのない奴らが俺に大声をかけてくる。

 喧嘩? いや、泣いてるのか?

 俺の視界には、ふたり。

 なんだ、この物凄いイケメンは?

 それと、もうひとりは暑苦しい筋肉男。

 しかし、なんだか懐かしいような気がする。

 ふたりに抱きかかえられている俺は笑っているのか?

 浮かび上がる光景が切り替わる。

 闇の中から触手が伸びてきて、イケメンになった?

 筋肉男が長剣で触手と戦っている?

 巨大な建物を後にして旅に出たのか? 教会か? これは誰かの見た光景か?

 光景は断続的に現れては消え、幾つものシーンを再現した後、不意に消えた。

 今のは……誰の記憶だ?

 俺の記憶のワケがない。まったく覚えがない。

 なんで、俺がそんな光景を見る?


 ――見つけた


 誰かの声が聞こえた。

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