Chapter 19 そっくり!瓜二つの一枚絵

 街で初夏の彩りが華やぐ日曜日。あかりたち四人は一緒にお出かけをしていた。

 優希としてはあれからあゆみと改まった約束として、あかりたちと会うことを伝えればこれ以上手は出さないということになった。

 今回のお出かけは特に計画を決めず、勝手気ままに街を歩こうという千里の提案を三人が受け入れたものである。


「しっかし、今日は暑いねぇ……」


 そう言って千里は着ている上着の胸倉をうちわ代わりにパタパタさせた、今は五月を過ぎて六月である。

 街に咲いていた桜もすっかり散り、緑色の葉が風に揺れていた。


「そういえばわたくしたちが出会って、幾多のことがありましたね」


 突然葉子が思い出したように話し始めた。

 四人はあかりと千里を除いて別々の学校に通っていることもあり、輝石の神になっていなければ出会うこともないだろう。

 葉子としてはこの出会いがなければ、内気な性格のまま変わらぬ毎日を過ごしていたかもしれないと思うと嬉しかったと言う。


「そうだ。皆さんへお礼の気持ちも込めて、何か贈り物をさせてください」

「そ、そんな、葉子ちゃん悪いよ……!」

「いいえ! これはわたくしからの気持ちです!」


 遠慮するあかりを制止して葉子は肩にかけていた白いショルダーバッグから濃紺の長財布を取り出し、お札がいくつあるのかを確かめた。


「ゲッ!」


 横で見ていた千里は思わず目を大きく見開く。一瞬ではあるが五、六人ほどのユキチさんが見えたからだ。

 数えている途中に葉子は申し訳なさそうな表情に変わり、その場でうつむく。


『――ヨーコさん、どうしましたか?』


 それに気づいたファレーゼが葉子の心の中へ話しかけてきた。


(ファレーゼさん、このお金はお父様からいただいた物でした……)

『――それを使ってアカリさんたちへ贈り物を贈るのでしょう? 何か問題が……』

(いいえ、これはわたくしの力で得たお金で贈りたいと思ったのです。ファレーゼさん、何か良い方法はありませんでしょうか?)


