Chapter 8 ビクビク!自信を持ちたい私

 葉子ようこは教室の窓側を眺めていた。

 輝石きせきを手にしてからというもの、人生が変わったように思えた。

 同じ輝石を持つ者であるあかりと出会い、はじめて神に転生てんせいしたかと思えば漆黒しっこくの闇と戦い、ファレーゼの力を借りたと言えど自分で神術しんじゅつを出したことに今でも信じられない気持ちだった。


柳堂りゅうどうさん、柳堂さん」


 クラスメイトに声をかけられ、我に返る。


「ご、ごめんなさい。どうしました?」


 若干パニックを起こしていたが事情を聞いて、教科書を手に持った葉子は流暢りゅうちょうに英語を読み上げていく。



 しばらく経った後に放課後になると葉子はいつも持ち歩いているヴァイオリンケースを手に持ち一人、音楽室へ入った。

 誰もいないことを確認し終えると、そっとヴァイオリンを取り出す。


『――ヨーコさんの演奏はいつも心が和らぎます。今日は何を聴かせてくれるのですか?』


 彼女が持つ蒼き水の輝石であるファレーゼが尋ねた。


「今日もまた、この世界の曲を弾いてみようと思います」


 そう言った後にふうっと一息ついた葉子はヴァイオリンを弾き始める、その間だけ静かに時が流れているかのようだった。

 音楽室の外では葉子が弾くヴァイオリンに足を止め、聞き入っている生徒もいる。

 ファレーゼにとって転移した当初の葉子は戦いに消極的だったが、今の姿は戦いとは別に見せる彼女の素顔なのだと思うようにしていた。


「――ファレーゼさん、いかがでしたか?」


 まるで止まっていたかのような時間は再び動き出す、ヴァイオリンを弾き終えた葉子はホッとした様子を見せる。


『――素晴らしい演奏です、さすがヨーコさん』


 ファレーゼは葉子を褒め称えた、いつものこととは言え彼女の顔が赤く染まる。


『――そういえば、この演奏をアカリさんたちへは聴かせないのですか?』

「えっ? そ、それは……」


 突然言葉に詰まった。

 誰かに聴いてもらいたい、その思いは確かにあるが演奏中に失敗をしてしまったらどうしようというのもある。

 そのため誰もいない音楽室で弾くのが日課となっていた。

 今はファレーゼという客がいるものの、人のようで人ではない存在ということもあって気にかかることなく弾けていた。


「い、今はまだ練習の時ですから、あかりさんや千里ちさとさんに聴かせるのはもう少し先で良いではないですか!」

『――そうですか。では、その時が来るのをを待ちましょう』


 そこへ音楽室に予鈴が響いた、午後の授業が始まるようだ。


「まあ、わたくしも急がないと!」


 ケースにヴァイオリンを仕舞った葉子は駆け足で教室へ向かう。



 場は変わって、漆黒の城では玉座ぎょくざに座るリーヴェッドがフィリア・ロッサを叱っていた。


「フィリア・ロッサよ……そなたは何故、我の許しなしに術を使ったのだ?」

「だってぇ、リーヴェッド様ぁ」


 返答を待たずにリーヴェッドは玉座を握りこぶしで激しく叩く。


「そなたは輝石を持つ者へ甘すぎるのだ、だからいつも――」

「んもぅ、リーヴェッド様ったらぁ……知らないっ!」


 ぷいっとそっぽを向いたフィリア・ロッサはその場で影となって消えた。


「待て! フィリア・ロッサよ、どこへ行く!?」


 リーヴェッドの声は彼女に届いていなかった。



 再び葉子が通う学園、終礼しゅうれいのチャイムが鳴って葉子は校門を抜け帰路を歩いていた。


「いずれ、あかりさんや千里さんを前にして、演奏しなくてはならない……もしその時、失敗してしまったら……」


 自分の中で失敗した時の姿が目に浮かぶ、やはりそうなってしまうのではないかと思った。

 ぼんやりした表情のまま歩を進めているとある場所で立ち止まった。

 そこは公園で、中心には噴水が配置されている。

 葉子はその公園に入ると近くのベンチに腰掛けた。


『――この場所、輝石の気配が僅かに感じられますね……』


 ファレーゼが葉子の心の中で呟くように言った。


(わたくしたちと同じように輝石を持つものがここにいらっしゃるのですか?)

