ヴァレット&トワイライト

Laurel cLown

前編


 ――私立薄明はくめい女学院には、とある変わった制度があった。


「……くっ……はあ……はあ…………」


 真夜中の学生寮、その一室にて下着姿となった二人の少女が一つのベッドで身体を重ね合わせていた。

 一人は銀髪赤眼の少女、もう一人は黒髪碧眼の少女。

 銀髪少女は思わず口から吐き出されてしまう声を押し殺そうとして、左手で自らの口を押える。

 黒髪少女はそんな銀髪少女の様子を気にも留めず、馬乗りになって四肢を絡ませる。

 そして、黒髪少女は銀髪少女の白く柔らかな首筋に歯を突き立てていた。

 銀髪少女の首筋からは赤黒い液体が滲み出し、黒髪少女は一滴残らずそれを飲み込む。

 やがて、欲望を満たされた黒髪少女は唾液を含ませた舌で噛んだ跡を丁寧に舐めとる。


「んっ……あ、ああっ!」


 銀髪少女の背筋にゾクゾクとする感覚が走り、小柄な身体が僅かに震える。

 噛みつかれた痛みと温かな舌の感触が混濁して生まれた絶妙な悦楽を堪えることは出来なかったのである。


「……ふう。喉が潤っていくよ。生温くて、サラサラしていて、舌の上で蕩けていく君の命の味。これは私を甘美で高揚を抑えられない気分にさせてしまう」


 黒髪少女が恍惚とした様子で言い、銀髪少女を強く抱きしめる。


「…………あ、ありがとうございます、『お嬢様』」


 銀髪少女は両目に涙を浮かべて答えるが、その表情は充足していた。


 《主従契約制度(ヴァレットルール)》。

 私立薄明女学院に通う生徒は大きく二つの学科に分けられている。

 普通科と侍女科――普通科に所属する生徒には一人につき最低一人、侍女科に所属する生徒を自らの従者にする権利がある。

 この制度は元来完全なお嬢様学校だった薄明女学院に格安の学費で庶民の子女を受け入れる名目と普通科生徒が社会進出した際に役立つ指導者としての能力を育む目的で成立した。