 葉子からの悩みにファレーゼは悩みに悩む、異世界ではどのようにすれば資金が得られるのかわからなかった。

 四人に沈黙が流れ始めたその時、空が暗くなる。


「あれ? いつの間に……」


 優希がつぶやくように言った直後、次第に雨が降ってきた。

 四人は近くに雨宿りが出来そうな建物を見つけるとそこへ駆けていく。

 急に降ってきた雨のため傘を持っておらず、どうすることも出来ずにいた。


「このまま降り続けるのかな……?」

「やだなぁ、このままじゃせっかくのお出かけが台無しだよ……」


 そうあかりは嘆くように言うと空へ向かって早くやんでほしいと思った。

 その時背後にあったドアがベルを鳴らしながら開く、それを聞いて四人は一斉に振り向いた。


「あなたたち、どうしたの?」


 中から洋服を着飾った大人の女が顔を出した、話を聞くとこの建物の中で個展を開いていて客が来ず暇を持て余していたのだと言う。


「まあ! わたくし、絵を見るのが大好きなんです。おじゃましてもよろしいですか?」

「ええ。大歓迎よ」


 葉子の好奇心により四人は画廊へ入った。

 そこには人物画や風景画など様々な絵画が展示されていて、最初は興味がなかったあかりたちも次第に惹かれていく。


「そうだわ。あなたたち、絵のモデルになってみない?」

「えっ、私たちが……?」

「こうして出会えたのも何かの縁よ。ね? お礼は出すから、お願い!」


 あかりたちは突然言われたことに困惑する、モデルといえど何をどうすればいいのかわからなかった。


「あの……わたくし、やります!」


 あかりたちが答えに渋っていた中で葉子が名乗りを上げる、意外すぎる彼女の答えに三人は信じられない思いだった。

 これを待っていたように女は満面の笑顔を浮かべる。


「ありがとっ! それじゃあまた今度のお休みの日にここへ来てね」

「はい、わかりました!」


 葉子と女は笑顔まじりに握手を交わした。

 その後四人は女の絵を一通り鑑賞すると画廊を出る、雨はいつの間にかやんでいた。


「それじゃあ、当日を待ってるわ」

「はい、よろしくお願いします!」


 女は四人へ手を振りながら見送り、見えなくなったところで不敵な笑みに変わっていく。


「ふふっ、楽しみね……」


 そうつぶやくように言うと女は画廊の奥へ消える。



 その頃闇の城ではリーヴェッドが玉座で貧乏ゆすりをしていた。

 原因はサラゼンにあり、彼に任せてはみたものの、輝石を奪い取るどころか異世界の少女であるあゆみを口説き落として人質に取るが、偶然出会った翠の神の力に怯んでしまう失態を犯すという、漆黒の闇にとってやってはいけないことをしたため怒りが増していた。


「やはりサラゼンに任せたのがいけなかった。あれからファニスは部屋にこもり、アディートも姿を見せん……誰か! 誰か他に輝石の神へ挑む者はおらぬか!」


 城内に響く女帝による呼びかけ、だがそれに答える者は誰一人いなかった。



 数日後の休日。自邸にある広い玄関で葉子は出かける仕度に取り掛かっている。

 絵のモデルという今までやったことがないことをするためか、お気に入りにしている白のワンピースに白のヒールという彼女なりのおしゃれで着こなしていた。


「お嬢様」


 背後から不意に彼女の祖父が声をかけてきて、葉子は肩をビクッとすくませる。


「お、お、お爺様……ど、ど、どうしましたか?」


 いつもはどこへ出かける先を告げている、今日はそれをしないで家を出ようとしていたため冷や汗をかいていた。


『――ヨーコさん、落ち着いてください』

(も、申し訳ございません。ファレーゼさん……)

「どちらへ行かれるのですか? なんだかそわそわしく見えますが……」


 このまま何も言わず出かけてしまうと祖父の心配性が増してしまう、しかし葉子はどうすることも出来ずにいた。


(ふぁ、ファレーゼさん。た、助けてください……!)