『――いいえ。今は輝石そのものの気配は感じられません、ここにはあったのでしょうが……』


 ファレーゼの言うとおりである。

 この公園はかつてあかりがヴェルガとはじめて出会った公園で、噴水の中に紅き輝石が落ちていた。

 葉子はその場から立ち上がると、周りを確かめケースからヴァイオリンを取り出した。

 ここなら誰もいない、練習に適しているかもしれないと思ったからだ。

 体をゆっくり揺らしながら弾くその音色は静かに川が流れているようにも思えた。

 その音を聞きつけたのか空から鳥が舞い降り、彼女を囲った。

 数分経って曲を弾き終えた葉子はそっと目を開く、足元に気配を感じ視線を下ろすと一羽の鳥と目が逢って我に返った。


「ひやっ!」


 悲鳴と同時に無数の鳥が飛び立っていく、とっさに葉子はヴァイオリンを傷つけまいと我が子のように守った。

 やがて全ての鳥が飛び去るとホッと一息ついた。


「びっくりしました……鳥さんたちがいらしたのですね」

『――途中からでしょうか、いらっしゃいましたよ。ヨーコさんのヴァイオリンに聞き惚れていたのでしょうね……』



 その頃、いつものように街へ転移したロッサはおかんむりだった。


「まったくリーヴェッド様ったらぁ、わからず屋なのよぉ」


 自分がやったことは間違いではない、彼女はその思いだった。

 元々彼女は異世界エステラ・トゥエ・ルーヴにて光を使った術師で、投げキッスはそれを生み出す力となっている。

 ある日、その技を漆黒の闇の女帝じょていであるリーヴェッドが目をつけた。

 女帝の言う話に乗せられる形で、闇の力を手に入れる。

 あかりたち輝石を持つ者と出会った時は容易く手に入れられる、そう甘く見ていた。

 しかし想いが乗る神術は予想を遥かに超える強さを見せられた彼女はどうしようも出来なかった。


「そぉだ……」


 突然何かをひらめいた彼女はその場で足を止める。


あかっちは輝石を上手ぁく使いこなせてたわねぇ、あおっちはまだまだなところもあった気がするわぁ」

 

 ロッサは左手人差し指を口の端に当てながら考え始める、今まで紅き神一人だったり蒼き神とペアだったりという場を思い出した。

 そのように回想した結果、ある答えが見つかった。


「うん。そうねぇ、それで行きましょぉ」


 一人で結論に達していると、彼女のお腹が鳴った。


「確かお昼も摂らずにこっちへ来たんだったわねぇ、お腹空いたぁ……ま、いっか。確かこの近くに異世界の甘味処があったわねぇ、あそこ行こぉっと。そこの“くれっぷ”っていうのが美味しかったのよねぇ!」


 弾む気持ちを抑えきれないロッサはスキップしながら街を歩いた。



 一方公園を後にした葉子は商店街に来ていた。

 彼女と同様に下校途中の学生や、夕食の買出しに来ていた主婦などで賑やかである。


「この通りはいつも賑やかですね。まるでお祭りのよう……」


 お嬢様育ちとあって葉子は小学校卒業まで祖父が運転する高級車を利用して登下校していた。

 今ではこうして徒歩を利用しているが依然として慣れないものがあった、それは賑やかな人だかりである。

 もしこの中に自分が入ったら嵐にでも巻き込まれたように慌ててしまうのではないか、そう思った。


『――大丈夫ですよヨーコさん、私が一緒にいますから』


 場を察してかファレーゼは心の中で優しく声をかけた。

 感謝の心を胸に秘めながら葉子は商店街を歩き始める、慌てるかもしれないがグッとこらえれば大丈夫だろうと思った。

 左右にある店には目もくれず、ただ歩いてこの場を通り過ぎようとしたその時、蒼き輝石が強く瞬く。


(ファレーゼさん! ど、どうしました!?)