 ――と、表向きはそう語られている。

 この学院にはもう一つ、裏の顔があった。


 それは普通科の生徒が「人間ではない」ということ。


 薄明女学院は人の世に紛れて生きる吸血鬼たちの学び舎。

 侍女科の生徒は乙女の生き血を好む吸血鬼のために食糧となる人間の少女たち。

 うら若き侍女たちは今宵も寝台の上で自身の命を自らの主に捧げるのだった。


         十 十 十


「それでは皆さん、整いましたら両手を合わせて糧となる命に感謝の意を示しましょう」


 翌朝、学生寮新月館しんげつかんの食堂に生徒たちが集まり、寮長の言葉に従って祈りを捧げた後に食事を始める。


日向ひなた、私のパンにバター塗ってくれるかな?」

「承知いたしました、色乃しきのお嬢様。ただ今ご用意いたします」


 銀髪赤眼の少女明日風日向あすかぜひなたは主人のロールパンを手に取り、ナイフで切り込みを入れてバターを丁寧に塗り込んでいく。

 黒髪碧眼の少女、月ノ宮色乃つきのみやしきのは日向の手からロールパンを受け取り、それを頬張って満足そうな微笑みを浮かべる。


「うん。いい感じ。私の好きなバターの分量が分かって来たね。偉いよ日向」

「ありがとうございます」

「こんなに美味しく出来ているんだし、君も食べなよ。ほら、あーん」


 色乃が手に持っていたロールパンを日向に差し出す。


「えっ……お嬢様から食事を分けていただけるのは嬉しいです。嬉しいのですが……」

「…………あ、ごめん。流石に私の食べかけは不味いか。うっかりしていたよ」

「い、いえ! 喜んでそのお恵みをいただきます!」


 日向は覚悟を決めて目の前に差し出されたロールパンを一口かじる。

 色乃は日向の食べる様子を見て更に嬉しそうな表情をする。


千景ちかげちゃん千景ちゃん! 私もあれやって欲しい! 私にもあれやって!」


 すると、机の向かい側に座っていた茶髪の生徒が隣に座る赤髪の生徒の肩を揺すって叫んだ。


「ちょっ、おまっ、うるせえ黙れ! それと揺するな! メシ零すだろ!」


 肩を揺さぶられた生徒はイラついた様子で持っていたロールパンを相手の口に捻じ込む。


「ふが、ふが……ごくんっ! うんまーい!」

「全く、朝食くらいは落ち着いて食べさせてくれよ。……おい色乃、お前が朝から変なもの見せるからアタシの従者がいらない知恵をつけるんだが」


 二人の生徒は主従関係であり、赤髪の生徒が主人、茶髪の生徒が従者だった。


「変なもの? 私は自分の従者に好意で食事を分けただけだよ? どこが変なのかな?」


 色乃は尋ねられたことに対してきょとんとした表情をする。


「いや変だろ! 主従とか関係なく! お前ら距離が近すぎるんだよ!」

「距離が近すぎる? それはいいことじゃないかな? だって私たちは主人と従者なのだから。日向もそう思わない? ……日向?」


 色乃が隣を振り向くと、日向は色乃に背を向けて両手で紅潮した顔を覆い隠していた。

 四人が騒がしくしていたためか、いつの間にか色乃たちは寮生全員の視線を集めていた。


「あらあら、あなたたち、仲が良いのは微笑ましいけれど、今は朝食の時間。それに私たちは共同生活をしているのだから、あまりはしたないことは駄目ですよ」


 寮長が四人の傍に来て、温和な口調で色乃たちを注意する。


「申し訳ありません、おおとりお姉様」

「……サーセン」


 二人の主人は大人しく寮長に頭を下げる。


「よろしい。さあ、他の皆さんもよそ見をしていないでちゃんと食事は済ませるのですよ。朝食は健康の基本。嫌いなものだから、ダイエット中だからとお残しはせず、きちんとした食事を心がければ私のように大きくなれるかもしれませんよ」


 寮長の発言を聞いた茶髪の生徒はさりげなく横取りした主人の分のロールパンを食べながら、寮長の胸元を凝視する。


「なるほど! つまり、鳳先輩はいっぱいご飯を食べたから、そんなにおっぱいがおっきくなったんですね!」


 その瞬間、食堂内の空気が凍り付いた。


          十 十 十


「馬鹿かお前は! なんでお前はああいうこと言っちゃうかな!? メシの席で空気ぶち壊してくれるなよ!」

「ええーっ!? 私はただ褒めただけなのに!」

「もうちょい言葉選べ! ここがお嬢様学校だってこと理解しろ!」


 朝食を済ませ、寮の玄関口から生徒たちが出ていく中、赤髪茶髪の主従が口論をしていた。

 二人の名は都千景みやこちかげ柚子祥子ゆずしょうこ

 赤髪の主人が千景、茶髪の従者が祥子である。


「だけどさー。おっぱいがおっきいことはいいことでしょ? ……あっ」


 祥子は自分と千景の胸を見比べて申し訳なさそうな表情になる。


「おい祥子、今何考えた?」

「いや~。相変わらず千景ちゃんは断崖絶壁だなあ、と」

「ぶっ殺す!」

「ええーっ!? 私はただ事実を言っただけなのに!」

「黙れホルスタイン女! お前のその下品な脂肪の塊をこの場でもぎ取ってやろうか!?」

「ぎゃあああああっ! 妖怪乳取りばあさんに襲われるううううっ!」

「誰が乳取りばあさんだ! アタシはまだJKだゴルァ!」

「そ、そうです! 私や千景様もまだ大きくなる可能性はあります! ……きっと」

「そうだそうだ! お前も言う通りだ……ってうわっ!?」


 千景は突如会話に割り込んできた人物の存在に気づいて驚く。


「……なんだ、日向か。驚かせるなよ。いつからそこにいたんだ?」

「えっ? メシの席で空気ぶち壊してくれるなよ~、の辺りからですけど」

「全然気づかなかった……」

「君たちの声は廊下まで聞こえていたよ。おかげで待ち合わせをしている時は見つけやすくて助かるね」

「色乃もいたのか。というか、それはアタシらの声がデカいって嫌味か?」

「そうじゃないよ。寧ろ、周りの雰囲気も明るくなるから、私は君たちのそういうところは好きだな」

「けっ、本当にお前は掴みどころのない奴だな」

「私もお二人のことは好きですよ! 確かに祥子ちゃんはグラビアアイドルみたいな凄さがあるけど、千景様も背が高いからモデルみたいで格好いいと思います! 私は胸が小さくて背も低いからスタイルのいいお二人がうらやましいです!」


 日向は四人の中では最も小柄で、身長の順番は小さい順に日向、千景、色乃、祥子となっていた。


「くうっ~! 色乃! 一日だけでいいから日向とウチの駄メイドを交換してくれ!」

「断固拒否だよ。日向は私だけの所有物。例え君でも渡す訳にはいかない」


 色乃はそう言って自分の物であることを主張するかのように日向の首に腕を回す。


「色乃お嬢様、間違いではないのですが、その言い方はどうかと……」

「ちょっとちょっと~! 千景ちゃん酷いよ~! 今まで散々私を弄んだくせに新しい女の子見つけたら簡単に捨てちゃうんだ~!」

「誤解を招く言い方すんな! お前は従者だ! 大人しくアタシに毎晩血を捧げていればいいんだよ!」

「ううっ、入学してから半年も付き合ってきたのにただの血液パックとしか思われていなかったなんて……衝撃の事実に涙が出てくるよ……」

「……お、おい。本当に泣いているのか?」

「ぐすっ、ぐすっ……」

「そ、その……悪かった。従者を交換したいなんて言ったことは謝るよ。お前はアタシにとって代わりのいないたった一人の親友だ。だから、どうか機嫌を直してくれ。お詫びといってはなんだけど、今日の昼メシ、アタシの分を少し分けてやるから」