『――わかりました』


 ファレーゼは一時的に葉子の体を借りる、輝石の言葉が輝石を持つ者を通して喋ることが出来ることを利用するためだ。


「――これからあかりさんのお家へ行ってまいります」

「遠城様のですか? それはお気をつけて行ってらっしゃいませ」


 ファレーゼから自分の意識に戻った葉子はホッとした表情を浮かべ自邸を出ると、先日あかりたちと行った画廊へ向かう。

 そもそも彼女が絵のモデルをすることを決めたのは女から言われた“お礼”という言葉だった。

 お礼が出れば自分の手ではじめて資金を得ることが出来る、それを利用してあかりたちへ何か贈り物を渡せるではないか。

 葉子はその気持ちでモデルをやろうと思い立った。


『――ここですね』


 しばらく歩いて画廊に着いた。

 あかりたちとここに来た時は特に何も思わなかったが、建物の外見はこの街に似つかわしくない欧風の雰囲気を出している。

 葉子は一度それを見上げてふうっと一息ついてノブに手をかけた。


「ごめんください」


 一声かけドアを開けるとベルが画廊の中で響く、それに反応するように奥から女が顔を出してきた。


「ふふっ……いらっしゃい」

「こ、こんにちは……!」


 女が浮かべる笑みに葉子は思わず顔を赤らめるとその場で深々とお辞儀する。


「よく来てくれたわね。この奥がアトリエになってるの、ついてきてちょうだい」


 言われるままに葉子は女の後ろをついていくとそこには画架とモデルが座れる椅子がそれぞれ一つ置かれていた、女によると風景を背にモデルである葉子を描くのだと言う。


「そういえば、あなたのお名前聞いてなかったわ。教えてもらえるかしら?」

「は、はい。柳堂葉子と申します」

「よろしく、柳堂さん。そこの椅子に掛けて」


 言われるまま葉子は椅子に腰掛けると女は別の部屋から持ってきた水彩紙を画架に立て掛けた、これからモデルの始まりだと思うと心の中で心臓が速く動く。


「さて……柳堂さん、好きな景色ってあるかしら?」


 絵筆を右手に持ちながら向かい合うように立つ女が尋ねた、自分が描かれるものだと思っていた葉子にとって考えもしていなかったことである。


「そ、そうですね……」

「難しく考えなくていいわ」


 すると葉子は少し考えてひらめいた、今着ている白のワンピースに映えるものということで海岸の景色というのはどうだろうかと。

 女にそれを伝えると青色に塗られた絵筆を使い、描き始めた。


『――このお方、背景から描き始めるようですね』

(そのようですね。一体どのように仕上がるのでしょう?)