『――この近くに黒い気配を持った者がいます、しかしなぜここで――』

「あぁっ、おいしかったぁ!」


 そこへ喫茶店からフィリア・ロッサが飛び出してきた。


「ひやっ!」「あイタぁっ!」


 喫茶店の出入り口前で二人は出会い頭にぶつかった、その拍子に葉子は蒼き輝石を道に落とし転がっていく。

 幸い誰にも踏まれたり、拾われたりはしていないようだ。


「何よぉ、私にぶつかってぇ……」

「ご、ごめんなさい……!」


 葉子は先ほど落ちた輝石を探す、すると目に届くところにあった。


「あらぁ、私に声かけておいてそれだけぇ? んもー、ロッサ怒ったぁ!」


 フィリア・ロッサは投げキッスの構えに入ると怒りを中級術にぶつけた。


「さぁ、あなたの出番よ……コロル・アウズトロルズ!」


 投げキッスから放たれた光は喫茶店の付近にあった観葉植物に影を落とすと、一枚の葉っぱが巨大化した。

 葉っぱは人よりも大きく、皆を見下ろすほどである。

 何が起きたのか訳がわからない様子で商店街にいた人たちは一目散に逃げ出した。


「あっ……!」


 すると蒼き輝石が小石のように逃げ惑う人たちに蹴られ、道を転がり続けた。


「ファレーゼさん……!」


 それを助けようと葉子は後を追おうとするが、道行く人たちに阻まれて前に進めない。

 だが誰にも踏まれることはなく輝石は道の中心に転がった。


「大丈夫ですか!?」

『――私は大丈夫です。それよりヨーコさん、早急そうきゅうに転生を……』


 ファレーゼに言われて一瞬なぜかと思う、すると葉子の背後から強烈な風が吹きすさんだ。


「ひやっ!」


 すぐに葉子は吹き飛ばされた。


『――アクティ・セレイデ!』


 ファレーゼが地面に向かって盾の詠唱を唱えると、まるでじゅうたんのように葉子を護った。

 直に盾が消えると、葉子はケガ一つない様子で地面に立った。


「なぁにあれぇ……?」


 これを見てフィリア・ロッサは目を丸くした、彼女から見て異世界の少女が不思議な術を使ったからである。


『――ヨーコさん、転生です!』

「は、はいっ……!」


 葉子は頷き、両手を頭上にあげた。


「――ヴァイス・アクティ!」


 詠唱を唱えると葉子は両腕を横に広げ蒼い光に包まれる。


「あぁっ、あなたはぁ……!」


 光に包まれながら転生を終えた蒼き神の姿にフィリア・ロッサは見覚えがあり、人差し指で突き出した。


「蒼き水の神、ブルーフォース! 黒き色は水で流れなさい!」


 葉子は以前あかりがやっていたポーズを彼女なりに改良したものを見せ、千里が言っていたコードネームを名乗りに織り交ぜた。


「蒼き、ですってぇ? やっぱりそぅだぁ。なんならこの場でぇ……コロっちぃ、蒼っちから輝石を取ってらっしゃぁい!」


 フィリア・ロッサが指示を出すと、中級術によって姿を変えた巨大な葉っぱが扇のように大きく振り動かした。

 蒼き女神は両手を交差させて風を阻む、転生する前と違って吹き飛ばされることはなかった。


「大丈夫!?」


 風が止んだ直後、聞き慣れた声が蒼き神に届いた。

 それは商店街の向かいから現れた紅き神で、話を聞くと闇の気配を感じ取ったため駆けつけたのだと言う。


「あらぁ? 紅っちも来たのぉ?」


 予想外の事態にフィリア・ロッサは唖然とした。


「まぁいいわ、手間が省けたしぃ……コロっちぃ、二人まとめて倒しちゃえぃ!」


 大きな葉っぱは肯定の反応を示すとすぐに振りかざし、さっきよりも大きな風を出そうと後ろに体が反れるのではないかというくらいだった。


「何あれ!?」

「葉っぱです! 闇の力で大きくなって……風を使い、わたくしたちを吹き飛ばそうとしているようです……」

「よーし、そんなの私の神術で!」


 紅き女神は神術の詠唱を唱え、いつものように構えた。


「――ファレイム・サジテリア!」


 炎の矢が葉っぱに向かって飛んでいく、しかし葉っぱの扇ぎは強く炎はすぐに消えてしまった。


「そ、そんな……!」

『――紅き女神よ、あの物は闇と風の力がまとまって一つになっている。我々炎の神術では風で消されてしまう……』


 紅き女神は下唇を噛んだ。


「あかりさん、ここはわたくしに……」

「えっ? 葉子ちゃんの持ってる力でも敵わないんじゃ……?」

『――それはご安心を。水を与えればあの葉はしおれ、闇の力も抜け落ちることでしょう……』


 ファレーゼの説明に紅き神は納得すると一歩後ろへ下がった。


「では、わたくしの神術……参ります」


 蒼き神は神妙な表情に変わると、左の拳を葉っぱに向けた。


「――私の名前は“紺碧こんぺき静水せいすい”。清きしずくを与え、かの傷を癒したまえ……アクティ・ピスカス」


 詠唱を唱えた直後に左の拳を勢いよく開く、そこから水の雫がいくつも出始めた。

 扇ぎによる風を上手く避け、葉っぱは水の力に染みていく。

 やがて蒼い光に包まれると元の観葉植物の葉っぱに戻った。


「んもーっ、悔しいぃっ! また逢う日には許さないんだからぁっ!!」


 フィリア・ロッサは悔しさをあらわにするとその場で影となって消えた。


「やったぁ!」


 転生を解いたあかりは勝利に喜ぶ、一方の葉子は解いた直後にその場でへたれこんだ。


「一時はどうなるかと思いました……」

「何言ってるの、今日は葉子ちゃん大活躍だったじゃん!」

「えぇっ!? そ、そんなわたくしは……」


 などと雑談している二人を見ている人影があった。


「――あーぁ、また遅れちゃった……」


 少年のような凛々しい声でそれは呟いた。


「ねぇ、僕たちは今回も出番なしだったみたいだよ?」


 誰かへ話しかけるように喋ると、すぐさまその場を離れる。

 手には緑色に輝く石を持っていたが誰も見ていないところでポケットにそれを入れた。

 その様子にあかりと葉子は気付きもしなかった。

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