「ぐすっ、ぐすっ、学食のうどん、イカ天かき揚げシャケお握り付きで」

「しょうがねえな。わかったよ」

「はーい! 言質いただきました! じゃあ、今日は昼ご飯第代全部千景ちゃん持ちね!」

「って、嘘泣きかよ! ぶっ殺す! アタシの謝罪返せ!」

「きゃあああああっ! 妖怪赤鬼借金取りだ! 逃げろおおおおっ!」

「待てコラ! 鬼は鬼でもアタシは吸血鬼だ! 捕まえて今夜は立てなくなるまで血を吸い取ってやる!」


 祥子と千景は鬼ごっこを始めて寮の玄関を飛び出していく。


「あっ、祥子ちゃん! 千景様! 私たちも行くので待っていてください!」


 日向は靴を履き替えて二人を追いかけようとする。

 しかし、寮の外に足を踏み出した瞬間、朝の日差しが日向の肌を突き刺した。


「痛っ――」


 日向は目や肌に強烈な痛みを感じて玄関先で膝を突く。


「日向!?」

「日向ちゃん!?」


 千景と祥子はかなり先を走っていたが、日向の異変に気づいて彼女に駆け寄る。

 だが、二人が戻る前に日向の身体を影が覆う。


「――もう目を開けても大丈夫だよ、日向」

「…………お、お嬢様?」


 日向が恐る恐る目を開くと、傍らには色乃が立っていた。

 姿勢を低くした色乃は日傘で照り付ける日差しから日向を隠す。


「さあ、立ちなさい。それまで私は君を太陽から守ってあげるから」

「あ、ありがとうございます。そして、申し訳ございません。不注意でした」

「構わないよ。秋になったとはいえ、今日はよく晴れている。油断してしまったのも無理はない」


 日向は色乃から差し出された手を取って立ち上がり、主に対して深々と頭を下げる。


「い、いえ、このような失態、敬愛する色乃お嬢様にお見せしてしまい、誠に恥ずかしく感じております。この失態は必ず今後の働きで挽回いたします」

「いや、君の体質を知っていながら不注意だったのは私の方だよ。念のため、少し顔を見せてもらうね」


 色乃は右手で日向の頬に触れ、彼女の赤い瞳と白い肌を確認する。


「目は大丈夫そうだけど、肌は少し赤くなってる……。日向、一度保健室で見てもらいましょう。それから、今日は欠席を取って安静にしていた方がいいよ。私も一緒に休むことにするから」

「そ、そんな! だ、駄目です! 私のせいでお嬢様が学校をお休みされるなんてあってはなりません!」

「おい平気か日向! いきなり倒れるからびっくりしたぞ!」

「うわああああん! 私がはしゃいでいたせいで日向ちゃんが死んじゃったああああっ!」


 千景と祥子が玄関先まで戻ってくる。


「あの……お二人も心配してくださってありがとうございます。それと私、生きてます」

「ったく、あまり驚かせるなよ。自分の体質なんだから出来るだけ自分の身は自分で守れよな。色乃がいなかったら真面目に危なかったんだぞ」

「……はい。お二人にもご迷惑をおかけしたことを深く申し訳なく思っております」

「そんな気にしなくっていいってー! うちの不良主と友達になってくれているだけでも私は日向ちゃんに感謝しているんだから! ほんと、うちの不良主が毎回毎回迷惑かけてごめんね~!」

「トラブルメーカーはお前だろこの駄メイド!」

「あひんっ!」


 千景が祥子の脳天に拳骨を喰らわせて、それによって舌を噛んだ祥子は呻き声を上げながら地面に蹲る。


「……ぷっ、あはは!」


 日向は千景と祥子のやり取りがツボに入って思わず笑い声を上げる。


「ひろいよひにゃひゃひゃん……」

「ご、ごめんなさい! 見ていたら面白くてつい……」

「ふん、もっと笑ってやれ日向。この駄メイドの良いところはこういう道化を演じられる点だけだからな!」

「日向、本当に心配いらない? 私から先生に言って君だけでも休ませてもらうことは出来るけど」

「大丈夫です! それに主人をお一人にするなど、侍女としてはあってならないことですから今日も一日、不束者な私ですが色乃お嬢様のお傍に仕えさせていただきます!」

「……そう。だったら今日もよろしくね、私の親愛なる従者さん」

「はい!」


 微笑みを浮かべる色乃の言葉に日向は満面の笑顔で答える。


「……あっ、お嬢様、少々お時間をください。確か鞄の中に自分用の日傘を入れていたはずです。いつまでもお嬢様に傘をさしていただく訳にはいきませんから」

「その必要はないよ。私の日傘のサイズなら、寄り添えば二人でも入れる」

「えっ……」


 色乃は日傘を日向に手渡し、日向と肩を擦り合わせる。


「これで何があっても君は私から離れられない」

「そ、そうですね……」


 日向は色乃から顔を背けて、日差しの影響とは別の意味で顔を真っ赤にする。


「ひゅーひゅー! 朝から熱いねー、お二人さん!」


 そうはやし立てた祥子は直後に千景からアイアンクローを喰らって沈黙するのだった。

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