 心の中で葉子はファレーゼと雑談をしていた。

 思えばモデルというのは今のようにじっとしていないといけないと思ったが、ファレーゼがいるおかげで疲れることはほとんどなかった。

 そんな中で女は海岸の絵を一筆一筆大事そうに塗っていく、次第に一枚の白い水彩紙が青い海と白い砂浜を描いた水彩画に仕上がった。


「ふふっ……こんなところかしら?」


 女は画架を持ち上げると水彩画を葉子に見せる、そこに葉子と思しき人物が描かれていなかった。


「柳堂さん、想像してみて? あなたがこの絵に描かれた海岸にいるということを……」


 この問いに葉子は海岸の絵から目が離せなくなる、同時に海岸がすぐ近くにあるような感覚に陥った。

 耳元で小さく波の音が聞こえる、それがだんだん大きくなっていった。


「きれいな青い海、白い砂浜……わたくしが、ここにいる……」


 そう言って絵にそっと手をそえる、次第に心を奪われていった。

 やがてそれが恍惚とした表情に変わり水彩画に見入っている。


「――さぁ、行きなさい……」


 いつの間にか怪しい笑みを浮かべている女が何かを呟くと水彩紙が青く眩い光を放つ、数秒経って光がやむとさっきまで絵の前にいた葉子の姿が忽然と消えた。



 同じ日の夜。自分の部屋であかりはベッドにうつ伏せて寝そべりながら漫画を読んでいた。


「あっははは! これ面白ーいっ」

『――アカリよ、シュクダイとやらはやらないのか?』


 ヴェルガから言われて笑いが止まる、宿題を放り出し今こうして漫画を読んでいただけに水をさされたような気分だった。

 仕方なしにあかりはベッドから降りると自分の机で宿題に取り掛かろうとしたがノートをすぐ開いてうなり始める。


「んーっと……この問題は」


 今解こうとしているのは数学の問題でシャープペンシルを口にくわえながら腕を組んで考えるも、彼女のうなりは消えなかった。

 すると諦めの表れなのかその場から立ち上がり、再び漫画を読もうとする。


『――アカリ』

「むーっ……!」


 あかりは頬を膨らませ、ヴェルガを睨む。


「あ、あ、あかり!」


 階下からあかりの母が慌てた様子でノックもせずに入ってきた。


「お母さん、どうしたの急に。ノックぐらいしてよ」

「あ、あなたに電話よ! 急いで出なさい!」

「私に電話? 誰から?」


 電話の相手を聞こうとしたが母親に背中を押されながら階段を下りる、訳がわからぬままあかりは受話器を手に取り耳にあてた。


「も、もしもし……?」

『もしもし、どうもはじめまして。娘がお世話になっています』


 渋めの低い声、あかりには聞いたことがない声である。


「あの……どちら様ですか?」

『あぁ、ごめんなさい。私、柳堂葉子の父です』


 葉子の父、それを聞いてまさかと思う。

 二度ほど彼女の家へ遊びに行ったことがあるが、まさに豪邸と呼ぶに相応しい物だった。

 その身内ならばあかりが想像するにどこかの大会社の社長か政治家のどちらかだろう。


「あ、あの……何か、ご、ご御用で、しょうか?」


 相手がわかったことであかりの声は上ずっていた。


『葉子がそちらへ行っているようで電話したんですが、いらっしゃいますでしょうか?』

「葉子ちゃんですか? 今日は会ってないですよ」

『えっ!? どこへ行ったのか……』


 電話越しに心配している様子がわかった、何も知らず本当のことを言ってしまったあかりも受話器を握り締め心配し始める。


「あ、あの……葉子ちゃんに何かあったんですか?」

『それが……実はまだ帰ってきていないんです』


 それを聞いてあかりは私服のポケットから携帯電話を取り出し、背面液晶に映る時計を眺めた。

 時刻は午後七時を過ぎている。


「え? もう七時過ぎですよ!?」

『ええ、そうなんです。いつもなら門限の七時には家へ帰ってきて、我々家族で一緒に夕食を取るのですが……』


 しばらくして葉子の父はあかりへ、彼女に会ったら早く帰ってくるよう告げてほしいと言って電話を切った。


『――ヨーコというと蒼き水の少女か。その者に何かあったのか?』

(うん……葉子ちゃん、家に帰ってないんだって)

『――そうか。彼の者にはファレーゼがいる、そして闇の力が現れれば転生し神術で打ち勝つであろう』

(そうかな……私なんだか嫌な予感する)


 あかりは不安げな表情を浮かべる、そこへ母から夕食が出来たことを言われリビングへ向かった。



『……さん! ヨーコさん!』


 耳に響く葉子を呼ぶ声とさざ波により彼女の意識が少しずつ覚醒していく。

 体をそっと起こして周りを見ると、白い砂浜と青い海がそこに広がっていた。


「ん……あ、ファレーゼさん。ここはどこでしょうか……?」

『――私にもそれはわかりません。気が付いたらここに……』


 さっきまで葉子はアトリエで絵のモデルをやっていたが、水彩画が出来上がって見せてもらった後のことはあまり憶えていなかった。


『――それよりヨーコさん、お身体の方は大丈夫ですか? 海岸で横たわっていたのですから服が濡れているのでは……』


 ファレーゼの心配に葉子は慌てふためいた様子で自分が着ているワンピースを確かめると不思議なことにまったく濡れていない。

 一大事が起きていなかったことに葉子はホッとするとその場を立ち上がる、今の自分に何が起きているのか見当もつかなかった。


「誰か! 誰かいませんか!?」


 大声で周囲に呼びかける、返ってくるのは波の音だけだった。



 翌朝、学校へ向かう途中であかりは千里へ昨日のことを話していた。


「え、葉子が? どうせそんなのお腹空かせたらすぐ帰ってくるって」

「そんなことないよ! 葉子ちゃん、何かあったんだよきっと!」


 あかりは葉子を気にかける、昨日あかりの元へ彼女の父からかかってきた電話によればこちらへ来ているように言われた。

 実際は来ていなかったのだが、口実のためにあかりの家を選んで別の場所へ行ったかもしれない。


「だからさ、千里ちゃん――」

「ほーら、人の心配より自分たちの心配しよ?」

「えっ、それってどういう……?」


 千里に対して言ったあかりの疑問に予鈴が答えとなって返ってきた。

 これを聞いて二人は急いで学校へ向かう、教室へ入った直後に先生が入ってくるというギリギリではあるがなんとか間に合った。


「――の句には……」


 先生が教科書を読み上げている中であかりは引き続き葉子のことを考えていた。



 時は流れて昼休み、あかりと千里は二人だけで校内の屋上にいた。


「葉子ちゃん……今どうしてるかな」

「あかり、葉子のことすごく気にしてるね」

「だ、だって! 私たち同じ輝石を持ってる同士で友達なんだよ! 千里ちゃんもそう思わないの!?」


 これを言われて千里は思い返す。

 彼女にとって初めてあかり以外に存在した輝石の神になり得る存在だった葉子は気が弱く、漆黒の闇との戦いにも消極的で転生も自らやるようには見えなかった。


「ごめんあかり、あたしが間違ってた」

「わかればいいの!」

『――そういや、あれってどうなったんだ?』


 ふと黄の輝石ジェセが何かを思い出したように尋ねる、唐突に言われたことで千里には何のことやらわからなかった。


「あれって?」

『――チサト、忘れたか? 蒼きお嬢ちゃんが絵を描いてもらうって話』

「あっ!」


 言われてあかりと千里は思い出したように叫んだと同時に昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。

