episode 2

「……ネ。ウェネ、着いたわよ」


 頬を触られる感覚を覚えてゆっくり眼を開けると、夜の林とはうって変わって視界が明るい。こちらを見下ろしているフィカの顔が影になり、その向こうに橙色を帯びた太陽が見えた。

 背中を起こして辺りを見回してみれば、ウェネの座っていたのは磨き上げられた桃色の石でできた小洒落た噴水の縁であり、周囲には人々が秩序なく歩いたり立ち止まったりしていた。子供や自分達と同じ年頃の男女が多く、老人は少ない。


「ここ? フィカが標的の思念から見たのは?」

「ええ。間違いないと思うわ。この時代一般の建造物とはちょっと違うものがちらほらあるし」


 ウェネが起き上がるとフィカも立ち上がり、腰に手を当てて周りを見回した。噴水の周りには、色とりどりに飾り立てられた奇妙なものが沢山建っている。作り物の馬が棒にくっついて回転する円形の東屋は菜の花色の屋根を持つし、赤、青、水色、緑などの巨大なティーカップは人を乗せてごうごうと音を立てながら回っている。


「歴史書で見たことはあるわ。記憶に間違いなければ娯楽施設よ」

「ああ、僕も授業でやったな、そいえば。人間達が日常を忘れに来るんだっけ? で、標的はどこかな」


 移転魔法では標的の側に着くように設定したはずだから、そうそう遠くではないはずだ。ウェネはピアスを耳から外すと、飾りが下になるようそれを摘み、軽く指で叩いた。細長い紫水晶がふっと揺れ、二人の右斜め方向を指す。

 水晶の先には木製の長椅子があり、そこに一人の女性が座っていた。茶色の髪と目。間違いない。標的だ。


「転移魔法は得意なんだよね。あれ?」


 女性が立ち上がったと思うと、彼女の前方から右手を上げて男性が近づいてきた。女性も軽く会釈をする。


「おや、さっきフィカが読み取った恋人かな」

「バカね、何言ってるのよ。あれは恋人じゃないわね」

「え?」


 並んで話す二人の様子を見ていたフィカの呆れた声が続く。


「標的の女性、ものすごく緊張した感じ、わからない? 笑ってるけれど、恥ずかしそうだしどこか硬いわ。男性の方はそこまででもないけれど……ほら、歩き出したのに手も繋いでない」


 言われて注意してみると、確かにフィカの言う通りだった。標的は男性と並んで歩いているようにも見えるけれど、微妙に半歩ほど後ろにいる。さらに標的が不自然なほどに鞄の紐をぎゅっと握り締めているので、ウェネはその中を透視した。


「あ、手紙」


 鞄に透けて、折り目ひとつない封筒が見えた。薄黄色の長方形。


「まだ恋人同士じゃない、ね」

「あ、そっかぁ」


 思わせぶりなフィカの流し目を受けて、ウェネはぽん、と手を打つ古風な仕草をしてから嬉々として話し出す。


「恋文じゃん? もしかして、それ渡せなくて失恋とか!?」

「え、でも二人でこう遊びに来てるなら今日一回失敗したくらいで死んだ後まで……」

「いいからちょっとけてこう」


 標的と男性が話しながらどんどん遠ざかっていくので、ウェネはフィカの肩を叩いて促し、二人の後を追った。


 *


 標的ターゲット二人組はその娯楽施設の中の乗り物に次々と乗って回っていった。先の回るティーカップにも、木馬にも、建物の中に入っていく小舟であろうと、とりあえず目についたものには乗ろうという調子だ。おかげでウェネとフィカもそれらの乗り物に手当たり次第乗っていくことになる。人間には死神と魔法使いの姿が見えないが、二人の方は人間にぶつかりたくはない。標的を見逃さないように人混みに入っていくのは結構、難儀だ。

 標的と男性は、ぎこちなさがあるものの娯楽施設を満喫しているようだ。男性はたまに冗談を言ってみたりするし、少し長く歩いた後には日陰でシナモン入りのチョコレートを飲んでいたりするし、かと思えば、二人して屋台の甘い蜜がけの揚げパンひとつを交替で頬張りあったりしている。


「これは間違いないね。今日、恋文渡して告白だ。それ渡しそびれるのを防げばいいわけだな」

「そう、ね。何だか彼女、すごく嬉しそうだわ……」


 標的の女性の瞳は不安げな色を見せる時が多いが、時折、実に楽しそうな笑顔も混じる。顔を赤らめたり吹き出したり、表情の変化がころころと忙しい。それがフィカの眼には眩しくみえた。


「僕の思った通りだよきっと。よし、楽勝」

「それはいいけど、妙にここ、小悪鬼が多くない?」


 自信満々なウェネを他所に、フィカは自分たちの周りの地面や茂みに眼を走らせ、ヴァイオリンを短く鳴らした。F—Hファ—シトリトヌス三全音、禁じられた音程。悪魔の和音だ。茂みの裏にいた小悪鬼はひっくり返り、一目散に逃げていく。


「気がついてるよ。欲情とか興奮とか増したり、理性無くしちゃうやつが多いね。だからか人の理念もそんなんばっかだ」


 ウェネが指を小さく鳴らすと、二人の背後にいる小悪鬼が悲鳴を上げて飛び上がる。


「楽しさとか喜びとかも多いのに、残念ね」

「子供たち笑顔なのにもったいないよ……あっ、フィカ早く!」


 前方の標的と男性が走り出したのを見て、ウェネがフィカの手首をぐいと掴む。前のめりになってフィカはきゃあ、と叫び、ウェネの背中を追う。

 標的達は、幅の狭い線路に乗った細い車に乗り込むところだった。線路の先を辿ると次第に傾斜を急にして上へ向かっており、その天辺の向こう側が見えない。見えないのだが、明らかにその先と思われる方向から、日常ではありえない絶叫が聞こえる。


「ねぇ、これにも、乗る気……?」

「え? なに、怖い?」

「怖いわけないでしょ。でも……」


 車の最後尾に二人分空きができたところにウェネはもう足を突っ込んでいた。フィカは二列組の車の座席と、もう車に乗り込んでいる客達の座り方を見て言った。


「だって……これ隣と……席近い……」

「え? 聞こえないよ、ほら早く」


 フィカの呟きが聞き取れず、ウェネは車が発車しそうなのに焦ってフィカの腕を引っ張り、力に耐えられず倒れ込んでくるフィカの身体を受け止める。


「ちょっとなに、離してっ」

「だったら早く座れよ、出ちゃうぞ」

「わかったわよっ!」


 ウェネを引き離してフィカが座席に腰を下ろした瞬間に、列車は動き始めた。

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