 その後あかりはあの日行った画廊へ行きたい欲に駆られ、授業も聞く耳を持たなかった。



 この日の最後の授業が終わって放課後、あかりと千里は女が居ると思われる画廊へ向かう、途中優希も誘おうとしたがあゆみによってどうしても外せない用事が出来てしまったため一緒に来られなかった。


「こんにちはー」


 ドアを開けるとベルが画廊の中で響くと、奥から女が顔を出してきた。


「いらっしゃい……まあ、どうしたの?」

「あの、葉子ちゃん来てませんか?」

「誰のこと?」

「この前私たちとここに来た子です、髪の長い……」


 あかりが身振り手振りを交え、葉子のことを説明すると女は思い出したように両手を合わせた。


「ああ、あの子ね。私が絵を描き上げた後、すぐに帰っていったわよ」

「え、そうですか……」


 それを聞いてあかりは残念がる、ここへ行けば葉子と会えると思っていただけになおさらだった。


「あの子に何かあったの?」

「はい、家に帰ってないらしくて……」

「そう……早く帰ってくるといいわね」


 あかりは諦めがちな表情に変わる。


『――アカリよ』

『――チサト』


 突然ヴェルガとジェセが同時に話しかけてきた、今二つの輝石は制服の胸ポケットに入れてある。


(ヴェルガ、どうしたの?)

(ジェセ、何かあった?)

『――ほんのちょっとだが、黒い気配を感じるぞ……』

(えぇっ、どこで!?)

『――あそこだ』


 ヴェルガは紅い線状の光を放つ、それが指し示すのは一枚の水彩画だった。

 海岸を前に長い黒髪で眼鏡をかけた少女が微笑を浮かべながら手を組んでいるもので、シンプルに白いワンピースを着ていた。


「これは……」

「あかり、この絵葉子に似てない?」


 千里に言われてどことなく似ている、何故かわからないがそんな気がした。


「あぁ、その絵は昨日描いた新作なの。あなたたちが探しているその子がモデルよ」


 女の説明に二人は納得した。

 あかりと千里は画廊で葉子に似た少女が描かれた絵をしばし眺めると、帰宅の途についた。


「あの絵、きれいだったねぇ」

「そうだね、まるで葉子本人を描いたみたいにリアルだったし」


 帰りがけに二人は葉子に似た少女の絵の話で盛り上がる、今度は優希も改めて誘ってまた画廊へ行こうと話したところで別れた。


「ただいまぁ」

「おっかえりなさーい、紅っちぃ」


 玄関を開けた直後、突然フィリア・ロッサが抱きしめてきた。


「わわっ、ロッサさん。やめてくださいよ、こんなところで……」

「うふふ、紅っちにはそういうお顔の方がお似合いよ?」


 あかりはロッサからの抱きしめ攻撃から離れると二階へあがり自分の部屋で私服に着替える。


「……はぁ……」


 着替え終えてため息を一つついた。

 結局葉子は画廊にいなくモデルになった水彩画が飾られていただけであり、まるでどこかですれ違ったように会うことが出来なかった。


「――紅っちぃー、入るわよぉ?」


 そこへロッサが一度ノックをして部屋に入ってきた。


「どうしたんですか?」

「んー? ちょっとねぇ、ふふっ」

「そうですか……」


 今は葉子のことが気にかかっていた、あかりは軽くあしらう。 


「あぁららぁ? どうしたのぉ、いつもの紅っちじゃないわねぇ。もしよかったら、このロッサお姉様に相談してみるぅ?」

「えっ、じ、実は……」


 あかりはロッサにこれまでのことを話した。

 葉子が家を出たまま帰ってこないこと、それよりも前に絵のモデルを引き受けていたこと、モデルをやるために訪れたであろう画廊へ行っても葉子はそこにいなかったこと。


「ふぅん……それってもしかしたらぁ」

「何か知ってるんですか?」

「ええ。もしかしたらパレっちの仕業かもしれないわねぇ」


 聞き慣れぬ名前にあかりの頭上にはてなマークが浮かび上がる。

 ロッサの話によるとその女の名前はパレッティといい、闇の刺客ながら絵を描くことが大好きで日夜何かを描き続けていた。

 この世界に転移した後に彼女はここを気に入ったのか城を出ては街に建てたアトリエへ出向いていたと言う。


「パレッティ……」

「パレっちはこれだけじゃないわぁ。闇の力を使って絵を実体化させたり、人や物を絵の世界に閉じ込めてしまうのよぉ」

「そ、それじゃ……!」

「もしかしたら蒼っちは、パレっちが描いた絵の世界の中にいるんじゃないかしらぁ」


 ロッサの読みにあかりは考え込む、彼女の言うことが確かならあの画廊に葉子が描かれたように見せかけ閉じ込めた絵があると思った。

 そう考え付くと早速画廊へもう一度向かおうとする。


「あら紅っちぃ、どこ行くのぉ?」

「そのパレッティがいるところへ行くんです、行ってきます!」

「いけないわぁ、もうすぐ――」


 あかりはロッサが何か言いかけていることも聞かず、外へ出た。

 途中優希と千里を呼び出し、輝石の神が葉子を除いて全員集まることとなる。



 一方葉子はどれくらい時間が経ったのかわからずいた。

 ここはパレッティが描いた絵の世界、水彩紙に青い空と白い雲が描かれていただけあって永遠にこの景色のまま変わらない。


「ファレーゼさん、今の時刻はおわかりですか……?」

『――私にもわかりません、何か時を刻むものがあれば……』

「そうですか……」


 いつもなら家へ帰って家族揃って、暖かい食事を囲みながら仲良く談笑しているはずなのに今はこうしてファレーゼとともに脱け出せない世界にいた。


「……お父様……」


 眼鏡越しの目から光るものを浮かべ、そのまま砂に零れ落ちる。

 それが何なのかファレーゼにはすぐわかった。


『――よ、ヨーコさん……?』

「わたくし、もう二度とお家には帰れないのでしょうか……お父様やお爺様、あかりさんたちとも永遠の別れとなってしまうのでしょうか……」


 葉子は両手を砂につけ、涙を拭うことも忘れ泣きじゃくり始める。

 また弱気な自分を表に出してしまった、しかし今の彼女にはそれしか出来ずにいる。


『――あなたはお一人の少女といえど、輝石の神ではありませんか!』

「ふぁ、ファレーゼさん……」

『――あなたが二つ目の神術を得た時のように、もう一度見せてください。もしあれがただの奇跡だったのであれば、神術も転生も出来ないお一人の少女のままですよ?』


 ファレーゼからの慰めを受けて葉子は泣くのをやめ、その場にあった砂粒を握り締め発奮した。


「いつも申し訳ありません、ファレーゼさん」

『――気にしなくて良いです、私はヨーコさんが悲しむ姿を見たくはないだけなのですから……』

「ファレーゼさん……」

『――さぁヨーコさん、この勢いをそのままに転生と神術を行いましょうか』


 葉子は頷くと両手を左右に広げ転生の構えに入る、同時に輝石は眩いばかりの蒼い光を発した。


「――ヴァイス・アクティ!」


 転生は容易く終わり、ブルーフォースこと蒼き水の神“紺碧の静水”がそこに現れた。


『――さあブルーさん、次に神術です。海に向かって放ってみましょう』

「はい!」


 強く返事した後に神術の構えに入る、左手を海に向かって突き出し右手を海に向かって縦に円を描くように動かした。


「――私の名前は“紺碧の静水。清き針よ、闇を鋭く刺し貫け。アクティ・スティルガ!」


 力強く叫び右手を一気に前方へ突き出す、それは以前闇の力によって操られていたシャムシールを救ったものと同じ神術だった。

 つららのような形をした水の針が海へ向かって突き進む。



 その頃あかりは千里と優希と合流し、画廊の前へやってきた。

 今は夜ということもあって画廊の中にある電灯は消えていて真っ暗である。


「あかり、ほんとに葉子が絵の中にいるの?」


 優希からの問いにあかりは頷き、ロッサから全てを聞いたのだと言う。


「よーっし。みんな、入るよ……」

「えっ、ちょっ、さすがにカギかかってるんじゃ……?」


 千里が言いかけたところであっさりとノブが回るとドアが開いた、無用心だと思いながらもベルを鳴らさないよう慎重に入る。

 中へ入ったものの暗くてどこにその絵があるのかわからなかった。


「ヴェルガ……わかる?」

『――むー……』


 三つの輝石が一斉に光の筋を放つ、そこには少女が描かれた水彩画が照らされた。


「あれだ!」


 三人は葉子に似た少女の絵の前に立った、その時見た時と同じように表情は変わりない。


「よーっし、みんな転生しよっ!」


 あかりの呼びかけに優希と千里は頷き、それぞれ転生を済ませる。

 すぐに紅き神は神術を放とうと構えに入った。


「――ファレイム――!」

「待った!」


 突然翠の神が制止する、理由を尋ねるとこの絵が燃えてしまったら中にいるであろう葉子も同じようになってしまうからだと言う。


「そっか……」


 紅き神は今やろうとしていたことを一瞬後悔すると、どのようにして助け出そうか考え始めた。



 同じ頃蒼き神は神術を何度か海へ向かって放っていて気付いたことがある、沖の途中で壁に直撃するかのように神術が弾かれたのだ。

 これを見てこの海岸に違和感を覚えた。


「ファレーゼさん、もっと神術を放ってみようかと思うのですが……」

『――やりましょう! 何かわかるかもしれません!』


 その言葉を待っていたかのように少し強めの神術を放つ、するとそこが溶けるように青い水が滴り落ちた。

 実際これはパレッティが描いた際の絵の具なのだが蒼き神は何故そうなったのかわかっていない。



「――見て!」


 同時に絵の前では黄の神が青の絵の具が滴り落ちていくのに気付いた。


「絵が、勝手に……!」


 三人の神はそれを眺めることしか出来なかった、それは三人同じで神術が出来ずもどかしい。

 葉子を助けたい、その強い思いが輝石に届いたその時少しずつ光り輝き始める。


「えっ……」

「何これ?」


 訳がわからず三人は輝石を手に取る、それぞれ紅・翠・黄の光の筋が水彩画における葉子に似た少女の胸元を照らしていた。

 そこから光の穴が少しずつ広がっていき、絵の具が滝のようにこぼれ落ちていく。



 一方の蒼き神がいる絵の中でも海岸に塗られた青い絵の具が波のように迫りながらこぼれ落ちていく、次第に落ちた部分は真っ白な水彩紙に戻っていった。


「これは一体……」


 蒼き神は白くなった部分に右手を押し当てようとした、するとそこから波打ち空間の中に入っていく。

 その右手は空間を越え、絵から飛び出てきた。


「うわあっ!?」


 突然のことに紅き神はまるでお化けが出たかのように驚き、その場で尻餅をついた。


「葉子!」


 翠の神がそれが何なのかすぐにわかると手を握ろうとして自分の右手を差し出す、だがすぐにそれは引っ込んでしまった。



「ファレーゼさん、わたくし今何を……」


 一瞬ではあるが右手が空間の中に入っていったことに蒼き神は唖然としている。


『――もしかしたら……ブルーさん、同じことをもう一度やってみてください!』


 ファレーゼに言われてもう一度空間に手を入れた。



「やっぱりこの絵の中にいるんだ……葉子!」


 翠の神は今度は失敗しないようにと右手で強く握り、引っ張り始めた。



「キャッ!」


 突然引っ張られた蒼き神はそのまま体が空間の中に入っていく、少しずつではあるが絵の中から右肩が出てくる。


「レッドとイエローも手伝って! 僕だけじゃ力が足りない!」

「うんっ!」


 驚きから我に返った紅き神は黄の神とともに翠の神に力を貸し一緒に引っ張り始める、だんだんと肩が現れ次第に蒼き神の顔も見えてきた。

 同時に絵の具も勢いよく流れ、床にこぼれ落ちていく。

 顔全体が出た後に上半身も出てきた。


「葉子ちゃん、痛いかもしれないけどがんばって!」


 少しずつ絵から蒼き神の全身が出てくる、三人は最後の力を振り絞って一気に引っ張り出した。


「せーのっ……!」


 力いっぱい引っ張っているとその勢いで蒼き神が絵から出てくる、喜びに浸ろうとしていると勢いそのままに翠の神が蒼き神を抱き止めるような格好になった。


「んー……なぁに? こんな時間に騒がしい……」


 そこへ奥からパレッティが現れる、物音を聞いてこちらへやってきたのだ。


「あっ、あなたたち!?」

「!?」


 声をかけられたのと同じタイミングで蒼き神は力を使い果たしたのか転生が解けた。


「あなたたち、私の絵を盗みに来たのね!?」

「あなたがパレッティですね!」


 紅き神はまるで犯人を言い当てたかのようにパレッティへ人差し指を突き出す。

 ところがそれをよそに彼女は後ろを向き、何かを探していた。


「泥棒が出たんなら、ケイサツに電話しなきゃ! えっと、えっと……」


 壁に掛けてあった電話の受話器を手に取り、警察へ発信しようとする。


「――その必要はねーよ」


 四人の背後から別の男の声が聞こえた、それを聞いて翠の神は反射的に男へ蹴りを入れようとする。

 男は一瞬で蹴りをジャンプでかわし、パレッティの横に立った。


「ふふん、その手は効かねぇぜ」

「サラゼンじゃない、どうしたの?」


 パレッティにとっては見知った顔、それはサラゼンだった。

 先日優希の友人であるあゆみをさらい、輝石との交換条件に使われたことがある。

 結果翠の神の新たなる神術によって彼は身を引いたが再び神たちの目の前に現れた。


「迎えに来たんだよ、リーヴェッド様がお呼びなんでな。それにあの子ら、オレたちの敵だぜ?」

「えっ? それってどういう……」


 尋ねようとした時、サラゼンが言った“敵”という言葉に察する。


「まあ、この子たちがそうなの……」


 表情が邪悪な笑みに変わった、三人は何か攻撃を仕掛けてくるのではないかと思いその場で身構える。


「また今度お会いしましょう、その時は……油絵にしてあ・げ・るっ」


 パレッティは妖しくウインクするとその場で影となって消えた。


「なっ……つ、次にお会いした時はこうは行きませんから!」


 すでに消えた後でも葉子はパレッティがいたところへ睨み返した、三人がそれを心配そうに見守っている。

 その後葉子は自邸に帰ると父からこっぴどく怒られたが一人娘による無傷の帰宅に胸を撫で下ろしていた。

 あかりの家へ行くとしか聞いていなかった祖父は帰ってきただけでそれでいいと言って、それ以外何も言わなかった。



「よかったぁ、葉子ちゃんが無事で」


 あかりは明るい表情で帰路につく、輝石の神としてまた一つやり遂げたことにただ嬉しかった。

 その時彼女のお腹が鳴る、これを聞いて思い出した。


「そういえばご飯食べないで出てきたんだった……早く帰ろ」


 歩きから急ぎ足に変わり、自分の家へ向かう。

 帰ってみるとあかりの母がおかんむりで玄関にいた。

 夕食はすでに終わっていて、全て片付けてしまったのだと言う。


「んもー、紅っちはせっかちさんねぇ。もうすぐお夕飯よって言う前に出てってちゃうんだものぉ」


 そう言ってロッサは苦笑いを浮かべる、改めてあかりは食べてから家を出ればよかったと後悔した。



『――ヨーコさん、大変でしたね……今後はこのようなことがないよう気をつけましょう。しかし、最近新たな闇の刺客が現れ続けているような気がします。なんでしょうか? この胸騒ぎは……』

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